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風の谷〜泰阜村
東日本大震災地行で感じた事

 2011年4月30日 「悠々」の開所2周年記念祝賀会が無事終わった.

   振り返れば1月以来の4ヶ月間は理事長にとって激動の毎日であった.

 2月1日に自宅で寝ぼけて転倒し右膝蓋骨を骨折し,足首から股関節までギブス固定となった.
日ごろ,泰阜村の山中に住む住民が移動手段の車を取り上げられ,坂道を自由に上がり下りもできない恐怖の日々を体験した.
 3週間後ギブスから装具になり,やっと車を運転できるようになった日,直ちに生活必需品の数々を買出しにでかけ,老後本当にこの過疎の地に住み続けられるかを改めて問い直すことになった.
 
 その最中,《3月11日・東日本大震災》の衝撃が日本中を駆け巡った.その3日後に届いた教え子からの「助けてメール」に,翌々日には緊急救援車両の許可を貰い,膝装具装着の身にもかかわらず2トントラックに飛び乗って岩手県藤沢町の施設に走った.

  眼前に広がる衝撃的な被災地の光景からはどうしても現実感が湧かず,帰途についてもしばらくは夢を見ているような呆然とした感覚が続いた.
 泰阜に戻って見れば驚くなかれ,総量9トンほどの救援物資の山に「悠々」が占領され,入居者はダンボールを跨いで移動するという危険な状況下に陥っていた.

   そのため急遽2回目の救援物資輸送を計画し,14日後には岩手県の沿岸部津波の被災地に出かける事になった.
 しかしこの頃は,どこの避難所も全国から送り届けられる救援物資の山を保管する場所がなく,私たちは石巻水産高校⇒女川町⇒気仙沼⇒陸前高田市等の避難所を巡り巡って,2トン車2台分の避難物資を配って歩くはめになった.当時,経験豊かな各地の自治体は義捐金しか受け付けていなかったと記憶している.TVを見た多くの日本人が何かをしたいと心を動かされた時期でもあった.

 

 今回の震災を経験した地震国日本は,今度こそ国民に対し,被災地が本当に必要としている援助を,タイムラグとともに具体的に示すべきであると痛感した.

 今もなお余震が続く被災地の教え子からは,「不安メール」が届いている.いま私に何ができるかを問い続ける日々が続いている.

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