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風の谷〜泰阜村
 やっぱり奇跡は起こるのですね   

 泰阜村の朝夕の涼しさはもう初秋の気配がする。山百合の盛りがすぎ秋の七草(萩、ススキ、桔梗、撫子、女郎花・・・)がもう咲き始め、その可憐な立ち姿にふと立ち止りたくなる。森の中からかしましいほど響き渡る小鳥たちの声に目覚め、朝支度に起き上がる。泰阜の民にとってあまりにも当たり前の季節の風情だが、都会からこの村を訪れる方々にとって、どうも驚異らしい。

 先日、泰阜村婚活事業でカップルにたどり着いた方々の再来村の機会があり、「ケア付き民宿・悠々」にその4組の方々をお迎えする機会を頂いた。遠路はるばる神奈川から来たという方々は、田舎の夏祭りの後の喧騒から逃れるように、シーンと静まり返った「悠々」に落ち着かれて、理事長の手作り巻きずしやおにぎり、撥ねきゅうりの浅漬けや、農家の畑で完熟した冷たいトマト、りんごジュース等々・・・(お夜食と言われていたので・・・)を口にしながら、悠々の広々としたリビングダイニングに、実家に帰ったようだと寛がれた。

 順番に入られた浴室の湯船の大きさにまたまた驚かれ、「家ではこんなことできないね。足を延ばしてたっぷりの湯に肩まで浸かって、本当にのんびりできました」という。

 3組のシングルマザーの方とお一人の若者だったが、皆とてもよい方々達で、(涎が出そうなほど来ていただきたい方々達)つい、「悠々でもヘルパーさん・賄いさん・事務員さんを募集しています。家賃5千円から村営住宅あります」等々勧誘してしまった。

「ここは、私たち普通の人でも泊まれるんですか?」当然のように質問されたので、「はい空き室はすべて民宿登録してありますので誰でも泊まれます」とお伝えした。皆びっくり仰天して「エェッ、その上ケアもついているんですか?」という。「はい、八ヶ岳から甲斐犬と92歳の御ばあちゃまを連れたご一行が泊まられましたよ」と伝えると、「家のおばあちゃんもここに入れるのでしょうか」と続いた。神奈川では同居家族がいると介護保険のショートステイ等も利用出来ない事情があると言われる。「それぞれのお宅の一切の事情に関係なく、空き室があればだれでもご利用可能です。そのような施設が各地に出来ればいいなと、この悠々をモデルとして作ったのです」と宣伝してしまった。本当は、泰阜の住民の方々に利用してもらいたかったのだが・・・。全国展開してしまいそうだ。

 お風呂から上がった方々に、リビングのマッサージ機をおすすめした。「あぁ〜、眠ってしまいそう」という。「いびきもご遠慮なくどうぞ」笑顔がはじけた。

 その横で4歳のちびちゃんが浴衣を着て泣きわめき、大騒ぎをして困り果てているママに、「この暑さできっとあせもがかゆいのかもしれない」と浴衣を脱がせ遠くから扇風機を当てながら「お熱があるかもしれないから、お熱を計ってみましょうか」と声をかけると「うん」と小さな声で言う「36度3分、お熱がないから大丈夫だったね〜。のどが渇いたでしょ、りんごジュース持ってこようか?」「うん」お部屋にりんごジュースと手巻き寿司をお皿にのせて覗くと・・・床の上でコトンと寝てしまっていた。ホォーと吐息をついたママと顔を見合わせ、「さあ、この間にママはお風呂に入って汗を流していらっしゃい」・・・

 これって実家に帰ったら、おばあちゃんがやってくれることかもしれない。

「悠々」にある、子育てママたちへの特別ケアサービスである。

  

風の谷〜泰阜村    
悠々の危機を誰が救うか!

