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風の谷〜泰阜村      
   94歳自立女性の入居顛末

 この度、隣村から新しいお年寄りをお迎えすることになった。94歳女性自立三世代同居(泰阜村出身)。しかし同居のご長男が手術のために入院となり、その間転倒の恐れがあるお年寄りの見守りが出来なくなるのでと、1か月の短期入居でお預かりしていた。そのI.M.さんが1週間ほど悠々の暮らしを体験してこんなことを呟かれた。「わしは、自分では掃除も洗濯も何でもできるし、裏山の畑にも出て行って畑仕事もできるので、家族には迷惑を掛けないできたと思い込んでいたが、本当はやっぱり留守の間に転んだら困ると心配かけておったんだね〜」。しばらく様子を見ているとかすれ声が異常に小さい。悠々で朝昼晩と10時と3時のお茶タイムに食堂に出てきて、臨席の89歳のM.M.さんが知り合いだったということもあって、おしゃべりが弾んだ。そのうちに「こんな連れがあってよかった。施設に行けと言われたがこんなに楽しいとは思わなんだ」とお互いに楽しさ倍増の日々となった。女はいくつになってもおしゃべりが元気の秘訣なんだということになった。そして約束の1か月が近づいてきたある日こんなことを呟いた。「わしはこれまで長い間声を立てて笑うということがなかった。家族は優しかったけれどみんなそれぞれが忙しくしていてわしのいる場所はなかった。わしは飯がすむとすぐに自分の部屋に行って他の家族たちが楽しそうにおしゃべりしているのを聞いていたもんだった。それでこのごろ年寄りは長生きをしてはいかんのだな〜と思うようになった。家族たちはみな優しいので、施設に入れとはいえないのだから、わしから施設に入れてくれと言わにゃぁいかんのだなぁ・・・と。でも何十年も住み慣れた家から離れるのはつらくて言えなんだ。大好きな家族達と離れるのは決心がつかなんだ。けど、ここならゆっくりと自分らしくおらせてもらえる。ここにおいてもらえるのかね〜。このような年寄りが幸せなっていいのかね〜」「それとここで最後まで置いてもらえるのかね〜。それが心配で・・・」

理事長「大丈夫ですよ。あなたがそれをお望みで、ご家族がそのことを『いいよ』といって下さったら、最後の息を引き取るまでここで私たちと一緒に暮らすことができますよ。私たちはご縁で結ばれた新しい家族のように暮らしましょう」

 1か月半後ご家族との話し合いをして、永住入居の契約が結ばれた。

この1か月半のI.M.さんの永住入居に至る顛末を経験して、お年寄りが90歳を過ぎると身の置き所がなく、あの信州のどこかの姨捨山伝説を思い出すのだと知った。

 後日古老から、「昔『姨捨山』というところが泰阜村にもあったんだよ。この村では年寄りが70歳になるとそこに捨てられたもんだ。」深沢新一の姨捨山の伝説は、信州の山深い部落の90代の年寄りには自分の事のようによみがえるのであろうか。

 その姥捨山伝説を、悠々では「最後までゆっくりと穏やかにいつものように暮らして生きていてもいいんだよ」に塗り替えたいものだと思う。

 森に包まれた我が家の庭の木陰に、楚々としたピンクの笹ユリが満開だ。

 森の精たちに包まれ泰阜の幸せを頂いて 私は今日も元気になる。

 

風の谷〜泰阜村
心はやれども・・・

 5月,今年の春はやっぱりおかしかった。真夏が来て2,3日後には炬燵やストーブが欲しかった。入居者のお年寄り達も体調が思わしくないようだ。そしてこの老体も10周年記念式典の喧騒が収まっても、いつまでも疲れが取れず今回倒れた。薬の数がまたまた増え、年を取るということはこうゆうことなのだと感じ入った。

 我が庭のヤマボウシが真っ白な花をやっと咲かせ、笹小百合の蕾が大きくなってきた。ゆっくりと密やかに初夏の気配が始まっている。あの浅黄色に包まれた里山は深い緑に変わり、悠々の軒先のツバメの巣の雛たちも大きくなった。悠々の庭には雉の親子が姿を見せるようになった。

