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風の谷〜泰阜村   
   悠々の翁の看取り

 南信州に雪の便りが聞かれるようになって、村道にはふかふかの落ち葉が敷き詰められ里山の雑木林は奥まで木漏れ日が差し込み明るい光が届くようになった。しかし一方で最近の異常気象による寒暖の差で体調を崩しお亡くなりになるお年寄りが増えた。

 悠々でも要介護5の92歳の翁が昨日逝かれた。脳卒中の後遺症に苦しみ寝たきりで重度の嚥下障害を抱えながら9か月もの時を生き切った。JAの組合長も務められ、村長選を闘い、村会議長を務め村ではその名を知らぬものがないほどの功労者であった。病院で「あなたのご趣味は?」と聞かれ、「政治かな・・・」としか答えられぬほどの生涯であった。

 入浴時ゆったりと湯につかりながら、零れ落ちる昔話はケアスタッフを感心させた。こんな愛すべき人柄を身近な家族は知らないのかもしれない。このM翁はケアスタッフにとても愛されそのやり取りは聞いていて思わずこちらも笑顔になるほどの魅力があった。食事を拒否するようになってから1週間、水分摂取を嫌がるようになって4日ほど、肺炎と脱水症が進み、予測される最後が主治医の東京出張時に重なるということで、水分補給の点滴をお願いした。先生のお帰りまで最後の息を引き取る瞬間をできるだけもたせたい、中国にいる長男の帰国に間に合わせたいとの理由からであった。

 その点滴が切れ、その日の夜中には主治医が駆け付けるという日に、大きな息を一つして、それが最後の息となった。穏やかなお顔は威厳に包まれ、偉大な一つの魂がこの村から消えた。この時代の変化は、こうして偉大な志をもった重鎮が一人、二人と消えていくことで泰阜村のあの「人を思いやる優しさ」が消えていくのだと感じる。大きな声で自己主張をする若い人が力を握り、貧しく力なき弱い者が守られてきたこの村の宝は、人間力であったかと思い知らされることであった。 

風の谷〜泰阜村   
    第11回総会を終えて〜理事長交代

 初冬の暖かな日差しの中に、組合員と村の来賓方をお迎えし第11回総会を開催した。

指定管理者の認定を村から受けた最初の総会とあって、新村長、村議会議長、教育長、住民福祉課長、係長、県中央会からも支部長代理のご出席を頂いた。今回は、1人の経理担当理事を失った組合の役員改選の時期とも重なり、本当に心機一転という内容になった。

 理事長の挨拶では、この10年間のすべてのデーターを整理し、列席者の前にその図表を資料として添付し、役場にも、従来の組合員にも、新しく加入された組合員さんにも、「高齢者協同企業組合泰阜」という民営の企業団体が、「金儲けではなく、村民ひとりひとりの幸せを願って、ただそれだけを願って苦闘した10年間」が数字とグラフで示された。それを、出席された来賓方も組合員も、食い入るように見て下さっていた。理事長からのメッセージは、この「悠々」が10年間も存続し得た事は、一重に村民の(組合員の)皆様の「悠々」を自分たちのものと感じて支え続けたボランティアのお陰である事それは10年間の実績を長野県最低賃金に換算すると2千万円を超えるものであった事、加えて泰阜村が苦しい財政の中から支え続けて下さったお陰に他ならないことを、心から感謝の言葉を尽くして伝えたことであった。 

 新村長のお祝辞では、「在宅福祉の村で『悠々』が試みた挑戦は貴重なものであった。開所当初先生から伺った理想を10年間貫き通した姿を見てきて、大変なご苦労があったがここまでやってこられたことに敬意を示したい。村としても今後可能な限り応援していきたい」と暖かで誠実なお人柄のあふれたお言葉を頂き、安堵のあまり気が緩んでめまいがしたほどであった。

