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風の谷〜泰阜村    
    泰阜の里山の桜が満開〜そして悠々も

 今日も花の便りがあちこちから届き、悠々の周りの里山が桜色に染められて美しい。悠々の軒先にはもう2組の燕のつがいが巣作りをはじめて賑やかになった。もう春だなと我が婆様たちの顔が綻ぶ。

 悠々の独りケアを始めて5日が経過した。確かに忙しいが、5人の婆様たちの雰囲気が変わった。お茶の後、自分たちでゆっくりとよもやま話におしゃべりが止まらなくなった。みんな顔見知りと言うわけではないのに、自分たちの身の上話をあれこれ話はじめ「うんうんそうだった。わしの時もそうだった。若いころはみんな苦労をしたもんだな〜」と自分たちで共感し始めたのだ。こんな老人施設みたことも聞いたこともない。確かに90代の婆様たちが味わった戦前戦後の苦労話(それがまた微に入り細に入り詳しい・・・)を話し始めれば尽きることはない。その上NHKの満蒙開拓団の人たちの「自分たちは二度故郷を追われた」と言う話に、「この泰阜村の開拓団の人々が(その中には親類が含まれていた)泰阜村に帰ってきたときにも『満州乞食が帰ってきた』と虐められていたのを見たよ。そりゃあ可哀そうだった。福島や東北の原野に行かされたと聞いたよ」とこんな話も出る。令和の時代の始まりに、大昔の姨捨にも匹敵するような残虐な証言である。「満州から逃げ帰る時には、自分の乳飲み子を海に捨てて逃げたという話も聞いた・・・。満州の泰阜村開拓団はソ連の近くにあってもろに襲撃を受け、何万人もの人が死んだという話だった。」

 桜の花が咲き、自分たちは平和でこんな世に幸せに生きていていいのだろうかと過去を振り返る作業も続いた。

今日は県議会議員選挙の投票日である。

風の谷〜泰阜村    
   悠々・春の雪に思う

 日本列島桜の便りが次々と届く季節、悠々のお茶の時間は「東京の桜が満開だとTVで見た。」「南信州じゃ寒桜の淡いピンクしか見えねえなあ〜」と、お婆様たちが隣のお寺の観音様の満開の桜を待ち望む。

 5時半起きで朝7時ケアから夜7時の12時間勤務を無事やり終えた。

 この4月のシフト表を覗いた人たちが、絶句しながら私の顔を見る。「先生、こりゃ持たねぇぜ・・・」「大丈夫、この辺じゃ昔の嫁は年寄りの4人や5人は、面倒見ながら孫まで看て、家のことや百姓を手伝っていたもんだ。大きなお屋敷に嫁に来たと思えば誰でもやって来た事さ」と答えて心配顔の面々の口を封じる。

 このたった2日間で、信じられないようないいことがあった。

 悠々に暮らす年寄りたちが、「先生わしらにも何かできることは手伝いたい」と言い出し、すっかり何もかも甘えていた雰囲気が一変した。まず/後のテーブルを台拭で拭きだした。⊆分たちの食後の茶碗を流しまで運ぶようになった。洗濯物を畳むようになった。

その上ぁ崔箸くなったら、悠々の庭の花壇の草をむしって花を植えたい。野菜も植えたい。・・・」

 なんだなんだこのお婆様たちの心変わりは・・・。まず小さな喧嘩が無くなり、成り立てほやほやのセンター長を何とかして助けたいと申し出る。

 その上、たった一人残ってくれた賄いさんが、昼の休憩時間に訪れる訪問者に、「先生は今休憩中で休んでいるのでそっとしておいてくれんか」と頼んでいたとは・・・。道理でこの2日間休憩時間につぎつぎと何故か訪れていた訪問客が居ないな〜と思っていたが、そういう事だったのか。

 嬉しく、有難く涙がこぼれて止まらない。

ご家族からは「先生心当たりがあるから誰か連れてきていいか。」と聞かれる。「家の嫁さん掃除なら半プロ並みだよな・・・」と言う。ご本人の承諾はこれからである。

 その上月1回しかスタッフを送れないといったハウスクリーニングの業者さん、「見積もりには14か所のトイレ掃除が入っておりませんが、監督の私がそっと内緒でやってあげましょう・・・」と言われる。

 