 新しいお客様たちの訪問が続き、お問い合わせの電話が増えている。私たちは少ないスタッフで頑張る・・・と言うつもりであったが、一番先にやはりこの年寄りの体が音を上げた。心はやれども,である。

 さて,この人出不足の危機をどう乗り切るか・・・。その時に天は悠々を見捨てなかったようだ。30代の山形出身の若者が悠々とご縁が出来,あれこれと助けていただけることとなった。独り親方と言うのであろうか。大切な彼の家庭を守るために、村の重鎮のあちこちに声がけし,彼の仕事を途切れないように村のみんなでサポートしていこうということになった。

 過疎の村にとって大切な労働力が,私たちを助けてくれると言うのだ。大切に守らなければ罰が当たる,と思う。 

風の谷〜泰阜村    
   記念式典を終えて〜春本番〜

 10周年記念式典を終え、あたりが浅黄色から深い緑の森に代わっているのに気付いた。式典は予想よりずっと多くの御来賓や知人友人の御来席を頂き、大阪坂本病院S院長様からのプレゼントで、和太鼓「MaDaRa]メンバーのジャズのリズムを感じさせる軽快な太鼓演奏は、会場のおしゃべりを止めさせるほど魅了ある音楽であった。

 沖縄のW理事長様からの琉球王朝古酒泡盛での乾杯は、記念品の特注の素敵な桜模様の一合升に入った美酒で参加者の度肝を抜き、その後の歓談の糸口となったほどであった。和やかに入り乱れて話が弾み予定よりも長いお時間をお楽しみいただいた感じがあった。

 お帰りには議員さん達から「先生、10年よう頑張った。これからは応援させてもらうでな・・・」とのお言葉を次々と掛けられ、理事長の目がウルウルとなるほどであった。

 10年は私にとって長かったであろうか。開所式の時の疑惑に満ちた視線(当然だが)を思うと、格段の暖かさを感じる今回であった。くじけないでやってきてよかったと思う。私が掛けた願いは「この地に住むすべての人々に安心を与える事」であった。今にして思えば力不足は明白である。しかし10年を振り返ってみればこの地の人々に、自身の暮らしを(大雪で車が埋り、大雨時倒木が玄関を直撃し、凍結した急坂で脱出不可能になった時駆け付けてくれた事等々)丸ごと抱えてもらっていた安心感がある。

 悠々も多くの組合員さん、ご近所さん隣町の地域包括の方々、そして私の大切な友人たちに支えられ励まされて今日まで幸せであった。そのお力を頂いて私は当初の「誰もが安心して住み慣れた地で住み続けること」ができますように、これからも全力を尽くして頑張っていきたいとお約束した式典が終わった。

 皆様本当に有難うございました。そしてどうぞこれからも応援をよろしくお願いいたします。

 

 この度私共の「高齢者協同企業組合泰阜」の「地域交流センター悠々」の諸事業活動に対し、長野県中小企業団体中央会様より 会長表彰を頂きました。本当に身に余る光栄で、この事業がNPO法人でもなく、社会福祉協議会でもなく企業組合を選んだ理由が、「自分達の幸せは、まず自分たちで工夫して自分たちで勝ち取る努力をする。それでも個人の力が及ばないときこそ公的援助で助けてもらう!を信念に頑張りたいからである。」と申し上げたことが、中央会の役員の皆様の納得を得られたのだとお聞きした。

 嬉しかった、感謝でいっぱいで言葉にはならなかった。「これからは県中央会も後押したい」とS副会長からの直々のお言葉も賜った。悠々の新しい希望である。

風の谷〜泰阜村
  悠々・サポーター達からの変わらぬ愛!

 泰阜村の里山が浅黄色に包まれて、地の底から立ち上るような生命の力を感じる。その泰阜村に、一昨日愛犬を連れて久しぶりに訪れて下さった10年来の組合員にお会いした。愛車ポルシェに乗られて颯爽と自宅の玄関に顔をのぞかせた時、懐かしさで心がいっぱいになった。超が付くほどのご多忙の関西方面の病院経営者である。「元気か?」とまず聞かれる。「え?あ〜、ええ・・・」と答える。「10年経って経営状態は順調に推移しておられるのか?」。痛いところを突かれる。答えに詰まりしどろもどろの口をあうあうさせているともう察してくださって、私の言い訳をじっと目を見ながら耳を傾けて聞いてくださる。