 1人の組合員からの質問で、「この赤字続きの経営を10年間も継続した根拠と、経営改善のために今後どのように努力しようとしているのか」と問われた。

 理事長として最後にしなければならない総括を求められたと感じ、真摯に受け止めた。

まず、「何とかしてこの過疎の村々のお年寄りが、孤独の中で苦悶の最後を迎えさせたくはない」という理想だけは高くしかし・・・その経営能力のなさに、幾度も「組合解散」を思った事があった。しかしまず第一の理由として、現にお預かりしているお年寄りのお一人には子供がなく、夫に先立たれ要介護度が軽く施設にも入れない状態にあった。もう一組の老夫婦は、ご家族との関係が悪く実質的には帰る家がなかった事(その方も入居当初は要介護度が軽かった)、さらにはご家族が全員働いていて、94歳の転倒骨折後の年寄りを1人急坂な坂道に囲まれた家に残せないと判断された(介護認定未申請)等を置き去りにはできなかったことがある。

 ケアスタッフは最低限の常勤2名、食堂経営のために常勤賄い1名、宿直は2名の有償ボランティアさんに依頼、理事長は会計総務事務、視察来客の対応、緊急時の判断と送迎、賄い、ケア、すべて不足分を塞ぐべく無償で対処しながらやって来た。これ以上削る部分を考えられなかった。一方事業収入においては、開所当初は視察研修の費用として1人2千円を頂くことにしていたが、このお金は払えないと民生児童委員の方々、各地の議員団、社協の方々からの反発があり2千円が千円になり、挙句の果てに資料代は無料で写真集をプレゼントするというありさまになった。A県副知事の視察では、付き添いの方から「このような方に来ていただいたのに、視察代を請求されるのは心外です」と言われ、心折れて以来請求できなくなったことがあった事などを付け加えた。また当初8万円/月額だった入居費も組合員さん方からのボランティアが少なくなると、業者にお願いするしかなくそれらは経費となった。現在の利用料一日5千円でのケア付き三食付き、身の回りの家事付き、緊急時の病院通院介助無料等を背負っているのが現状である。さらに当初悠々ランチは千円であったが、高すぎるというご要望に600円に下げ、500円に下げたが、ご利用はあまり増えなかった。特に視察は、北欧ではランチ付きで1万円であったのを、ここでは「悠々ランチ」付きで2千円となっていたが、視察団は昼食をどこか他所で済ませ、その前後に無料のお茶を飲みながら「悠々」の視察を利用するという事態が続いているのが現状である。

 この10年間の努力は虚しく、心身ともに疲れ、心折れ自らの無力を極限まで悟って、理事長交代を願い出ている次第である。お許しいただきたいと思うとお応えした。

 これを聞いて、後の懇親会の場で、村会議長、住民福祉課長等が、「先生全力で応援するでな、頑張ってくれ」とのお言葉を頂いた。新しく加わった理事たちも、口々に「先生のこの無私の実践に心打たれた。及ばずながら力を尽くしたい」とのお言葉も頂けた。これからの5年間(私は82歳になるよ)これ以上の報いが、宝物があるだろうか。泣き虫ばあさんはやっぱり泣いている。  

 

風の谷〜泰阜村   
   秋深し・・・悠々も秋日和

 泰阜の里山に秋の七草が乱れ咲き、山里が最も美しい季節を迎えている。観光客など無関係のこの村にも松茸大量の噂は飛び込み、先日頂いた貴重な松茸ご飯を堪能した。今年は栗の実が豊作で栗ご飯が3回、栗の渋皮煮も3回、香茸の炊き込みご飯等々堪能した。

 悠々の婆ちゃんたちもニコニコ顔で・・・(でも秋なら当たり前というお顔)若いころはご自分の手でさぞかしご自慢料理を炊かれたのだろう。随分前には、秋祭りに区長さんがお菓子の代わりに松茸を包んで盛大に境内に撒いたのだそうな。

