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風の谷〜泰阜村  
  身仕舞い・・・のご挨拶をお受けください

 書斎の窓から見える山椒の枝に黄色の小花がまだ暗い色のままでいる森に、春が来たことを告げている。

この春3月31日をもって、南信州の過疎山村泰阜村に「地域交流センター悠々」を設立した創立者が引退することが決まった。

同時に「高齢者協同企業組合泰阜」の6月末日解散の手筈が整い、着々と御仕舞に向かって事務作業が流れ出した。永住入居のお年寄りが四人、短期入居のお年寄り一人はそのままに(村長のお計らいで)悠々に居住できることになった。

 ところが、スタッフの口からひょいと飛び出した「先生はもう居なくなるから・・・」の一言で大混乱となり、お年寄りの一人は「わしはもう死なにゃならんのか・・・」と泣き出し、「先生が居なくなったら私はどこにいったらいいのか・・・」と混乱し、泣きながら「先生よ〜、わしが会いたくなったら何処に行ったらいいんだ、高野山までいかにゃならんのか」、「先生が居なくなったら寂しいよ〜」と見つめられる。「大丈夫だよ、私はこの泰阜村が好きだからどこにも行かないよ。ずっとここに居るから大丈夫」と答える。そして、私はこんなにもこの婆様達を愛していたんだ。こんなにも婆様達から愛されていたんだと思い知ることになった。

 私がこの「悠々」を引退するきっかけになったのは、最後になった昨年の第11回総会終了後、玄関で若き村長が「先生がやってきたこの10年間をおれは決して無駄にしない」の一言を頂いたからである。

 そうだこの村長に「地域交流センター悠々」の後を譲りたい。この村長になら命懸けで守ってきた大切な福祉の思想「年を取っても不自由になっても自分らしく生きる権利」を、具体的に実践することがこの泰阜で継続されるかも知れないと直感したからである。

 もう一つ、その思いが具体的に動き出すきっかけになったのは、10年以上前の大学の教え子達が、突然傘寿の祝いの招待状を送ってきた事に始まる。東京のおしゃれなホテルのレストランに招かれ、「先生、この御年までご苦労様でした。そしてこれからも元気でいて下さい」と祝われて、はじめて数え80歳になったのだと気づかされたのが始まりだった。

 そうだよ、普通80歳になったら現役を引退するもんだよと言われたことに気づいたのだった。

そう気づいていろいろな整理(理事たちに相談する、家族に相談する等)をはじめながら、村長に直訴しに行ったのは総会から半年後この3月の事である。悩み悩み悩んで幾度も回転性眩暈に襲われ、点滴治療で切り抜けてもいたのだった。私の身体も実は悲鳴を上げていたのだ。もういいでしょう、と自分自身に言ってあげることに抵抗が無くなってきた。それが傘寿の祝いだったのである。

 11年半この頑固な余所者の婆さまを受け入れ、支え励まし続けてくださった泰阜村の村民の皆様に、そして陰ながら支え励まし続けてくださった組合員の皆様、友人知人の皆様から受けた御恩を、ここに深甚から感謝を捧げたく思います。

 最後に、この泰阜村での実践を本にまとめて欲しいとのお言葉を村長から頂き、余生の使命とお受けしたいと思います。

私が悠々で出会った方々とどのように暮らしていたか、どのようにお一人お一人と向き合ったかを具体的な事例として書き残すことで皆様のご恩に報いる事が出来たら幸せに思います。

 長い間、このブログを読んで頂けた皆様にも、心から御礼申し上げます。有難うございました。

 

         令和2年3月20日

            地域交流センター悠々 センター長 本田玖美子

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村  
第12回通常総会 総括(1)

11月23日 第12回通常総会が終わった。

 その風景に愕然となった。

 総会成立宣言は91%の組合員出席率をもって成立したが、村内組合員の殆どが年老い安価な他施設への入所、いずれも90歳を過ぎ身体的に総会出席不可、一等々の理由で殆どが委任状出席となった。遠方の組合員ももちろん70代80代と高齢になり、泰阜村までの長距離を移動できない。「いずれ自分たちが泰らかな老後を過ごすための施設」、そのために力を合わせて支えていく仲間が年に一度集う、そんな総会の風景が消えていた。聞くところによると、村内組合員が「悠々に入居するために」と延々と蓄えていた資金も子供たちの家の改修や孫の教育費に当てられてしまったらしい。この10年の間に日本は貧しくなり、子供世代が老父の年金と貯蓄を当てにせざるを得なくなった現実がある。