 苦しくないはずがない!それをどうやって切り抜けてきたかを探られて、最後にいつもの私の言い訳「もうだめだと言う時に天が私を見捨てないで、悠々で看取られた子供のないあるお方が、遺言状に理事たちがひっくり返るほどの遺産を寄付してくださって、実はまだ・・・当分の間倒産しません。大丈夫です。それと『この悠々があるから私は安心して歳を取っても最後まで自宅で頑張れる』と言う方がおられるので、頑張れます」。遺言状と聞いてびっくりなさったS氏は、悠々の10年間の主事業が、お年寄りにはデイサロン(デイサービスが苦手な男性群の利用)と食堂(子供たちが帰省すると一家そろって利用&授産所の帰り道に友人との夕食等)、ケア付き民泊(術後退院後の短期入居&家族の都合によるお預かり)等安定的に増えていることなどをお話しして安心していただいた。

 大都会のこのような経営者にとって、10年間無給で働く経営者が、人出のないすべての職種をカヴァーしながら這いつくばって続ける意味について深く考えるとおっしゃった。

 そう、私はこの大自然生命があふれ、四季折々にその見事な顔を見せる神秘の山里が好きなのだ。そしていろいろあるけど、その山里の民たちに愛されて見守られていることで十分幸せなのだと感じていただけたようである。

 「5月13日にはどうしても仕事があって出席できないので顔を見に来たのだけれど、泰阜村は本当に素晴らしい!!」と感動して帰られた。それだけがただ嬉しい。さあ明日からは10周年記念式典の準備に追われる。

 大学教員時代の教え子から次々と式典に飾ってと豪華な胡蝶蘭が届けられ、沖縄の友人医師からは泡盛の樽酒が届き、岩手からは銘酒の6本入りケースが届いている。

 参加できないからとあふれるほどの愛を頂いている。「もう辞めたいなどと言わせない!」・・・「わかったよ!がんばるよ!」

風の谷〜泰阜村    
結婚披露宴三次会?騒動

 春夜「結婚披露宴の後の花嫁さんが疲れるので悠々に泊まりたい」とのお申し出があり、東京からのご友人と二人、夜8時のチェックイン予約が入った。ケア付き民宿?(この場合ゆっくりと疲れを取っていただけるよう算段をしていたーex.美味しい夜食の用意、広い浴室を温めて置く等)まあゆっくりしていただくか・・・と高を括った理事長が手料理を作りお待ちしていた。ところがである。夜の9時を過ぎても姿が現れない。盛り上がった披露宴を抜け出せないのであろうと9時半まで待って、ご紹介いただいた知人に連絡を入れた。「あの、本当にOさんはいらっしゃるのでしょうか?今は披露宴はどうなっているのでしょうか」「私は一次会で帰ったのでそのあとの様子はわかりませんが、ちょっとお電話をしてみましょう」ということになり、現れたのが若ご夫婦と知人、夫の同僚の総勢5名。ぎょぎょぎょ!その上「僕たち何にも食べてませ〜ん。何か食べさせてください!」と叫んでいる。

 用意しているのは二人分、先にお風呂を勧めておいて、急きょ冷蔵庫の中のありあわせのものを工夫して・・・よくあることだが、酔っぱらった夫が、見知らぬ仲間を引き連れて「お〜い、腹減ったぞ、何か食わせろ!」と聞いたことがあったっけ。

 里の母親の気分で腹をくくり、何品かを追加してテーブルに並べた。手作り焼き餃子/煮豚/たっぷり野菜サラダ/酢の物/ご飯に味噌汁・・・好評だったのがお味噌汁で4人そろってお替りし鍋が空になった。テーブルの上が空になったころ「そろそろお風呂に入りませんか?」とやんわりとお勧めし、若者たちには「悠々は、このように若者たちでも食堂や民宿として利用することが可能です!」と宣伝し帰っていただいた。此の夜の理事長の帰宅は深夜12時半。鄙びた民宿のおかみさんになったような気分であった。

 でも心のどこかでこの悠々の近隣に住む人々の誰かが、そっと立ち寄って憩ってみたいそんな場所になれることを願っているのかもしれない・・・.

 


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