 里山の道端に秋の花々が乱れ咲いて、その中を車で走りながら、こんな美しい景色に包まれて、この村の人々は幸せなのだと実感する。2007年の泰阜村悉皆調査、続く2014年の追跡調査にも表れているが、この村の年寄りは関節があちこち痛いのだけれど、幸せだと感じている人が多いと出た。お金はご存知国民年金5万円(男性)、残された多くの御婆ちゃんたちは福祉年金3万円orお父ちゃんの残した遺族年金をこれも3万円ぐらい・・・。それでも春には山野草、秋には豊富な茸や木の実を食べ、庭先で作った野菜を食べて幸せな笑顔を見せる。こんな大自然の営みに包まれて、そんなに孤独に苦しんでいる人は少ない。理由は、田畑の手入れに忙しい事、自然の恵みの探索に忙しいからだという。この村が、送迎付きでワッセワッセと催すお祭り騒ぎに時々覗きに行って、久しぶりに出会うお年寄りどうしのおしゃべりで十分に幸せなのだという。「自分は嫁に来てから60年、70年住み続けてきた家が好き、自分が過ごした村が好き、わしはどこにも行きたくない。」とだれもが口をそろえて言う。「だけど、人生の最後に悠々に来て、こんな暮らしができるとは思わんかった。わしは最後までここで暮らす。こんな幸せもいいもんだとわかった」という。

 「先生あんたはね、自分の事を忘れているで、少しは自分の事も考えてやらにゃいかんよ。自分の辛いのは自分しかわからんだで、少しは手加減せないかんだに・・・」

 じっと私の目を見つめ、真剣な顔をして、まるで本当の母親のような口調で言われた。「おかあさん!」と言いそうになった。こんな嬉しい事、涙が出そうになった。悠々の一日・・・

風の谷〜泰阜村     
   悠々指定管理者更新!

 昨日は「地域交流センター悠々」指定管理者の10年間の契約最終日であった。泰阜村は公募し、私たちは再応募し回答を待った。しかし明日は土曜日で役場のお仕事はお休みに入るというのに、何の連絡も頂けず、ヤキモキしながら役場の福祉係長にお電話を入れた。「私たちはこの悠々にこのまま居ってよろしいのでしょうか?」「ああそうでした。今日の議会で悠々に継続委託が承認されましたので、そのまま事業継続してください」

 本当はお電話が欲しかった。総会が例年通りなら11月開催で、準備に入らなければならないし、会場もどこにしようかと迷い、さて来年どこに引っ越すのかと、お年寄り達を抱えて苦しんだ。

 これからもこの指定管理者制度にコントロールされ、国の補助金で確保したこの建物をいつか追い出されることがあるのだと知った。あの有名な旧鷹巣町も最終的に町が指定管理者期間を3年と定め、日本で初めてのチャレンジであった「ふくしのまち」構想が消滅したのであった。その後を知っている実践家としての私たちは、そこを利用していたお年寄りを思って心が掻き毟られるほど痛んだ。悠々のお年寄りたちが、「わしは本当に幸せだで、先生」「わしを死ぬまでここにおいてくれるかね」という願いに、「いいんですよ、最後まで私たちと一緒にゆっくりと暮らしましょうね。至らぬ私たちですが、お世話をさせてくださいね」と繰り返したばかりであった。

 お年寄りの幸せは建物だけではない。「スタッフが心暖かく寄り添って、できる限りのことをしてくれる。いつも一緒にご飯を食べ、10時と3時のお茶をしながら家族のような取り留めもないおしゃべりをして一日を過ごす。これ以上の幸せはいらんのだに」とじっと私の目を見ながら、昨日もお年寄りに言われたっけ・・・。

 時間通りに必要だとケアプランに決められたことをこなすことが、お年寄りの幸せにはつながらないのだと聞かされたのだった。昨日、悠々はもう5年間の時間を頂いた。この新たな期間を頂いて挑戦したいことがある。

 あるお方に「入居費用が月額8万円ぐらいなら多くの村民が入れると思う」と言われた。次の5年間で入居費8万円まで下げたい!さあどうするか、理事長⁉

 理事長は無給、理事たちも役員報酬は返還、スタッフの給料はベテラン看護師も保育士さんも、調理師さんも非常勤スタッフ(看護師さんもいる)も同じ給料である。そしてたいてい手取りは平均月額13万円程度になる。

