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風の谷〜泰阜村
第12回通常総会…「悠々」存立の意義を問われて

 アルプスに白い冠雪、山里に真っ赤な枝垂れ柿の立ち姿、悠々にも初霜が降り初冬の風景に鎮まった。

今年の秋は大雨で運動会が中止だったり、悠々が緊急避難所になったり、近隣でたくさんの身近なお年寄りの諜報を聞かぬ日はなかった。残されたお年寄りたちの背に荒れた山々の整備作業が重く圧し掛かってきた重い空気の中で、悠々第12回の総会があと2週に迫った。10年前64名在籍した組合員の方々は皆高齢になり、それぞれ病み、亡くなり、そして入所されていた。

 この4月からは常勤スタッフ3人(センター長/週7,ヘルパー1/週5,賄い1/週5.5)と、非常勤スタッフ2人(Ns.1/週1半日,ヘルパー1/週1)宿直2人(空いた穴は理事で穴埋め)で永住入居者5人(90代4人,80代1人:要介護5/1,要介護4/1,要介護1/2,要支援1)身体介護軽度の二人は重度の認知症を抱えている。時々短期入居の方をお受けする。

 このスタッフで、毎日掃除と整備(建坪92坪/敷地1500坪)、洗濯(毎日便尿で汚れた衣類寝具の大洗濯がある)、日に2回のお茶タイムと3食の賄いさん手作りの食事を提供している。

 毎日入れ替わり立ち代わりご近所さんが顔を見せ、新鮮なお野菜や果物を届けていただき、ご家族からはあちこちからの甘いお土産が届けられる。傍で見ていても幸せそうだとわかる。本人たちも「こんな幸せな日が来るなんて、考えてもおらなんだ」と口々にいう。その笑顔と穏やかさにほだされて、ここまでやって来た。そしてわかったことがある。お年寄りの幸せにはいろいろな「催し物」は落ち着かないのだと。いつも家に居たらそうやって暮らしていただろう・・・という生活が、ここ悠々にはある。生活の継続性が悠々の信条である。

 入居者本人たちは幸せで、スタッフもゆったりと幸せに働いている。特別なことをするわけではない。家に居たらそうするであろうことをケアしているにすぎないからである。

 何が間違っているのか。第一の最大の問題は慢性的な赤字経営である。食堂が専門の賄いを雇って1食(入居者@440円,スタッフ@300円,一般@500円)が問題。しかし年寄りとスタッフの唯一の楽しみは食べる事なので、粗末な冷凍総菜をレンジでチンしたものでは耐えられないというのが第一の誘因ではある。しかしこんな人でなしのような食べ物では年寄りが幸せにならない。働く私たちも幸せと働く甲斐がない。

 第2は係る経費に対して入居費が10年前と同じ一日5千円というのが間違いではある。その上消費税が上がった。儲けはなくても経費とトントンになるにはいくらもらったらいいのか。

 第3は、この事業を始めるにあたって、国交省のM専門官から「視察経費(資料込み)は一人@1万円貰うように」とアドバイス頂いたにもかかわらず、当初の山ほど押しかけていただいた視察(同じ福祉を志す仲間と感じた)訪問者からは、(平均1時間ぐらいの説明と施設案内)経費として「えぇ!私たちとてもそんなお金払えません」と拒否され(来てやったのに・・・とのお声が感じられたが)、資料代として2千円が千円になり、ここ数年は資料(パンフレットと写真集@2500円)をプレゼントするようになった。

 某県副知事の視察の際にも、「すみません、当方は民間経営で視察の資料代として2千円頂いているのですが・・・」とおそるおそる伝えると「そんなこと前代未聞です。今までそんな施設には一度もあった事がないが・・・」と言われたが、当方が引き下がらないと知ると、しぶしぶお二人分(副知事と付き添いの方)4000円を頂いたという経緯がある。

 北欧スェーデン、デンマークの視察の際には、1人一施設1万円を要求されたものであった。そのように学び日本になじむ形で研究した成果であって、何必劣るものはないと思っている。

 このように挙げればきりがないほどに、自信喪失が続き、現在まで引きずってしまったということである。

ほんに、理事長失格であった。

 今日も朝ケアに出かける。お年寄り達が「私を見送ってくれよな」と訴える眼差しに曳かれて、今日も頑張る。

あと10日で第12回総会が開かれる。新しい血が加わりますように、新しい若者に参加をと祈りながら今日も頑張る!!