 奇跡とはこのようにして起こるのだと知った。南信州の人々の優しい心根が有難く有難くて心は涙でいっぱい‼

 さあ、今日も頑張る‼

風の谷〜泰阜村   
   春・悠々のお年寄り達との新たな暮らしへ

 我が書斎の窓ガラスの正面の黒文字の木が、黄色の小花をちりばめて「ほら、春が来たよ」と私を励ます。大切な二人の介護スタッフが悠々を去る日が近づいている。残り10日・・・。要介護の御婆様を含めて5人のお年寄りを不肖センター長となった私が一人でお世話することになった。朝7時の朝ケアから夕食後の夜のケアが終わるまでの18時半までの実に11時間半、休日なしでどこまで続くのだろうかと苦しむ日々が続いた。

 噂では、当時村はこの建物が建ったら本田の消えるのを待っていたらしいとは、先日聞いたことであった。総ヒノキ創りの建物は私の計画書にはない物であった。私の計画は古い空き家の民宿をお借りすることであった。その民宿の改造費用500万円を補助していただきたいと願い出たことが設立のそもそもの発端であった。それが出来上がってみれば2億円もかかった総檜創りの豪華なケア付き民宿となった。従って入居費はどんなに削っても17万円(含消費税)となって、この村の私が助けたかったお年寄りが利用できなくなってしまったのであった。その頃村では、この建物を使ってあれをしたいこれをしたいとの計画があったらしい。

 当初悠々が提案した事業計画は、10年経った今では村が補助金を使って殆ど実行している。もう悠々で本田が頑張っている意味は、この村にはなくなったことを示すのかもしれない。

 しかしそれでも頑張りたいと私を励ましているのは、「先生、わしの死に水を取ってくれるかね」、「最後までわしはこんなに穏やかで幸せで生きていてもいいのかね〜」、「わしはここで死にたい」と口々にいうお年寄り達を放って、自分一人楽になれない理由がある。その残りの生涯を引き受けてしまったからには、その約束をなかったことには出来ない。最後まで責任を果たすこと。自分の幸せよりも人の幸せをまず考えて、最後に自分が幸せだったらいいなと思っている。 プロとは、自らの責任を最後まで放棄しないことであると今は亡き父の遺言である。

 

風の谷〜泰阜村    
   悠々の春

 悠々の周りの山里が春に突入した!お茶の時間の話題は、蕗の薹が裏のNさんの斜面に見事に生え揃っているよ。土筆がNさんの田んぼのぼた(土手)に芽を出していたよ。「土筆はきんぴらにして食べると美味しいよ」というセンター長に、お婆様たちが声を揃えて「ありゃ草だに、あんなもん食べりゃせん」、「じゃ、今度土筆のきんぴらを食卓に出しましょう!」とかしましい。

 ある日安曇野に住む友人からびっくりするような便りが届いた。

 悠々の年寄りたちに有名な映画監督が「出前映画」を上映するために、悠々を訪れてくれるらしいとの情報である。そこで90代のかしまし婆様たちに、「ねぇ、貴方たちはどんな映画を見たいのかね〜」と振ると、「わし等が若いころは温田駅まで歩いていってそこから飯田線で1時間も電車に揺られ、そこからまた飯田の街中の映画館まで歩いて行って、映画を見るのが一番の楽しみだった。」という。みんな口々に「青い山脈を見たね〜」、「わしは愛染かつらを見たよ」みんな声を揃えて歌いだした。「花も嵐も、海超えて〜♫♪」この年寄りたちだって青春歌は歌えるのだ。それからというものだれかが「愛染かつら」の主題歌を口ずさむと、一斉に声を合わせて歌いだす・・・。実は重度の認知症を疑われているお婆様も含まれている。

 「若いころは歌が好きで、こんな歌をよく歌っていたよ。いつもいつも口ずさんでいたよ」と述懐する。

 聞くところによると、デイ・サービスで歌わされる歌は、あまり歌いたくない歌だ」と言い張る。

最近入所したTお婆様は読書が趣味で、本屋大賞を取って有名になった葉室麟さんのフアンだということで、悠々図書コーナーを座りこんで覗いていた。葉室さんの最新作を捜し出して大喜びで、早速お部屋にこもって読みふけっている姿を目撃した。単身独居の身、認知症を疑われて親族に入居を勧められたのだが、彼女にはこんな能力も隠れ持っていることを誰も知らなかったらしい。

 「私は悠々に来てよかった」とため息のように呟かれる92歳の婆様、幸せをちょっぴり見つけられてよかった。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村
  春〜悠々始動!