 みなさん!信じられますか?我がスタッフは、この低額賃金で日本一と言われている過酷なケアを続けたのです。9年間もです。

(理事たち役員は10年間)これが奇跡と言わずして何というのでしょうか。この人たちを簡単にこの世から消していいのでしょうか。

 人間の尊厳を守るケアとは、「当事者ご本人が幸せです。生きていてよかった。悠々に出会えてよかった」というケアではないかと思うのですが、現在の入居料月額15万5千円の大半は、電気ガス水道料の公共料金と法人税や社会保険料やその他の諸経費に消えてしまうのです。私たち役員は無給ですので、これ以上どこからも削ることはかないません。

 最近、小規模多機能の企業がたくさん現れてきましたが、介護保険を導入したとたん様々な規制(規則)が入って縛られるのです。お年寄りが笑顔になって、「生きていてよかった」といえるような最後を迎える事は不可能になっているのがこの10年で証明されました。さて皆様のお知恵を頂けたら嬉しいです。これからの5年間の時間を共有したいです。人は必ず老い、病に倒れ、死ぬのですから・・・

風の谷〜泰阜村
癌のターミナルケアを共にして

 悠々のケアには、介護保険指定事業所でにはないメリットとして、癌のターミナルを家族と共に最後まで看取るという特別な支援がある。値段は同じ1泊3食(特別手作り食付き)ケア付き5千円。そのような場合でも高いか安いかを考えてこなかった。これまでにスタッフを一人、悠々の理事さんを二人、神奈川県から「悠々で死にたい」と言って介護タクシーで飛び込んでいらした方お一人をお引き受けした。最近は抗がん剤治療は通院で行う。泰阜村は山奥なので、治療のために片道1時間の山道を毎日通院できる人は少ないと思う。ステージが重くなってくると、体力的に到底自分では運転できなくなる。しかし家族(妻)が運転免許を持っていない場合、タクシーで片道1万円弱を往復は払えない。この過疎山村でそれも引き受けなければ命の保障はない。精神的に追い詰められた家族ごと引き受けて、個室にて療養が始まる。最近、悠々のケアスタッフに看護師がいること、顧問医師が絶えず相談に乗ってくれていること、病院のケア記録に準じて毎日24時間の詳細な記録を取り、それを通院時に提出する事等で、主治医から信頼を得られた場合、内服用の麻薬鎮痛剤の治療をお任せいただける場合もあった。その最後は壮絶であった。妻一人では到底耐えられる場面ではなかったと思う。私たちは全力を尽くして協力し、本人と家族をサポートした。その時私たちはもう家族であった。

 同級生のお一人がお見舞いに伺ったとき、「悠々があってよかった」と言っていたと聞いた。

振り返れば最後の闘病と言えるのは短い時間であったが、あまりにも重くとても家族だけで看取るなどということは無理なことと実感した。

問題は、この凄まじい闘病が、病院ではなく自宅で家族に任せられる現在の医療体制である。先日、「昔はよかったよね〜」という話になった。ベットの下に四半畳のコロのついたベットらしきものがあって、夜になると家族がベッドの下からそれを引き出して横になり、オムツの交換やら、清拭やら、着替えやら、食事の介助などをやっていたものだった。家族は交代で病院に詰め、病人と共に病状の進行に一喜一憂して最後を迎えたものであった。病院の医師や看護師に見守られているという安心感があった。これに代わるものが今の治療体制にはないことになる。本人も自宅で子供たちや親戚の人々があれが効く、これが良いと言われるものを何でもかんでも試し食し、内服し、次の治療開始のための検査時には腎臓が悪くなっていたり、血液の状態が悪化していたりして治療が進まないこともあった。

 悠々があってよかったと私も思う。本当の住民のニーズはその時の医療・福祉体制からは零れ落ちてしまうものなのだと知ったからである。この貧しく弱った家族から、これ以上のお金を採れない・・・、これが悠々の問題点である。

 日本の医療と福祉が、その利潤追求のために切り捨てたものは、実は貧しい人々の命なのではないかと感じた。


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