 TVに映し出される大雨被害の悲惨な人々、猛暑で搬送される熱中症の人々、火蟻上陸と日本列島が荒れ狂う自然の脅威の最中にあって、泰阜の山里はひっそりと初秋の気配を漂わせている。穏やかに何もないかのようにいつもの盆支度に汗をかいている。

 朝晩の涼しさに戸を立てて薄掛けをかけ、森に響き渡る小鳥たちの声で目覚める。

しかし悠々は設立10年という節目を迎えて、中の住民たちは明日をも知れぬ身体状況になり介護が重くなった。ぎりぎりのスタッフで支えて来たが、そのスタッフたちも年を取り、独り二人と歯が抜けていくように病に倒れていく。捜しても捜してもこの村には働く余力の残っている人はいないことが分かった。

 ふと、悠々のモデルでもあったスウェーデンの「高齢者協同組合」のことが頭をよぎる。かの地も人口67人という超過疎地であった。その地の年寄りを遠く離れた知る人もいない施設で逝かせることに忍びなく、若い二人の女性が立ち上がって「高齢者協同組合」を造ったのであった。しかしそこもかの地に広がりを見せることはなく、10年を経た後閉鎖されたとの事であった。

 スウェーデンの消費税は25%である。福祉の充実は世界のモデルとなった。しかしだからこそなのか、人々は老後は国が見るのが当たり前という思想で、ボランティアで年寄りの最後を幸せにというのは普及しなかったのであった。

 ましてこの泰阜村では、乏しい予算の大半を公共事業(大規模ながけ崩れは日常茶飯事)が占め、それを補うために高齢化率37%の高齢住民の労役が村の道路と水を守っている。わずかな若者(60代も含む)は残らず皆働いている。

 悠々を始めた時、組合員の主力メンバーは50代60代だった。10年を経て主力メンバーは70代となり、ましてや肝心の入居希望者が本格的に増えてきたとき、それを支える肝心な理事とスタッフが年老いて病に倒れ、悠々の利用者となり始めてきた。

 悠々スタッフの一日の構成人員は5人、事務総務接客を兼ねる理事長+早番スタッフ1名+遅番スタッフ1名+賄い1名+夜勤の当直1名のみである。このスタッフを週休2日で休ませる交代要員(非常勤)が倒れて、理事長がそれを補うことになった。無理がたたって体が悲鳴を上げ病院通いが深刻になってきた。

 ヘルプコールに答えてくれたのは東京の組合員さんたちであった。6時間かけて深夜に到着したその方々は、疲弊困憊し、「遠いよ!助けたくても遠すぎるよ。それに私たちの周りにいる仲間たちはみな孫の塾の送迎に毎日駆り出されて、悠々のボランティアをちょこっとなんて出来ないよ!」と悲鳴が上がった。「そうだね。本当にその通りだったね。済まなかったね。でも娘たちごと村に移住して子供たちを一緒に育てるというのはできない事なのかしら・・・・」と理事長は食い下がる。

 「そうね。この朝晩の涼しさ。この大自然の癒しに包まれる安らぎは、何物にも代えがたいわね。娘と相談してみるね・・・」さてどうなるか。

 東京からの移住ボランティアを待って頑張れるか。それにしてもその方々も70代であったが・・・。

悠々の理事長が倒れたら「悠々」は無くなるかもしれない。だれもこの悠々の大胆な「横出しサービスを担う人」の代わりが居ないことを知っている。介護保険サービスがどれほど穴だらけなのか、高齢化率の激しい過疎山村の人々は知っている。

 入居者の親族の方々が死に物狂いでスタッフを探し始めていてくれるらしい。有難くて涙がこぼれる。有難くて・・・・

悠々を救い出して、さすが日本人!と世界の人々に言わせてみたい!

 それまで、がんばれ理事長!

風の谷〜泰阜村    
  天からの慈雨のごとく

 先日、何故か胸騒ぎがして大学時代の恩師にお電話をおかけした。お声に力がなく何が起こったのかと問うと、「長年連れ添った妻を失い独りで暮らしている。自分で苦労して立ち上げた精神の授産所からも辞任を通告され、仲間を失い生きていく目的を失った。ヘルパーさんが来るけど・・・」これを聞きながら、福島在住のその方が東日本の大震災に被災され、その後始末も手つかずにいることも知り(蔵書が部屋中に散らばり積み重なっているらしい)、お見舞いに行かねばと心した。

 時期を同じくして大学時代の我が秘蔵子ゼミ生からも電話を受け「会いたい」と言う。この子も(もう30代半ばだが)東日本大震災被災者である。共に大学時代の恩師を見舞いに行くことになった。私は朝4時半起きでの福島行である。