 わが庭の椿が毎日ピンクの花を咲かせ、ご近所の蕗の薹がみごとに生え揃い、昨日の晩御飯には蕗の薹のてんぷらがのった。

白梅も紅梅も真っ盛りの泰阜の山里は、家々の庭の花々が咲きそろう。

 悠々の入居者は6名、新顔の80代のIさんも90代の4名の御ばあちゃまたちのおしゃべりに圧倒気味である。

 最近、この御ばあちゃまたちは夕食後のひと時を皆の共通の記憶をたどって、昔はこうだったああだったなぁ、といって憩っているようになった。穏やかな時間がゆっくりと過ぎて行って、あれほど家を恋しがったお年寄りが、わしはここでいい、もうどこにも行かん」と言って落ちついて過ごすようになった。 

 そして今日のお茶で90代の1さんが昔の歌を歌いだした。皆は耳を傾けながら「そうだった。そうだった。」と言い合った。

 その歌、今は遠い昔の泰阜村の穏やかな営みが映し出されるような村歌だった。

 

 田本の町の鎮まれば、福寿の寺の鐘が鳴る

 冬 梨久保に炭焼けば、大畑文化の中心地

 秋の温田は稲を刈る、こんにゃくの豊かな漆平野

 我科ノ水に野菜もの、栃城山に板をヘグ

 南信濃の泰阜は、北は下条左京坂

 南上原平石、涌き立つ雲は紺色に、

 竜田の橋に霜降れば、紅葉は筏に散りかかる。

 

 なつかしく、そして見事な歌である。

風の谷〜泰阜村   
  過疎山村の暖冬に思う

 暖冬に、もう白梅・紅梅が満開で泰阜村民の眉間に皺が寄る。雪の極端に少なかったこの冬、南信州の里山に住む民たちは、皆この夏の渇水が心配でたまらない。

 去年も小さな小競り合いはあった。自分の田に井水(奥山の湧き水から先人たちが手掘りで造った灌漑用水路)の水の分配は、昔のまま時間で区切って仕切り板でそれぞれの田畑に水を引くやり方を守っている。ある夜こっそりとその仕切り板を動かし、自分の田に水を引き込んでいるお年寄りが、夜間の警戒の網に引っ掛かり大騒動となることがあった。昔は命のやり取りがあったと噂されている事態である。

 昨年は台風や大雨の被害が続きニュースにはならないが、この井水の擁壁もあちこちで崩れ、その補修費をこの集落に住民票を置くすべての住民に年間千円の負担金がかかることになった。この村の田畑はそれを受け継ぐ年寄りたちの高齢化が進み、耕作放棄地が増加している。80代90代の年寄りたちが胸を掻き毟られるような思いを抱きながら、荒れ果てていく自分の田畑を見ながら、平均7,8万円の年金から井水保存のための維持費を千円/年支払い続けるのはどれほどの苦渋を感じていることかと思う。

 我ら泰阜村民は決して金持ちではない。国の7割を占めるという過疎山村の高齢化は大都会住民の想像を絶するものがある。その民たち(僅かな年金で暮らしている年寄りたち)が、日本の国の命の鍵を握る大切な森を守り、水を守っていることは、あまり気にされていないように思う。

 その上に私たちは赤十字(赤い羽根)募金、緑の羽根募金、PTA会費、社会福祉協議会募金、交通安全協議会費etc、そして今回は井水管理会費である。この村には年金2,3万円/月で暮らしている単身独居の超高齢者も決して少ないとは言えない割合で存在している。「差別に当たる」として、その人たちからこの殆ど強制的な募金を免除することはしない、ことになったそうである。

 ある調査でこの村では生活保護を受けている人が極端に少ないことが判明した。それは、殆どのお年寄りが自分の葬式のためにわずかながら貯金を確保しているからである。近頃は厳冬の冬、夏の盆近くにお年寄りが亡くなることが多い。それは月平均2,3件はあり、その度に香典(2,3千円)を包んで参列するのが仕来たりとなっている。その時にはご馳走を頂き、貴重な栄養補給の機会となっている傾向がある。その恩恵を頂きながら「自分の時はお金がないのでできません」と言う不義理は決して許されないことだと思っているということを耳にしている。

 お世話になった人々に人生のお別れの時にお礼をするというのが、この山国に住む年寄りの慣習である。

といってこの村の維持に直接係るとは思えない諸分担金を、この高齢者たちに強制的に負担させるのは如何なものかと申し出たところ、やはりいろいろな圧力を感じる機会に遭遇するようになった。

 小さなことである。その上自分のことを言ったわけではない。弱い人々をそっと配慮するという美しい習慣がこの村にはあったではないか。私はそこに惚れてこの村に移住し40年経った。だんだん優しい思いやりが当たり前の世代が年を取り、声が出しにくくなってきて、この村も都会的な考えの人々が力を握るようになったのではないか・・・と春になり思った事であった。

 