 

風の谷〜泰阜村    
   99歳お婆様「悠々」入居顛末

 山里の朝晩はぐっと冷え込み、長袖上着をそっと羽織りたい気分がする。我が家の猫の額ほどの庭にも秋桜が咲き、秋明菊が咲き、山椒が赤い実をつけ紫式部が小さな花をつけた。山道には一斉にススキの白い穂波がゆれて、もう秋なのだと心嬉しくなる。  さて9月1日に約束の99歳要支援1のお婆様がご家族に連れてこられた。99歳なのにT杖1本で歩かれている(立ち上がりに手すりが必要)。玄関にお迎えに出てびっくりしてしまった。しかし入口に入られて玄関の椅子に座られたまま婆様はそこから1歩も動かない。頑として動かない。  その様子を見て話を聞いた。「どこに連れてこられるのかと思ったら、こんな泰阜の山奥にどんどん連れ込まれて『ここだよばあちゃん。しばらくここに入って居れ』と言われた。わしは家では何でもできる。飯を炊いてもらう以外なにも世話をかけていないのに、なんでわしがこんなところに捨てられにゃいかんのだ」とおっしゃる。そうか御尤もと思い「Kさん、ここは民宿でちょっとの間泊まるお宿なんよ。施設ではないので、ご家族の用事がすんだらすぐに家に帰れるんだに」と伝えるが、「わしはこんなところに捨てられるほど耄碌してない」と言い張る。確かに他の普通の婆様とは雲泥の差の身体能力ではある。その上おっしゃることに一応筋が通っている。その上ご家族はこのお婆様に、嫁が癌の転移で手術をするために入院するということを伝えていないらしい。家に残るは男所帯(長男70代病弱、男孫40代)で婆様一人を家においてはおけないという心情もある。  このやり取りをみて判断したセンター長、「悠々は牢獄でもなく入所施設でもないので、ご本人の納得なしに御受け入れできません。申し訳ありませんが、ご本人を納得させてからもう一度お連れ下さい。」と伝え、一旦自宅に引き取っていただいた。

 さて1時間ほどして今度は孫(たまたま日曜日で家に居た)が強引に連れてきたらしい。さっきとは打って変わってしょんぼりとした婆様が孫の後ろについてきた。何と言い聞かされたのか不明である。たまたま悠々は夕食で、当然夕食テーブルに案内され皆に「お世話になります。よろしくお願いいたします」と頭を下げ、食事を食べ始めたのを見て、孫はさっと引き上げてしまった。孫の姿が見えなくなったとたんに、婆様の口から雪崩のような愚痴が流れ出て止まらない。食事の間中、終わってもお仲間の人たちを引き留めたまま同じ愚痴が止まらない。「わしは息子と嫁に騙されてこんなところに捨てられてしもうた。もう生き過ぎた。死んでしまいたい。息子が入院するで一晩泊まってこいと言われたのに、何の支度もしてこなかった。ちゃんと言ってくれれば自分であれもこれも支度したのに・・・etc」 しばらくして自室に帰りたいという入居者が引き取ってしまい独りになったK婆様、やっと腰を上げ自室にご案内し夕ケアをお手伝いし、パジャマに着替えて(いつの間にこんなもの持ってきたのかと怒りつつ)ベッドに入られた。  さぞかし一人ぼっちで眠ることもままならない夜を過ごされた事であろうと、家族とのコミュニケーションの行き違いで身の置き所もない状態で苦しんでいるのを見ながら、悠々スタッフとしてもどうしようもなく共に苦しむ4日間が続いた。 その4日間、入居者の婆様達は、入れ代わり立ち代わり食事やお茶の際に、繰り返される同じ愚痴を聞き続けていた。ほんとうにすごいのは、この入居者のお婆様たち4人の優しさである。「ふんふん、そうかそうか」と自分のことのように共感している。みんな苦労してここまで生きてきた、そして現在は納得しているけれど、自分も入居当時は、なんで自分だけが住み慣れた自宅からこんなところに捨てられなければならないのかと思っていた同志だったからなのであろうか・・・。 しかしKさんの滝の流れのような愚痴の繰り返しは止まらない。入居者の血圧が揃って上がってきたのだ、ここで止めなければ大変なことになるとセンター長は息子の携帯電話に連絡し来所を促した。「ご本人が『息子と嫁に捨てられた。死んでしまいたい』といって苦しまれています。そのKさんの愚痴を聞いてあげている入居者の血圧が上がってきて危ない状態になっていますので、大変でしょうがぜひご本人を納得させるためにもう一度お話を(本当のことを)してあげて下さい」と告げた。来所した長男は、自室で二人きりになると途端に怒鳴り声になって来たので、センター長として介入させてもらうことになった。