 その突然の思い付きが元学生たちの間にラインでまわり、何故か元老教員二人を慰労する会に発展した。福島の老舗温泉旅館に連れて行ってくれるという。据え膳盛飯とはこうゆうことを言うのか、子供たちに囲まれて「温泉」に入るってこんなに心も体も休まるのかと、思い出してもこんなに幸せな事を経験したことがなかった。

 老恩師と私(共に後期高齢者)は、いつの間にか立派に育った(福祉分野ではそれぞれの場で中堅管理職に就いていた)子らにケアされ、「本当に幸せだね〜、生きていてよかったね〜」と言い合った。

 その夜は、女子部屋で2次会となった。飲むこと飲むこと、へェ〜あの時の心細そうな子供たちがイッチョ前のおばさん、おじさんになってしまって、それぞれの福祉現場で悪戦苦闘している状況の打開策について検討会+共感となっていた。脇でそのディスカッションを聞きながら、ますます福祉現場から人間の良心が失われていく現実と悪戦苦闘している子供たちをみて、このように育った次世代の子等に出会えたことを心から天恵と感じた。山の奥深くで孤軍奮闘していると思っていたが、この子らが日本中に散らばって戦っているのだと知った。

 「先生のブログ見てますよ!」と口々に言う。「卒業して10年経って、よく考えてみると大学時代に先生が言っていたこと、やって見せてくれたことを、自分もやってるじゃんと気が付いたの。先生これって先生がいつもやっていたことですよね。」うんうんと頷きながら涙がこぼれそうになった。

 実習巡回に行くと、泣きながら「もうこんなの人間のやることじゃありません。虐待です。それを実習指導担当者からやれと命令されたり脅されたりするんです。私はもう福祉は向いていないと思います」と言われたことを思い出した。介護保険の経済的締め付け10年前よりももっと厳しくなったこの時期に、この子らが雄々しくも優しい心を失わずに、日々の実践の中で「基本的人権」のために、心と知恵を尽くして戦っているのを見た。

 天からの慈雨を浴びていると感じていた。

私も、置かれた場所で死ぬまで、力を尽くして「基本的人権」のために闘おうともう一度心に誓った。

 

 毎年縦ゼミ会(教え子1年から4年生まで約600人?)を持ち回りで開くことに決まったらしい。来年は日光だとか・・・

 元気でいなくちゃ!理事長!

 

 有難う!有難う!嬉しいよ!こんな嬉しいこと教師冥利に尽きると言うそうだ。本当に有難う、みんな元気で頑張れ!

 

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々8年半の活動報告     

 先日国土交通省にお邪魔し、10年前に頂いた補助金「まちづくり交付金」第1号の活動報告をさせていただいた。特別養護老人ホームとの違い、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅との違い等具体例を示しながらお話した。ほんの一部の金持ちを除く大部分が、生活保護以下の年金生活を送っている過疎山村の住民実態調査(高齢化率39%、高齢者の村民税非課税率82%)からは、「悠々方式」こそが住民にとって「安心して住み慣れた地で暮らし続ける」ための方法として有効であると思うと伝えた。「悠々」の指定管理者として残すところ1年余りとなり、やがては高齢化率が4割に迫ろうとする日本社会にあって、年寄りたちがどのように老いていくのが幸せなのかを、様々な具体例を通してお伝えした。