風の谷〜泰阜村   
 立春〜悠々の新しい入居者たち

 立春 まるで昨日までの雪の日々が嘘のように、今朝のこの暖かさは何だろう。雪の下からもう黄緑の小さな芽が枯れ葉の下から覗いている。もう春が来たのだと実感する。悠々もこのところ「春が来るまで」とショートステイのお年寄りを二人お迎えしていたが、今日はまた新たな永住入居のお年寄りをお迎えすることになった。

 ずっと独居で頑張ってきたお年寄りが、インフルエンザになり気を失っていたところをご近所さんに発見され、緊急入院したあとの療養をと頼まれてお引き受けした。悠々では近年一人もインフルエンザに罹ったお年寄りが居ない。きめ細やかな栄養管理と、往診をお願いしているかかりつけ医との連携で、皆揃って元気であることが一つの自慢である。

 優秀なケアスタッフの退職という難問を抱えたままであるが、取り合えず春からは4人の永住入居のお年寄りの面倒を基本的には私が看ると腹を据えて・・・(目が据わっているかも)いる。

 10年前開所当時は凄まじい状態(介護スタッフ0人に対し、ショートステイや、療養入居数人を、賄いも含めて理事長一人で乗り切る)でオープンしたものであったが、その時のことを思うと、まず私自身がすべての作業に慣れている。賄いのお兄さんがとりあえず一人いる(しかし、週2日は休日)ので、随分助かることになる。追加で週1の悠々91坪の施設内清掃を空き時間?(おそらく私の休憩時間)に実施!・・・やれるだろうか、やらねばなるまい。大切なお年寄りたちが、「こんな幸せでいいのだろうか、私は生まれてきて初めてこんな幸せを頂いた!」と私の目をじっと見て言うお年寄りを抱えて、やらねばなるまい。

 ご縁で4人の家族を抱えて嫁が(ちょっと年寄りだけど・・・)やらねばなるまいと思った立春の日でした。

以上、近況報告。(3月末までは最高のスタッフが健在です)

風の谷〜泰阜村   
    新しい入居者

 松飾りが取れた新年の玄関から、悠々にとっては久しぶりの男性入居者が現れた。お優しい妹たち二人にお世話をされ、脳梗塞の後遺症で軽い右片麻痺のお体をゆっくりと運ばれ、暖かな悠々の東のお部屋に入られた。妹たちにすべての荷物の片づけを任せ、ゆったりと指示を出している姿を拝見しながら、「はぁ、大変なお殿様をお引き受けしてしまったな〜」と感じた。その晩の夕食の席で、長い間の独居生活を問わず語りに話されたところによると、「若かかったころは東京や大阪、名古屋で、酒と女と博打三昧だった・・・etc.」その結果30年以上も糖尿病を患っているのだという。

 さて、今のところ悠々は、スタッフも含めて女ばかりである。しかも入居の婆様たちは90代(母親世代)、スタッフも70代(兄弟・姉妹世代)、60代、40代(子供世代)と、見知った家族構成であった。

 それもあるのか、ご性格なのか、お茶の時間、お食事の時間、まるでずっと前からお仲間だったようにおしゃべりに溶け込んでいる。若かったころの放蕩三昧のお話がでてくると、「ホンにおまさんはバカ息子だったなぁ。」と94歳の隣席の婆様に叱られると、「本当だな」と反省する。そのやりとりを見て、みんな笑顔になる。昨夕の食事の席で94歳の婆様が、手付かずのエビフライ2匹をそとすすめながら、「おまえさんが良ければ、手を付けておらんでこれも食え」と皿をそっとすすめられると私たちスタッフの顔を見ながら「よかったらどうぞ」と言われ、「エビフライは大好きなんだ」といってぺろりと食べたが・・・。問題はそれから起こった。「ばあさん、部屋にいっぱいあるパンをやるから食うかね」と言い出して、スタッフをギョギョギョとさせた。

「え〜!お部屋にパンがしまってあるのですか?それをお食事の合間に食べているの?」「・・・・・、家ではいつもパンを食べていたので持ってきた。クロワッサンの美味しいやつ」「ちょっと待ってくださいね。この悠々では、三度のお食事と10時と3時のおやつ以外はだれも食べ物を口には入れないことになっているの。その理由は、どの食材をどのくらい食べたかをチェックして、健康管理に気を付けています。だからお部屋で自分勝手にお食事の追加をすることは、原則的に禁じられています。いいでしょうか?その持参してきたパンは、こちらに出してくださいね。パンが欲しかったら、ご飯をやめてパンにしましょうか?」