 本田「先ほど、お嫁さんが入院し大変な手術をしたところだとお伺いしました。その付き添い等でゆっくりお母さんと話が出来なかった経緯についてお話を聞かせてあげてください」

 長男「本当は、自分ではなく、嫁が癌で入院し、昨日手術したところなんだ。御婆さんには心配かけたくなかったので、自分が入院するといって、その間ちょこっと悠々に面倒を見てもらうつもりだったんだ」

 K婆様「なんだ、お前じゃなくて嫁か、嫁がそんなことになっていたとは知らなんだ。そんなことならちゃんと訳を話してくれたら、わしだってこんなに大騒ぎしなくて済んだのに。そうか嫁がそんなに悪かったのか・・・」

長男はそれまでの嫁姑関係から、嫁のために我慢することはない姑であろうと判断し、自分(長男)が入院することになったからという理由で、99歳の要支援(認知症重度/性格的に独立心旺盛)のお婆様を悠々に短期入居を依頼されたということであった。

 その期を境にして、愚痴はピタッと止まった。賢いK婆様は本領を発揮され「こんなことなら自分が変わってやりたかった。100まで生きていることはない。わしが変わって死んでやりたい」と落ち込んでいた。

 どの時代でも難しいと言われる嫁姑関係、しかしそこが家族というものであろうか。実は嫁の身を案じて落ち込むほどの愛を隠していたということなのであろう。

 翌日からのK婆様、想像もできないほどの穏やかなお顔をして、ずーっと前から常連の入居者であったかのように、混じって落ち着かれた。皆で食べる食事が美味しいという。スタッフとのやり取りも平安である。

 約1ヶ月のお嫁さんの退院と入れ替わって、K婆様は念願の自宅に帰られ、入れ替わりにその個室には術後のお嫁さんが療養のために入居なさることが決まった。

 「そんなことができるなんて、知りませんでした。家族がどれほど助かるかわかりません。よろしくお願いいたします」と帰途に着かれた。一つの家族の難事に悠々が少しだけお手伝いできることが嬉しい。

   

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   暑い夏・「悠々」の応援団

 TVニュースで、とうとう高齢者が熱中症で死亡(室内で)というニュースが飛び込んできた。恐れていたことが起き始めた。山国の南信州泰阜村では、昔は夜は長袖の寝間着を着て、戸を閉めて夏布団を掛けないと朝方は寒くて目が覚めたものだった。だから高齢者だけの家ではあまりクーラーを入れている家は少ない。(電気代がもったいないのでめったにスウィッチを入れない)。日中雨上がりの(今年は雨が多い)部屋の中は山からの涼風も止まり、蒸し風呂にいるようだとの表現がぴったりくるようになった。その上夜、信じられないだろうが、年寄りは寝間着の下に長い丈の股引(ネル/flannel)をしっかりと履き、長袖の肌シャツを着ている人が多い。(悠々でも夕方薄物に着替えさせても、朝方しっかりと長袖セットをお召しになっているが)そんな恰好で昔のように戸を閉てて寝ている姿を想像するだけで、胸が詰まる。

 悠々では今全館クーラーを28度に設定している。電気代は月額20万を軽く超えるが、お年寄りたちの命の値段だと思えば高くないと思っている。その上毎日朝晩ソフトアイスノンを一人一人の枕の下に入れることにしている。こうしておけば、「夜男が入ってくる」とか、「夜男に覗かれる」と言って個室の戸と襖に筋交いを中からかけていたとしても、体を冷やせば何とか熱中症から救えるのではないかとの考えである。事実これは好評で、年寄りたちはよく眠れると言ってくれる。

 さてお盆が目の前に来た。夫の新盆を控えた婆様は、そのことで心身が絶不調である。自由にならないわが身を悔いている。他人の我々ではどうしようもないところが歯がゆい。お年寄りを抱えていると身内の新盆に思うようにならない不幸を嘆く光景に出会うことが多い。我らケアの奉仕団は、「うんうん」と傍にいて手を握ったり、背をさすったりしながらその煩悶に寄り添うしかない。