 当日参加者の顔触れは、組合理事8名、組合員5名、来賓(村長,村議会議長,教育長等)9名・・・10年間このような風景は一度も見られなかった。大切な何かが中心から消えてしまったのか・・・・・。

 あと1年と2ヶ月で私は満80歳になる。年中無休の朝ケアから宿直までをこなす気力・体力・知力の限界を思い知っていた。

同時にこの総会3日後に、93歳のM婆様(入居期間7年9か月,要介護5)を見送った。「皺一つない美しい寝顔のようだ」と最期のお見送りをした人々が口々に囁いた。顧みるとこの10年間悠々で何人ものお年寄りを見送ってきた。全員例外なく美しい寝顔で往かれていった。

 家族のように愛していた大切な人を見送って、肩の荷が下りついでに張り詰めていた心がボロボロと崩れていくのを感じた。そして主治医のところに駆け込み「先生、休みたい!」と叫んだ。主治医の診断書は「病名〇〇〇,1ヶ月の入院加療を要する。放置すれば過労死の危険性がある。」であった。誰も私の療養期間中のスタッフ補充要員を捜すことはできなかった。深刻な問題になっている人手不足はまず過疎の村から蝕みばんでいく。自分で悲鳴をあげて非常勤の方に無理をお願いすることになった。「お願い!1週間だけでいいから助けて。眠りたい・・・」

 1週間、食事とトイレ以外はひたすらベッドで寝て過ごした。

 

 顧みると、もともと本事業は「住み慣れた地で最期まで安心して住み続けるためには何が必要か」を皆で考えて実践していくことだった。

 もちろん、介護保険のさまざまなサービスは充実している。しかしすべてお上にお任せではなくすき間を自分達のささやかな

支え合いによりカバーして「安心して、ここで、皆で、住み続けていこう」という試みだった。

 いま、まさに労働人口は急速に減りつづけて高齢者は急増していく。本組合設立時の問題は解決どころかますます深刻化している。

 それが、発祥地スウエーデンと同じように10年で崩壊にいたるのだろうか。

 自分たち自身で「地域包括ケア」の具体的中身を創出する知恵はもう湧いてこないものだろうか。

 

 万全ではないけれど、再び悠々に帰ってきた。残りの時間を次の誰かに、村に渡すために頑張ろうと思う。

 

 

風の谷〜泰阜村
第12回通常総会…「悠々」存立の意義を問われて

 アルプスに白い冠雪、山里に真っ赤な枝垂れ柿の立ち姿、悠々にも初霜が降り初冬の風景に鎮まった。

今年の秋は大雨で運動会が中止だったり、悠々が緊急避難所になったり、近隣でたくさんの身近なお年寄りの諜報を聞かぬ日はなかった。残されたお年寄りたちの背に荒れた山々の整備作業が重く圧し掛かってきた重い空気の中で、悠々第12回の総会があと2週に迫った。10年前64名在籍した組合員の方々は皆高齢になり、それぞれ病み、亡くなり、そして入所されていた。

 この4月からは常勤スタッフ3人(センター長/週7,ヘルパー1/週5,賄い1/週5.5)と、非常勤スタッフ2人(Ns.1/週1半日,ヘルパー1/週1)宿直2人(空いた穴は理事で穴埋め)で永住入居者5人(90代4人,80代1人:要介護5/1,要介護4/1,要介護1/2,要支援1)身体介護軽度の二人は重度の認知症を抱えている。時々短期入居の方をお受けする。

 このスタッフで、毎日掃除と整備(建坪92坪/敷地1500坪)、洗濯(毎日便尿で汚れた衣類寝具の大洗濯がある)、日に2回のお茶タイムと3食の賄いさん手作りの食事を提供している。