「いいや、ここのご飯はおいしいからごはんでいい」となって一件落着となった。

 彼は30年以上も糖尿病を患い、インシュリン自己注を10年間も続けているという。

 脳梗塞を患ったのもこの好き勝手な食生活にあるのかもしれない。これから食事管理を彼に納得してもらいながら気を付けなければ・・・とあらたな課題を背負った次第であった。

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々の御年取り

 今年の大晦日の恒例の御年取り行事は、年寄り達が「ここでみんなと一緒が良い」と言って、家族の元には帰らないことになった。ぽっかりと空いた12月31日大晦日の賄いと宿直+元日の賄いシフト。元旦の賄いは、夫(医師)と共に新しくセンター長となった本田が、御年取りと元旦祭をご一緒することになった。「どうせ二人でやるはずだったのだから、悠々のお年寄りとご一緒でにぎやかでいいね」ということになって、奇妙な家族が下伊那伝統の御年取りと新年の行事を(インターネットで調査・・・)共にすることになった。

 12月28日には高齢の元理事さんご夫婦(組合員)が、例年通り悠々の玄関と各部屋入口にしめ縄とおやすを飾り付けてくれたので万全である。30日にはインターネットで調べた「下伊那の年取り料理」コピーを片手に、買い出しであった。

 主な献立は「節米(新米)」、「年取り魚(鰤)」、「黒豆」、「田作り」、「数の子」、「しぐれ煮(貝ひも・人参・椎茸・蓮根・昆布・生姜・こんにゃくの煮物)」、「おなます(大根と人参の酢漬け)」、「汁(豆腐・里芋・大根・牛蒡・人参・こんにゃく・糸昆布)の7品を醤油で煮込んだもの」、「昆布巻き・タコ・カリンの砂糖漬け・栗きんとん・鯉の煮物」である。

 正式にはこの移住40年間でこのような正月料理を用意するのも初めて、夫と二人、悠々のお年寄りを囲んでご一緒に大晦日の夜と新年を迎えるのも初めてである。

 ホンに泰阜村の爺婆になったんだな〜と実感である。御縁で集められてご一緒にこの年越しを迎えられるのはちょっとドキドキする。大晦日の当直のお泊り一式と元旦の余所行きをバッグに詰め込んで、さぁ〜頑張るぞ‼

 

風の谷〜泰阜村
悠々・新体制発足   激震走る!   

 凍り付いたような真っ暗な冬の夜空に「スバル星、オリオン座が美しいよ」と毎週金曜の夜中に帰省する夫が感嘆する。本格的な冬を迎えて雪かき用スコップと暖仕様の長靴、雪に濡れない手袋を新調した。

 去る11月24日の総会で「理事長は、この10年間の赤字経営の責任をどうとるか」と組合員に経営手腕の反省を責まられ、その通りと感じいり、自らの経営能力の無力さの責任を取って引責辞任した。その後12月11日には、我が悠々に2年余り家族同然に暮らしていた大切な翁の最後を看取り、寂しくなった。その寂しさの余韻に浸る間もなく、ひとりの優秀なスタッフが辞職願を出した。

 9年間もこの赤字経営の余波を喰って、保育士の国家資格を持ち乳児保育のベテランとしての勤務経験をもちながら、ヘルパー資格を取ってご存知、巷の半分という安給料で勤め上げた方であった。その人柄の優しさは、この悠々にとって何物にも代えがたい宝であった。ケアスタッフ常勤2人と言う悠々において、片腕を捥がれた感がある。

 ケアする者もプロとしての誇りがある。私がいつも何事かトラブルが起きるたびに、利用者に言うことがある。「大変申し訳ないが、悠々のスタッフはあなたの下男下女ではありませんので、ご自分でできることは頑張ってやってみましょうか?出来ないことはすぐにお助けしますので、さあやってみましょう」といってご本人の自律を促すケアのすすめは、結局はスタッフたちの優しいケアを支えているのだという元理事長の信念があった。

 その保証が無くなるかもしれない。いやできるはずがないというのだった。お金のために、自分をそこまで陥れられない・・・。

これまでの悠々の優しく人間的で、家庭的なケアは、実はこの管理者の「真の人間の尊厳に寄り添うケアとは、管理者がスタッフの人間としての尊厳を大切にするということなのではないか」との信念に支えられるものであった。悠々を訪れるものは誰でも、このしっかりと守られた入居者とスタッフの和気あいあいとした和やかな雰囲気に感動するのであろう。

 さて、そんなことが起こって、新体制の理事たちの真の福祉の実現への挑戦が問われている。ご期待あれ!

元理事長は相変わらず週2回の賄い、すべての会計総務事務が降りかかってきた。そして入居者のケアもやるしかないか!要介護4のM.A.さん、至らぬ私のケアでよいのかのう?

 

 


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