 その悠々には、夏の甲子園のあの応援団のように力強い応援団が居て、膝丈まで伸びてしまった一面の夏草を汗みどろになりながら、ささっとやってくれるボランティアさん、毎月1回開催の「生活リハビリ教室」には、休みを取って賄いの応援に来てくれる家族ボランティアさんがいる。この夏は、様々な採れたて夏野菜の寄付があった。トマト,きゅうり,インゲン,オクラ,トウモロコシ,大玉スイカ,夏大根,坊ちゃんカボチャ,ジャガイモ,紫玉ねぎ・・・等々である。

 悠々の貧しさは村の隅々まで知れ渡っているらしく、自分の家族用菜園からの直送品が届けられる。

これがどんなに嬉しいか、頂いた野菜で今日はどんな献立にしようかと頭をひねるのも楽しみの一つである。

この時期は村外の応援団からも様々なお届け物がある。珍しい果物,ソーメン,冷菓,・・・何よりもうれしいのは夏休みに子供たちを連れて悠々でその賑やかな声で私たちに元気を下さる友人たちの訪問である。

 「悠々応援団」に支えられて私たちも頑張れる。

 皆様,遅まきながら暑中お見舞い(残暑?)申し上げます。そして日頃の応援に心からの感謝を捧げます。

 

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    6人目の入居希望者顛末

 真夏の蒸し暑さの最中に一人の女性が悠々の玄関に立った.思いつめたようなその瞳に圧倒されて休憩時間のドアを開けた。その日は朝7時からの独りケアを夜7時まで継続するという日で、80歳手前の年寄りには多分大事な休憩だった。

 しかし、「もう満室と聞いてきたが、家の年寄り(98歳,女性)を預ってもらえるところはどこにもないので、どうしても預かってもらうことはできないかと来てみたんです」という。その方は69歳のお嫁さん、癌の治療が3クール済んだところで、9月1日から再治療のため入院が決まっているという。

 何という事だろうか。これほどの苦しみを背負いながらも、留守中の98歳の年寄り(要支援1)の身を心配しなければならないなんて。聞きながら、なんという優しいお嫁さんがいるものだと感動のあまり言葉を失った。

 しかし次の瞬間、「悠々は、貴方のような方のお手伝いをするために作られたのです。おそらくその要支援のお婆ちゃんは『わしゃ何でもできる』と確信をもっておしゃる事と思われますが、70代の夫(定年退職後/農業)と40代(会社員)の息子さんだけでは、98歳のお婆ちゃんを見守りながら(失禁+漏便等有)、家事一切をこなすのは長続きしないであろう事が想像できますので、そのお婆ちゃんを取り合えず1ヶ月のショートステイでお預かりいたしましょう」と告げないではいられなかった。

 「そのお婆ちゃんが、1ヶ月の滞在を経験して、『ここは良いとこだ。もうちょこっと居たい』とおしゃって頂けるようなら、永住入居に切り替えるというのはどうでしょうか」と提案し、彼女の入院前の9月1日に入居を決定した。

 「私たちのような事情を抱えて困っている人が大勢いるのに、皆悠々のことを知りません」と言われる。

空き部屋はあと一つ、でも今の悠々はもう空き部屋があるの話どころではなく、個性豊かな(頑固な)お婆様たちのお世話を一人介助でやり遂げられるだろうかという問題なのである。

 現場のケアの厳しさは、体験したものでなければわからない。個性を尊んで一人一人に寄り添いながら、その命の最後を伴走していくという仕事には「命に対する愛」以外の何物も力とはなりえないのだから。

 不思議なことに、ケアする者には人権なんて存在しないのではないのかという瞬間があるということを、世の施設管理者らは御存じであるのか問いたいが・・・.

