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風の谷〜泰阜村    
     ケアする者がバーンアウトするとき

 その日はとうとうやってきた。85歳Kさん要介護1、81歳の時自宅で転倒し病院に担ぎ込まれたが、骨粗鬆症で手術できないと安静を強いられ、寝たきりになった。それから4年間、3ヶ月事に特養、老健をたらいまわしになってきた。「悠々」が開いているということで問い合わせがあったが、転居先からの医療情報、介護情報がまったく届かない。自走用の車椅子は自分で購入、食事は自立しているというがおかゆを要求+朝は牛乳を人肌の暖かさで、昼はお茶、夜は白湯でと指示が細かい。その根拠が書いてない。何か問題を抱えているのか問い合わせるが「別に、特に何にもありません」と口を濁される。盆前の悠々は人出がなく、介護者一人で朝ケアに30分もかかる要介護3の方(食事に介助が居るので実質的には殆ど要介護4だが)をすでに2人も抱えていて、これ以上の受け入れはできないとスタッフに泣きを入れられている。(捜しても悠々通勤内に人手が全くない)

 そこで、ご家族を呼んで何故家に帰れないのか伺った。「ご自宅で巡回ヘルパーさんを頼めば長男(61歳)さんとお孫さん(30代)なら要介護1の御婆ちゃんをお家で看れそうだが・・・」

 そう言われてご長男さんは、しばしの間絶句し理事長の私の目をじっと見つめた。「もう受け入れてくれるところがどこにもないのです。3ヶ月事に家族が家に帰せないのなら自分で捜せと言われる。この4年間3ヶ月事に仕事の合間を縫って探し回ることに疲れ果てた。助けてください」という。「なぜお家には帰せないのですか?」と再度問うと、重い口を開かれた。

 「自分の嫁は故あって家を出た。兄弟二人で妹は神奈川で施設で働いている。自分は建設業で疲れ果てて帰宅する。子供たちは(孫)一人は病弱、もう一人は施設に入居している・・・。自分も家族も精神的な病を抱えている・・・」と重い口を開いた。

 このご家族の長期間にわたる精神的な苦しみを思って絶句した。「ご家族の皆様、長い間どれほど大変だったでしょうね。辛いことを伺いました。お許しください。」と言ってからしばしの間自問した。この方を御受け入れするとして、私が何ができるか。スタッフはどこまで耐えられるか。Kさんは精神的ケアが相当大変なのかもしれない。

 ケアマネさんと相談すると「悠々」が駄目なら精神の施設があるが・・・と言われる。「その前に『悠々』で知恵を凝らし全力を尽くしてみようか・・・」とスタッフに頭を下げる。

 案の定それからの日々、夜勤の当直男性に夜中に呼び出され、「『部屋の電気をつけてくれ、トイレに連れて行って汚れたパットを変えてくれ、抱えて寝かしてくれ』と言われるが、どうすりゃいいんだ先生」

「わかりました。すぐ伺います」と飛んでいって「当直のおじさんたちは素人なのでケアをしてはいけないことになっているのです」と説明し、「この施設は人出がないので夜のヘルパーさんを雇えないのです。申し訳ありませんが、ご自分でできることは頑張って自分でやってみて下さいませんか?」とお願いしてみた。

「ふ〜ん。あんたは誰だね」という「私はこの施設であなたを安全にケアできるのか、できないのかを判断し、場合によってはご自分の家にお帰り頂くかを決める理事長の本田です」と伝えると「ふ〜ん」と言われる。

 「ご自分でトイレに行けますか?見ていますからやってみましょうか?」ちゃんとベッドから起き上がり車椅子にトランスし、自走してトイレに行き、立ち上がって下半身の更衣動作をし、パットを変えベッドに戻って自分で布団をかぶって寝ることができた。

 「よかった。ご自分でできますね。自分でできることは頑張って自分でしてみて下さいね。できないことを私たちがお手伝いいたしますので大丈夫ですよ」

 これがこの夜の顛末であった。理事長の賄い当番のときには、「牛乳が人肌じゃないからやり直し、少しの時間なのだからじっと傍に立ってみていなさい。ご飯が少し硬いけど、あんたはご飯の炊き方を知っておるのかね。ご飯の水加減は手のひらを水につけて手のひらすれすれに水を張る。そうしてるのかね・・・」この試練はまだまだ続く・・・スタッフは一日中これらの鋭い言葉にひどく気づつけられバーンアウトでやめそう・・・・。さてどうするか理事長!

コメント

 「さて、本田さん、どうしましょう」なんて気楽な言葉をかけられない重たい現実が目に浮かんできます。今の状況がリアルに目に浮かんできます。

 85年間も生きていれば、なにかと言葉の多いことですね。そうは言っても、人それぞれ。私の母の8年半の介護では、母はあまりしゃべらず、ただただ私を頼って、自分でできることでも、「できない、できない」と言ってきましたが、私はじっと母の動きを観察し、母の残存能力をフルに使うことを心掛けてきました。脳幹出血が原因で入院、四日後に88歳で亡くなるまでは、自宅のベッドわきのポータブルトイレで、私の見守りサポートで用をたすことができました。本田さんのこのブログを読みながら、そんな母の姿が浮かんできました。母は要介護3でした。

 Kさんの姿を思い浮かべるとき、「残存能力をつかわないなんて、なんてもったいない」とまず思いました。本田さんの導きで、Kさんの能力が明らかになったことはよかったです。願わくば、Kさんが自分でできることを喜べるようになればいいいなあ、と思います。

 それにつけても、Kさんからもたらされる試練に、スタッフがめげませんように願うばかりです。
  • 加藤充子
  • 2018/08/14 5:53 PM
ケアする者にとって一番応えるのは、人を奴隷のように扱われることなのだとつくづく思います。その根拠は自分でできることを呼びつけてケアさせる。ケアとは何か。独りでは出来ないことを手助けすることで、人間らしい暮らしに少しでも近づけること、それをよかったねとともに喜びあえることだと思っています。
 しかし彼女のような場合、そこがずれてしまうのだと思います。どうすれば共に暮らすことの喜びを知ってもらえるのか悩む毎日です。
  • 本田玖美子
  • 2018/08/15 12:06 AM
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