風の谷〜泰阜村
過疎山村の暖冬に思う
暖冬に、もう白梅・紅梅が満開で泰阜村民の眉間に皺が寄る。雪の極端に少なかったこの冬、南信州の里山に住む民たちは、皆この夏の渇水が心配でたまらない。
去年も小さな小競り合いはあった。自分の田に井水(奥山の湧き水から先人たちが手掘りで造った灌漑用水路)の水の分配は、昔のまま時間で区切って仕切り板でそれぞれの田畑に水を引くやり方を守っている。ある夜こっそりとその仕切り板を動かし、自分の田に水を引き込んでいるお年寄りが、夜間の警戒の網に引っ掛かり大騒動となることがあった。昔は命のやり取りがあったと噂されている事態である。
昨年は台風や大雨の被害が続きニュースにはならないが、この井水の擁壁もあちこちで崩れ、その補修費をこの集落に住民票を置くすべての住民に年間千円の負担金がかかることになった。この村の田畑はそれを受け継ぐ年寄りたちの高齢化が進み、耕作放棄地が増加している。80代90代の年寄りたちが胸を掻き毟られるような思いを抱きながら、荒れ果てていく自分の田畑を見ながら、平均7,8万円の年金から井水保存のための維持費を千円/年支払い続けるのはどれほどの苦渋を感じていることかと思う。
我ら泰阜村民は決して金持ちではない。国の7割を占めるという過疎山村の高齢化は大都会住民の想像を絶するものがある。その民たち(僅かな年金で暮らしている年寄りたち)が、日本の国の命の鍵を握る大切な森を守り、水を守っていることは、あまり気にされていないように思う。
その上に私たちは赤十字(赤い羽根)募金、緑の羽根募金、PTA会費、社会福祉協議会募金、交通安全協議会費etc、そして今回は井水管理会費である。この村には年金2,3万円/月で暮らしている単身独居の超高齢者も決して少ないとは言えない割合で存在している。「差別に当たる」として、その人たちからこの殆ど強制的な募金を免除することはしない、ことになったそうである。
ある調査でこの村では生活保護を受けている人が極端に少ないことが判明した。それは、殆どのお年寄りが自分の葬式のためにわずかながら貯金を確保しているからである。近頃は厳冬の冬、夏の盆近くにお年寄りが亡くなることが多い。それは月平均2,3件はあり、その度に香典(2,3千円)を包んで参列するのが仕来たりとなっている。その時にはご馳走を頂き、貴重な栄養補給の機会となっている傾向がある。その恩恵を頂きながら「自分の時はお金がないのでできません」と言う不義理は決して許されないことだと思っているということを耳にしている。
お世話になった人々に人生のお別れの時にお礼をするというのが、この山国に住む年寄りの慣習である。
といってこの村の維持に直接係るとは思えない諸分担金を、この高齢者たちに強制的に負担させるのは如何なものかと申し出たところ、やはりいろいろな圧力を感じる機会に遭遇するようになった。
小さなことである。その上自分のことを言ったわけではない。弱い人々をそっと配慮するという美しい習慣がこの村にはあったではないか。私はそこに惚れてこの村に移住し40年経った。だんだん優しい思いやりが当たり前の世代が年を取り、声が出しにくくなってきて、この村も都会的な考えの人々が力を握るようになったのではないか・・・と春になり思った事であった。