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    お婆さま(95歳)の誕生日に・・・

 昨日の台風は、小さいとはいえ南信州を直撃かというコースを辿っていた。村民たちはお祭り当日というので皆ヤキモキしてTV画面の台風情報を見つめていた。

 ところが直撃覚悟で見入っているTVからは、突然のように「台風は温帯低気圧になりました」というではないか。ほっと安心、しかし大雨は継続中ということで、楽しみにしていた花火は早々と中止になった。

 一夜明け、この蒸し暑さはどうだろう。見渡す限りの靄、霧・・・雲、やがて太陽が顔を出し蒸し暑さが倍増した。早々と悠々では全館冷房を入れ、婆様たちを熱中症から防衛しているが、自宅にいるお年寄りは、どのようにこの極端な気候変動を凌いでいるのだろうかと心配でたまらない。

 昨日は最年長のお婆様(Mさん95歳)の誕生日であった。大きな花束とデコレーションケーキを目の前にしてびっくり仰天のお婆様、周りのみんなも笑顔笑顔で、ハッピバースデイ(お誕生日おめでとうに翻訳)の歌を手拍子に合わせて歌った。実は昼ご飯は、本人の要望で握りずし弁当をみなぺろりと食べていたのだが、実は悠々では、3時のお茶の時間がお誕生日会本番となるのだ。

 お婆様曰く「わしは95年も生きてきて、自分は生き過ぎたと思っていたが、今日は生まれて初めて、この年寄りの命の長さをおめでとうと祝ってもらって、考えが変わった。わしはここでもう少し生きてみたいと思えるようになった。お迎えが来るまでわしはここにお世話になって生きさせてもらいたい。お世話になるがよろしくお願いします」と初めて、お年寄りからのを、生きていることを寿ぐ言葉を頂いた。

 その方は、もう一つ大切な言葉を添えられた。「先生、この仕事、儲けを考えていたら出来ん仕事だの・・・。先生、わしは先生にに出会えてよかった」と。

 

 ここまで天から自分に任せられた命を愛してきてよかったと、本当に思った瞬間だった。

 

 

 

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   理事会顛末

大雨による災害注意情報がしばしば伝えられる今年の異常気象、雨の合間にカナカナ蝉の鳴き声が林の中に響いてハットさせられる。あちこちで初盆を迎える家の話が聞かれる時期だというのに、寒かったり暑かったりで夏が来たという気がしない。

 今年はなぜか道の端や野にニッコウキスゲの花ばかりが目立つ、秋に愛らしい顔をみせる撫子が一輪咲いているのを見つけた。

そして肝心の稲は、棚田で青いままの立ち姿で途方にくれているように映る。不安な日本の、自然の恵みに寄りかかっている過疎山村である。入居者も毎日窓の外を見ては、寒い暑いと着るものがちぐはぐで不安定な様子を見せる。

そのなかで悠々の理事会も創立から今月で128回を迎えた。

 わが悠々の理事会・議事次第の添付資料は常に10枚を超えるものである。その月の具体的なデーターがすべて明らかにされている。それによって理事たちは、否応なく悠々の入居者状況と、それにかかわるスタッフの勤務状況、建物に係る修理状況、開催された事業内容等を把握することになる。11年間ずっとそうしてきた。

 先回の理事会で大きな動きがあった。それは本田にとって夢に見た(待ちに待った)出来事であった。

それは、8月22日に岐阜県白川町から本田に、「地域交流センター悠々」の実践について話に来てほしいという要請が入ったことによるものである。その発端は、白川町で地域交流センターを建ててしまったが、実は具体的な中身をどのようにしたらいいのかわからないということであった。話を聞いて何という金持ちの自治体のすることかと内心びっくり仰天してしまった。

 本田が泰阜村前村長に「地域交流センター泰阜」を作りたいという計画書を提出したのが2004年5月、それは当時大学教員であった本田がスライド原稿を持ち込んで、この計画の必要性、在宅福祉の村泰阜でこそこれを日本に先駆けて作らせてもらいたいと懇願したものであった。それから国土交通省の補助金を得て「地域交流センター悠々」が 建ったのが2008年12月、その前準備として2007年に厚生労働省の補助金を得て泰阜村全住民(82%)を対象に訪問調査を実施、その調査結果を基に具体的な事業計画を立て、開所式を経てスタートしたのが2009年5月である。実に5年の準備期間を必要としたものである。

 人様の前で何とか悠々についてその経緯を話すことが出来そうだと思われるのは10年経ったつい最近である。

白川町では、泰阜村と共同で第二悠々のようなものを手掛けたいと申されるが、そこで理事たちの言。

 理事「えぇ!村との悠々の指定管理者の契約は5年じゃないのか?その続きをやるのか?」

 本田「えぇ!ちょっと待ってください。5年で悠々は終わるのですか?それでは今何のために死に物狂いで私はやっているのですか?5年後には日本の高齢化率はもっと上がり、介護保険の条件はもっと厳しくなることが十分予想されます。今でも要介護三より軽い人、認知症の人、精神障碍者の人は利用できません。子供たちが看てくれる時代はもうとっくに終わっています。皆様方は実際そのことを自分のこととしてどう思っておられるのですか?」