 毎日入れ替わり立ち代わりご近所さんが顔を見せ、新鮮なお野菜や果物を届けていただき、ご家族からはあちこちからの甘いお土産が届けられる。傍で見ていても幸せそうだとわかる。本人たちも「こんな幸せな日が来るなんて、考えてもおらなんだ」と口々にいう。その笑顔と穏やかさにほだされて、ここまでやって来た。そしてわかったことがある。お年寄りの幸せにはいろいろな「催し物」は落ち着かないのだと。いつも家に居たらそうやって暮らしていただろう・・・という生活が、ここ悠々にはある。生活の継続性が悠々の信条である。

 入居者本人たちは幸せで、スタッフもゆったりと幸せに働いている。特別なことをするわけではない。家に居たらそうするであろうことをケアしているにすぎないからである。

 何が間違っているのか。第一の最大の問題は慢性的な赤字経営である。食堂が専門の賄いを雇って1食(入居者@440円,スタッフ@300円,一般@500円)が問題。しかし年寄りとスタッフの唯一の楽しみは食べる事なので、粗末な冷凍総菜をレンジでチンしたものでは耐えられないというのが第一の誘因ではある。しかしこんな人でなしのような食べ物では年寄りが幸せにならない。働く私たちも幸せと働く甲斐がない。

 第2は係る経費に対して入居費が10年前と同じ一日5千円というのが間違いではある。その上消費税が上がった。儲けはなくても経費とトントンになるにはいくらもらったらいいのか。

 第3は、この事業を始めるにあたって、国交省のM専門官から「視察経費(資料込み)は一人@1万円貰うように」とアドバイス頂いたにもかかわらず、当初の山ほど押しかけていただいた視察(同じ福祉を志す仲間と感じた)訪問者からは、(平均1時間ぐらいの説明と施設案内)経費として「えぇ!私たちとてもそんなお金払えません」と拒否され(来てやったのに・・・とのお声が感じられたが)、資料代として2千円が千円になり、ここ数年は資料(パンフレットと写真集@2500円)をプレゼントするようになった。

 某県副知事の視察の際にも、「すみません、当方は民間経営で視察の資料代として2千円頂いているのですが・・・」とおそるおそる伝えると「そんなこと前代未聞です。今までそんな施設には一度もあった事がないが・・・」と言われたが、当方が引き下がらないと知ると、しぶしぶお二人分(副知事と付き添いの方)4000円を頂いたという経緯がある。

 北欧スェーデン、デンマークの視察の際には、1人一施設1万円を要求されたものであった。そのように学び日本になじむ形で研究した成果であって、何必劣るものはないと思っている。

 このように挙げればきりがないほどに、自信喪失が続き、現在まで引きずってしまったということである。

ほんに、理事長失格であった。

 今日も朝ケアに出かける。お年寄り達が「私を見送ってくれよな」と訴える眼差しに曳かれて、今日も頑張る。

あと10日で第12回総会が開かれる。新しい血が加わりますように、新しい若者に参加をと祈りながら今日も頑張る!!

 

風の谷〜泰阜村    
   99歳お婆様「悠々」入居顛末

 山里の朝晩はぐっと冷え込み、長袖上着をそっと羽織りたい気分がする。我が家の猫の額ほどの庭にも秋桜が咲き、秋明菊が咲き、山椒が赤い実をつけ紫式部が小さな花をつけた。山道には一斉にススキの白い穂波がゆれて、もう秋なのだと心嬉しくなる。  さて9月1日に約束の99歳要支援1のお婆様がご家族に連れてこられた。99歳なのにT杖1本で歩かれている(立ち上がりに手すりが必要)。玄関にお迎えに出てびっくりしてしまった。しかし入口に入られて玄関の椅子に座られたまま婆様はそこから1歩も動かない。頑として動かない。  その様子を見て話を聞いた。「どこに連れてこられるのかと思ったら、こんな泰阜の山奥にどんどん連れ込まれて『ここだよばあちゃん。しばらくここに入って居れ』と言われた。わしは家では何でもできる。飯を炊いてもらう以外なにも世話をかけていないのに、なんでわしがこんなところに捨てられにゃいかんのだ」とおっしゃる。そうか御尤もと思い「Kさん、ここは民宿でちょっとの間泊まるお宿なんよ。施設ではないので、ご家族の用事がすんだらすぐに家に帰れるんだに」と伝えるが、「わしはこんなところに捨てられるほど耄碌してない」と言い張る。確かに他の普通の婆様とは雲泥の差の身体能力ではある。その上おっしゃることに一応筋が通っている。その上ご家族はこのお婆様に、嫁が癌の転移で手術をするために入院するということを伝えていないらしい。家に残るは男所帯(長男70代病弱、男孫40代)で婆様一人を家においてはおけないという心情もある。  このやり取りをみて判断したセンター長、「悠々は牢獄でもなく入所施設でもないので、ご本人の納得なしに御受け入れできません。申し訳ありませんが、ご本人を納得させてからもう一度お連れ下さい。」と伝え、一旦自宅に引き取っていただいた。

