2019.04.07 Sunday
風の谷〜泰阜村
泰阜の里山の桜が満開〜そして悠々も
今日も花の便りがあちこちから届き、悠々の周りの里山が桜色に染められて美しい。悠々の軒先にはもう2組の燕のつがいが巣作りをはじめて賑やかになった。もう春だなと我が婆様たちの顔が綻ぶ。
悠々の独りケアを始めて5日が経過した。確かに忙しいが、5人の婆様たちの雰囲気が変わった。お茶の後、自分たちでゆっくりとよもやま話におしゃべりが止まらなくなった。みんな顔見知りと言うわけではないのに、自分たちの身の上話をあれこれ話はじめ「うんうんそうだった。わしの時もそうだった。若いころはみんな苦労をしたもんだな〜」と自分たちで共感し始めたのだ。こんな老人施設みたことも聞いたこともない。確かに90代の婆様たちが味わった戦前戦後の苦労話(それがまた微に入り細に入り詳しい・・・)を話し始めれば尽きることはない。その上NHKの満蒙開拓団の人たちの「自分たちは二度故郷を追われた」と言う話に、「この泰阜村の開拓団の人々が(その中には親類が含まれていた)泰阜村に帰ってきたときにも『満州乞食が帰ってきた』と虐められていたのを見たよ。そりゃあ可哀そうだった。福島や東北の原野に行かされたと聞いたよ」とこんな話も出る。令和の時代の始まりに、大昔の姨捨にも匹敵するような残虐な証言である。「満州から逃げ帰る時には、自分の乳飲み子を海に捨てて逃げたという話も聞いた・・・。満州の泰阜村開拓団はソ連の近くにあってもろに襲撃を受け、何万人もの人が死んだという話だった。」
桜の花が咲き、自分たちは平和でこんな世に幸せに生きていていいのだろうかと過去を振り返る作業も続いた。
今日は県議会議員選挙の投票日である。
『満蒙開拓団の人たちの「自分たちは二度故郷を追われた」と言う話に、「この泰阜村の開拓団の人々が(その中には親類が含まれていた)泰阜村に帰ってきたときにも『満州乞食が帰ってきた』と虐められていたのを見たよ。』
私も満蒙開拓記念館を2回訪ね、記録や文集を読みましたが、想像を絶する悲惨さ、むごさが胸を衝きます。最近になって、当時ロシア兵からの攻撃を抑えるために若い女性を差し出した事実、家族を守るためにロシア兵に差し出された女性が、重い重い事実を話し始めた、ということを知りました。勇気を出して告白することが、二度と戦争してしてはならない、という強いメッセージになると願ってのことなのですね。
日本がいま、あらぬ方向に向かいつつあるのでは、と心ある人々が危惧しているのを感じています。