 理事「そ−だよな。子供たちは看てくれんよな。だがこの村じゃ悠々の入居費用15万5千円(消費税は外税)を年金で払える奴は誰もおらんぜ。せいぜい10万円までだな。実際おれは入れんし・・・」

 理事「それには定住自立圏という基金があるらしいです」とHDr.が具体的な「悠々第二次事業案」を提案し、それを村長・副村長に要請しようということになった。

 具体的に悠々を自分たちのものにするために、村民の幾人かが自分たちの自治体の長に要請するという動きに繋がったのである。

 

元理事長さん、命を懸けて頑張ってきてよかったね。

 

風の谷〜泰阜村  
「家族会」と言う名のボランティア

 泰阜村の街道と言う街道に可憐な黄花コスモスが群生し、日陰にホタルブクロの花が揺れ、我が家隣の林道の笹ユリが散っていって、南信州の初夏が終わり本格的な梅雨に突入した。ところがこの梅雨、しとしとと降るとは大違いで、毎週のように大雨注意報が発令され、ざあざあと降ってからりと晴れ、夏のギラギラとした日差しが田や畑に照り付ける。表面は濡れるが流れた水はじっくりと地に吸い込まないので、作物に水が足りないという現象が今年も起きているようだ。(部落の集会で水争いの話がもう出てきた)

 季節は栗の花の満開(ひげ爺)が至る所で見られるようになり、深い緑に包まれて夏を迎える気配がする。

 さて、悠々の庭の片隅に先代の入居者が開拓した二坪ほどの菜園に、今年もきゅりとトマト、ナスが実をつけ始めた。

近在の理事さんが、入居者の婆様たちの散歩時の気晴らしにと、手入れについていろいろケアスタッフに指示をしている。半端じゃないほどの忙しさの中で、ケアスタッフは肥料の撒き方、水のやり方を伝授されているようだ。

悠々の軒先には燕が三番巣というそうだが、同じ巣で三回目の子作りの姿が見えて、婆様たちを喜ばせている。

 さて、このほどこの悠々の190坪ほどの敷地の草刈り(2ヶ月でもう膝丈まで伸びた雑草)が、気づかぬ間にささっと一掃されていた。この仕事人は入居者の親族のお一人であった。

 センター長「申し訳ない、私たちが出来ないので業者にお願いしようと思っていたところなのです」とお礼(お詫び)を伝えると、Hさん「いやいやこれはお世話になっている私たち家族会の仕事と思っているんです」と言う。

えぇ!「家族会?」そんなのいつ出来たんだ。「重度認知症の叔母のお世話、有難くて、申し訳なくて、何かお手伝いをしたいが、これぐらいしか私らには出来んので」「・・・・」

 10年間の悠々の中で、しばらく途絶えていたボランティアさんが現れた。自発的に表れたのだ。本物のボランティアとはこのことをいうのだと知った。「悠々を潰さないために、私らができることは何かと考えたんです」とHさんは言う。

 お預かりしたお年寄り一人一人を大切にするケアを、存続して欲しいと願う家族がここに居たのだと知って、支えられ元気になる。さあ今日も頑張るぞ!

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   〜研究者魂に火がついて〜

 6月中旬、大雨警報の出ている神戸にむけ、緑の森の中に笹百合が16本も咲いている我が山荘を後ろ髪を引かれる思いで出発した。憧れの神戸でしかも第56回日本リハビリテーション医学会学術集会の座長にとの招聘であった。医療ソーシャルワーカーであったが、医師団の学術集会に座長へと招聘されたのは28年間の学会員生活の中で初めてである。かつて中部圏F大学と、関西圏H大学の医学部リハビリテーション医学教室に研究生として9年間所属し、研究発表、学術論文を発表していた経緯があるものの、1人のソーシャルワーカーが医師団の主催する【社会復帰・復職・更生】セッションの座長の席に着いたのは、初めてであった。やっとリハビリテーション医療の分野において、ソーシャルワーカーが専門職種として受け入れられたのかという感慨がある。