 さて1時間ほどして今度は孫(たまたま日曜日で家に居た)が強引に連れてきたらしい。さっきとは打って変わってしょんぼりとした婆様が孫の後ろについてきた。何と言い聞かされたのか不明である。たまたま悠々は夕食で、当然夕食テーブルに案内され皆に「お世話になります。よろしくお願いいたします」と頭を下げ、食事を食べ始めたのを見て、孫はさっと引き上げてしまった。孫の姿が見えなくなったとたんに、婆様の口から雪崩のような愚痴が流れ出て止まらない。食事の間中、終わってもお仲間の人たちを引き留めたまま同じ愚痴が止まらない。「わしは息子と嫁に騙されてこんなところに捨てられてしもうた。もう生き過ぎた。死んでしまいたい。息子が入院するで一晩泊まってこいと言われたのに、何の支度もしてこなかった。ちゃんと言ってくれれば自分であれもこれも支度したのに・・・etc」 しばらくして自室に帰りたいという入居者が引き取ってしまい独りになったK婆様、やっと腰を上げ自室にご案内し夕ケアをお手伝いし、パジャマに着替えて(いつの間にこんなもの持ってきたのかと怒りつつ)ベッドに入られた。  さぞかし一人ぼっちで眠ることもままならない夜を過ごされた事であろうと、家族とのコミュニケーションの行き違いで身の置き所もない状態で苦しんでいるのを見ながら、悠々スタッフとしてもどうしようもなく共に苦しむ4日間が続いた。 その4日間、入居者の婆様達は、入れ代わり立ち代わり食事やお茶の際に、繰り返される同じ愚痴を聞き続けていた。ほんとうにすごいのは、この入居者のお婆様たち4人の優しさである。「ふんふん、そうかそうか」と自分のことのように共感している。みんな苦労してここまで生きてきた、そして現在は納得しているけれど、自分も入居当時は、なんで自分だけが住み慣れた自宅からこんなところに捨てられなければならないのかと思っていた同志だったからなのであろうか・・・。 しかしKさんの滝の流れのような愚痴の繰り返しは止まらない。入居者の血圧が揃って上がってきたのだ、ここで止めなければ大変なことになるとセンター長は息子の携帯電話に連絡し来所を促した。「ご本人が『息子と嫁に捨てられた。死んでしまいたい』といって苦しまれています。そのKさんの愚痴を聞いてあげている入居者の血圧が上がってきて危ない状態になっていますので、大変でしょうがぜひご本人を納得させるためにもう一度お話を(本当のことを)してあげて下さい」と告げた。来所した長男は、自室で二人きりになると途端に怒鳴り声になって来たので、センター長として介入させてもらうことになった。

 本田「先ほど、お嫁さんが入院し大変な手術をしたところだとお伺いしました。その付き添い等でゆっくりお母さんと話が出来なかった経緯についてお話を聞かせてあげてください」

 長男「本当は、自分ではなく、嫁が癌で入院し、昨日手術したところなんだ。御婆さんには心配かけたくなかったので、自分が入院するといって、その間ちょこっと悠々に面倒を見てもらうつもりだったんだ」

 K婆様「なんだ、お前じゃなくて嫁か、嫁がそんなことになっていたとは知らなんだ。そんなことならちゃんと訳を話してくれたら、わしだってこんなに大騒ぎしなくて済んだのに。そうか嫁がそんなに悪かったのか・・・」

長男はそれまでの嫁姑関係から、嫁のために我慢することはない姑であろうと判断し、自分(長男)が入院することになったからという理由で、99歳の要支援(認知症重度/性格的に独立心旺盛)のお婆様を悠々に短期入居を依頼されたということであった。

 その期を境にして、愚痴はピタッと止まった。賢いK婆様は本領を発揮され「こんなことなら自分が変わってやりたかった。100まで生きていることはない。わしが変わって死んでやりたい」と落ち込んでいた。