 2007年の悉皆訪問調査および2014年の高齢者追跡訪問調査からは、3世代同居の高齢者が必ずしも幸せとは限らない⇒子供世代は皆働いているので、日中独居がほとんどであること。このため高齢になると家族による行動制限があり、ベッドでTV+お昼はペットボトルのお茶とおにぎりorコンビニ弁当が多いこと。∀敬徂慇ぢ咾埜亀い任い觧か、独居でも車の運転が可能で、年を取っても人生のライフスタイルが継続できる事が幸せの条件であることなどが明らかになったことをお伝えした。以下悠々のサービスの特徴をあげ、これこそが今後日本の貧しい中山間地域のお年寄りの、真のニーズに応えるものになるのではないかと示したものである。その第一は、基本的な事業は永住入居(施設)ではなく、介護認定関係なしに誰でも泊まれる「ケア付き民宿1泊5千円」である。(ex:八ヶ岳山麓から90代の御婆ちゃんと国の天然記念物である甲斐犬同伴で2泊3日⇒ペットトレーナー修行中の青年による犬のお散歩付き/1日2回/時給千円)(ex:癌の末期と入院中に宣告され、「悠々で死にたい」と言って介護タクシーで病院から直行した60代の男性が、悠々のリハビリ専門医の指導や栄養管理、のんびりした普通の生活の中で活力を取り戻し、3か月後に電車に乗って自宅復帰、独りで入浴可となった)等上げればきりがない。現在は癌の治療中の後期高齢者が、抗がん剤治療の合間の自宅療養を「悠々民宿」で乗り切ろうとしている。最近は特に在院日数の短縮化で自宅に返されるが、自宅にはおろおろした老伴侶が待っているばかりor単身独居である。悠々では、役員のリハ専門医ならびに看護師によりる医療的管理と、能力にあったリハビリ指導が受けられ、悠々食堂の手作りの栄養に配慮された食事が供されることにより、体力の維持強化が図られることが難病に効果があるのではないかと評判である。また、悠々には様々な地域住民に向けた催事や悠々食堂を利用するご近所さんの出入りが日常的にあり、地域に開かれているところが「普通の暮らし」を醸し出しているのではと思われる。

 ただし、難点はこの横出しサービス(急な発病による通院介助等)には補助金が付かず、深刻な人出不足が永遠の課題である。

国交省の方には、研修生をお一人出して頂けないかと厚いお願いをして辞去した。もちろん最後に泰阜村が多額の補助金でサポートし続けていただけること、大自然の懐に包まれてある癒しの力が「悠々」の癒しの本体であることを付け加えることを忘れなかった。

 指定管理者残すところ1年と少し、ご苦労を掛けた役員も年老いてきた。みな最後は悠々でと口々に言う。

人は「理事長の変わりはいないでしょ。死ぬまでやるんだよ。」と口々に言われるが、このところ体のあちこちにガタが来て、病院通いが多くなった。さてどうするか・・・理事長!

 

風の谷〜泰阜村
山里の梅雨景色

 昨今の気候変動の中で、山里のお年寄りたちの頭の中は、いつものように梅雨には雨がしとしと降り、夏が来たらカァ〜と暑いお日様が照ってくれるのだろうかとの不安でいっぱいである。昨日梅雨入り宣言をニュースで知り、「あ〜やっと今年も梅雨に入ったか」と誰ともなしに安堵のつぶやきを口にする。昨日から降り続いた雨に、田畑が森が、しっとりと緑色を濃くして大きく息をしている気配がする。花の村泰阜は、道端沿いにキバナコスモスが一斉に顔を並べ、垣根越しにはに花菖蒲の色鮮やかな紫が見える。緑の森の中では、ヤマボウシが白色の清楚な花をひっそりと散らばせ、ヤマユリたちが一斉にピンク色の蕾を膨らませた。「栴檀は双葉より芳し」と歌に詠まれた栴檀の小さな紫色の花に包まれたことがあるだろうか。

 泰阜の山里が四季折々の花で包まれる花の里であることを、住民はあまりにも当たり前でたいして感動もしないが、都会育ちのものにとってここは秘境そのものである。

 昨日は、知り合いの方から「梅畑の梅を取りにおいで」とお声をかけていただき、我がスタッフが収穫前の立派な小梅を捥ぎにいった。20kgも採ってきて、双袋の重そうな米袋を食堂のテーブルに広げ早速、入居者のお年寄り、スタッフ、デイサロンのお年寄りたちが、「この小梅を塩漬けにしようか」、「砂糖づけにしてカリカリと食べたいね」、「大梅が取れたら梅肉エキスを作ろうか」、「いやいやあれは、土鍋で何日もかけてとろとろとつきっきりで炊かんといかんから、大変だぞ〜」「あれはどこの家でもかならず作っとったで〜」「昔は腹が減っとったで、子供らは皆青梅をちぎってポケットに入れておやつに食べとったもんだ」と喧々諤々のおしゃべりに花が咲いていた。

 

 

 この村の昔の暮らしがいかに貧しかったか、それをどのように搔い潜って生きてきたかを垣間見た瞬間であった。

そのおしゃべりを大切に心に留めながら、この村の人々たちは、この大自然の寶物さえあれば、どんな災害が起こっても生き残ることができると密やかに確信した。


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