 

  さて悠々では、この名誉あるお誘いを受けて、取り合えずセンター長の悠々365日勤務をどう調整するかの課題が勃発した。

理事会にて、センター長出張許可とその2日間の勤務体制の補充をどうするかの議題を出した。

(今後予想される理事・センター長365日出勤体制における体調不良の際の非常時代替勤務者確保の件)

現体制は、5月半ばから受け入れた常勤ケアスタッフ1名・4日/週(am9時〜pm6時/早朝ケア困難)、常勤賄いスタッフ1名(5日半/週am6時〜pm6時/但し昼休み休憩4時間)+非常勤ケアスタッフ2名(看護師スタッフam7時〜12時半・1回/週)+(介護ヘルパースタッフam7時〜pm4時・1回/週)のみである。

  これに対して理事会からの提案は以下の4点であった。

〕弉雜遑気瞭居者に対し、センター長出張中1泊2日のショートステイ導入し、留守中のケア負担を軽くする。これにかかる費用は、全額当組合にて負担する。

△海両魴錣髻⇒弉雜遑気Mさんのご家族に提示しショートステイ利用の許可を取る。

ご本人にも(脳梗塞再発による右片麻痺は残存するものの認知症はなく、意識は清明)この緊急事態を伝え、ショートステイ利用の快諾を得る(泰阜出身だがご本人は名古屋で人生の殆どを過ごし、泰阜住民との交流はない)。入居以来6年間地域の高齢者との交流機会が少なかった。

 一方勤務体制は、当日の朝ケアから夕ケア(am7時〜pm6時/含休憩3時間)までの丸一日を非常勤ケアスタッフが応援し、賄いスタッフも休みを返上して丸一日の勤務(朝6時〜夕6時/含休憩4時間)を応援してくれることになった。さらにショートステイへの送迎は、理事のお一人が快諾し、センター長となった本田を本来の研究者への場に送り出していただけることになった。

 これが決定し学会出席が可能となってから、本田の心に猛然と研究意欲が湧きだし、従来の中山間地域泰阜村の実態調査への追跡調査の学会発表に挑戦した。残る時間は数日(最後の3日間は昼夜睡眠時間無で驚異の研究時間を確保)、村長の許可を得(村長、副村長、福祉課長等との協議の結果)2007年調査時に調査協力を得られた住民世帯714世帯/1817人(82.77%)の帰趨(死亡,入所,転出,転入,出生)について住民台帳から調査した。

 その結果、2014年の追跡調査時には限界集落が5集落から10集落に増加し、消滅集落の発現が危惧されていたものの、12年後の今回の調査では消滅部落は存在しないことが明らかになった。それはギリギリのところで〇匐,燭舛親の住むふるさとへ介護のために帰ってくる実態と、大都会から子供たちの育児のために大自然の溢れる泰阜村へ転入する家族等が、好んで限界集落の空き家へ(村が買い取って住宅改修している)転入を希望しているからであった。さらには、そのような大自然に囲まれた自然の中で子供たちを教育することを目標に30年前に立ち上がったNPO法人グリーンウッド(通称だいだらぼっち)が時代の風を受け、その主要な事業の一つである【山賊キャンプ/3日間コース,1週間コース,1ヶ月コース,3ヶ月コース等】が盛況で、年間2千人ほどの参加者を選抜するほどになり、参加した子供たちが都会に戻りたがらないという(そうありなん・・・)経過もあり、リピーターの子供たちがやがては大学生になり泰阜にボランティアとして戻ってくる事例もある。さらに本年1年間で泰阜村への転入者が実に232人あり、転入者世帯の出生もあって、出生者数も44名/年あった。

これらの結果は、

 村の住宅政策:村営住宅の増設・木造平屋建て一戸建て家賃35千円/月等、

 児童政策:医療費自己負担分免除(中学校まで)、保育費免除、

 高齢者に対する医療政策:投薬分自己負担500円/月、

村の先鋭的な政策効果と、大都会住民が大自然の中で生きることを希求する時代の風を得て、消滅部落の出現を止めている幸いな南信州過疎山村(かつて陸の孤島と揶揄されていた・・・今もか?)泰阜村が、静かなブームを巻き起こしていることを報告する幸いな機会を得たのであった。