 どの時代でも難しいと言われる嫁姑関係、しかしそこが家族というものであろうか。実は嫁の身を案じて落ち込むほどの愛を隠していたということなのであろう。

 翌日からのK婆様、想像もできないほどの穏やかなお顔をして、ずーっと前から常連の入居者であったかのように、混じって落ち着かれた。皆で食べる食事が美味しいという。スタッフとのやり取りも平安である。

 約1ヶ月のお嫁さんの退院と入れ替わって、K婆様は念願の自宅に帰られ、入れ替わりにその個室には術後のお嫁さんが療養のために入居なさることが決まった。

 「そんなことができるなんて、知りませんでした。家族がどれほど助かるかわかりません。よろしくお願いいたします」と帰途に着かれた。一つの家族の難事に悠々が少しだけお手伝いできることが嬉しい。

   

風の谷〜泰阜村    
   暑い夏・「悠々」の応援団

 TVニュースで、とうとう高齢者が熱中症で死亡(室内で)というニュースが飛び込んできた。恐れていたことが起き始めた。山国の南信州泰阜村では、昔は夜は長袖の寝間着を着て、戸を閉めて夏布団を掛けないと朝方は寒くて目が覚めたものだった。だから高齢者だけの家ではあまりクーラーを入れている家は少ない。(電気代がもったいないのでめったにスウィッチを入れない)。日中雨上がりの(今年は雨が多い)部屋の中は山からの涼風も止まり、蒸し風呂にいるようだとの表現がぴったりくるようになった。その上夜、信じられないだろうが、年寄りは寝間着の下に長い丈の股引(ネル/flannel)をしっかりと履き、長袖の肌シャツを着ている人が多い。(悠々でも夕方薄物に着替えさせても、朝方しっかりと長袖セットをお召しになっているが)そんな恰好で昔のように戸を閉てて寝ている姿を想像するだけで、胸が詰まる。

 悠々では今全館クーラーを28度に設定している。電気代は月額20万を軽く超えるが、お年寄りたちの命の値段だと思えば高くないと思っている。その上毎日朝晩ソフトアイスノンを一人一人の枕の下に入れることにしている。こうしておけば、「夜男が入ってくる」とか、「夜男に覗かれる」と言って個室の戸と襖に筋交いを中からかけていたとしても、体を冷やせば何とか熱中症から救えるのではないかとの考えである。事実これは好評で、年寄りたちはよく眠れると言ってくれる。

 さてお盆が目の前に来た。夫の新盆を控えた婆様は、そのことで心身が絶不調である。自由にならないわが身を悔いている。他人の我々ではどうしようもないところが歯がゆい。お年寄りを抱えていると身内の新盆に思うようにならない不幸を嘆く光景に出会うことが多い。我らケアの奉仕団は、「うんうん」と傍にいて手を握ったり、背をさすったりしながらその煩悶に寄り添うしかない。

 その悠々には、夏の甲子園のあの応援団のように力強い応援団が居て、膝丈まで伸びてしまった一面の夏草を汗みどろになりながら、ささっとやってくれるボランティアさん、毎月1回開催の「生活リハビリ教室」には、休みを取って賄いの応援に来てくれる家族ボランティアさんがいる。この夏は、様々な採れたて夏野菜の寄付があった。トマト,きゅうり,インゲン,オクラ,トウモロコシ,大玉スイカ,夏大根,坊ちゃんカボチャ,ジャガイモ,紫玉ねぎ・・・等々である。

 悠々の貧しさは村の隅々まで知れ渡っているらしく、自分の家族用菜園からの直送品が届けられる。

これがどんなに嬉しいか、頂いた野菜で今日はどんな献立にしようかと頭をひねるのも楽しみの一つである。

この時期は村外の応援団からも様々なお届け物がある。珍しい果物,ソーメン,冷菓,・・・何よりもうれしいのは夏休みに子供たちを連れて悠々でその賑やかな声で私たちに元気を下さる友人たちの訪問である。

 「悠々応援団」に支えられて私たちも頑張れる。

 皆様,遅まきながら暑中お見舞い(残暑?)申し上げます。そして日頃の応援に心からの感謝を捧げます。

 


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