 この機会を与えられた村役場の甚大なご配慮に心からの敬意と感謝をささげます。 

風の谷〜泰阜村   
   初夏・若葉色の風を浴びて

 南信州里山に最も美しい季節がやって来た。広葉樹林から吹く風は、むせ返るような黄緑色のエネルギーを運び、小さな命をあちこちで育んでいる。我が山荘にも雨戸の戸袋の中に小さなセキレイの雛が4羽、ピーピーピーとかしましい。

 隣の広葉樹林から餌をせっせと運ぶセキレイの夫婦が、人間の目を盗んでは戸袋の中に滑り込む。

一方悠々の軒先には五つのツバメの巣に雛が孵っている。一方雉鳥は小さな雛を連れて悠々の庭に現れる。

 年寄りたちはもっぱら、ちび雛たちが青大将にやられないようにと観察結果を報告し合っている。

 我が山荘の書斎の窓からは美しい黒文字の緑が美しい。

さて、悠々の常勤スタッフが居なくなって2か月が過ぎた。会う人ごとに「若くなったね〜」お世辞だかなんだか言われる。

しかし78歳、年は争えないもので或る朝血圧が94/下が57と出てその次の朝、激しいめまいで起き上がれなくなった。とうとうきたか、私の持病・・・ここまでよく持ったものだと思っている。

 隣の(自宅からぐるりと回った反対側に住む隣人)に「助けてコール」を掛け、非常勤で来て頂いているNさんに急遽朝ケアをお願いした。「本当だったら、もうちょっと行ってやってもいいんだけど」との身に染み入る言葉も頂いて、この難局を乗り切った。一日殆どをベッドに居たおかげで、今日は入浴ケア+賄い+夕ケアを頑張れる。

 その上6月8日には、映画界ではよく知られた河崎監督の出前映画を悠々で開催することが決まった。

 この知らせを悠々のお婆様たちに伝えたところ、「えぇ!嬉しい。ほんとかね」に続いて、お一人の口から出た「愛染かつら」の主題歌を皆で合唱してしまった。幸せは、天から恵みのように降ってくるのだとまたまた感動してしまった。

 

 心優しい人たちに支えられ、励まされて頑張れる。感謝である。

 

 

 

風の谷〜泰阜村    
 浅黄色の風を浴びて〜悠々の婆様たちの暮らしぶり

 里山の緑の海から伊奈谷にむけて浅黄色の風が吹き渡っている。悠々のベランダには燕たちが戻ってきていつもの初夏の賑やかさで満たされている。今年のツバメの巣はとうとう6つ出来上がり、二つの巣で抱卵がみられる。後の巣はせっせと通う夫婦燕たちが子作りに忙しいのだろうか。子供たちが巣立つまでは悠々のベランダは使用中止(燕の糞被害を甘んじて受ける覚悟が必要)となっている。汚れたベランダを、暇を見つけてデッキブラシで磨くのは、燕が大好きなセンター長の仕事になっている。今一つの重要な仕事は、燕の卵を狙う青大将を見張っていることかな・・・。悠々の婆様たちは毎日このツバメの動向を観察しながらおしゃべりを楽しんでいる。みんな元気だ。おいしい手料理を楽しみ3時と10時のお茶にはしばしば頂き物の饅頭やケーキやクッキーが出されている。入居者を訊ねる親族や、お友達の手土産である。入居者5名元気で口々に「楽しい、幸せ」と言う。

 「先生 体に気を付けて元気でいてくれなきゃいかん。わしは最後までここにおりたい」とおっしゃる。嬉しいことである。スタッフが理事長交代で常勤スタッフ二人が辞め、センター長になって右往左往している私を、まるで娘のように、妹のように気遣う心が嬉しくて、何故か50日12時間勤務で休みなしでも元気だ。これは自分でも予想を超えた現象でびっくりしている。

 「先生は人間じゃないな、化け物だ。」と誰かに言われたっけ。自分でもあんなに病気満載でときどき倒れていた自分はどこに行ったのかと不思議に思う。でもこれは、暖かい非常勤スタッフの思いがけない応援と、入居者の優しい言葉かけ、社協のスタッフの暖かい応援、理事さん達の力強い励まし等々、貴重な賜物の成果である。

 80歳の誕生日まであと1年9か月・・・行けそうな気がするよ。大丈夫だよ。

 このごろあまり泣かなくなったよ。介護鬱回復に向かっているかな・・・

 


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