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風の谷〜泰阜村
泰阜村の初盆まいり

 昼の猛暑は、日本列島いずこも同じだが、この泰阜村、朝の4時にはクーラーのきいた室内(27度に設定)より外気温のほうが圧倒的に涼しい!窓の外の森からはカナカナゼミの声が聞こえ、もう秋なのだよと知らせが届く。

 悠々のお年寄り達も、いつになったら雨がくるやらと祈りにも似たため息をつく。

泰阜村の野菜畑が赤茶色に焼けて、畑一面枯れてしまったところが目に付くようになった。山間の田んぼの稲もどことなく勢いがなく黄色っぽい、生育がいつもの年より遅れているのかと思う。

 悠々のアジサイは花が開いたまま枯れて茶色になったまま立っている。

今年も午後になると、毎日のように救急車の鳴らす音が里山に響かない日はなかった。毎日毎日その音が里山にこだますると、どこかでまたお年寄りが熱中症で倒れられたかと心が騒ぐ。

 今年は、悠々のスタッフにも訃報が届き、大切な方々が亡くなって8月14日は初盆参りのために、スタッフの影が消える。

肝心の社協も休み、悠々の重要なスタッフも御身内の方々が亡くなって、初盆参りが重なった。

 

 さて、重度介助のお年寄りを抱えた悠々をどうするか。365日、助けを必要とするお年寄りを抱え、残るは理事長一人である。

今年は、日中のケアと賄い、夜勤当直を連続で担当を引き受けた。労働基準法は、管理者には基準法が適応されていないとかで、安心して24時間眠らず休まず働けるらしい、その上無給だ・・・・。

 

 今年もたくさんのお年寄りが逝かれた。寂しさがじ〜んと胸に沁みてくる。そのお一人お一人がこの村の力仕事を引き受けていて、誰からもこれといって褒められもせず、黙々と村の管理をしていたのだと聞く。

 その方々が一握りの灰になってしまって、力仕事の慣れない若い衆が残って・・・さて残されたこの村は誰が支えるのか考えたい。

風の谷〜泰阜村   
   家族未満友人以上のケア

 脳梗塞・左片麻痺を発症したM翁が、無事リハビリを終えて一昨日悠々に帰ってきた。認知症が少し重くなり食事も刻みトロミ食全介助となった。そこで病院で行われていた既成のトロミ食と昼間の車椅子拘束自走の生活を変更することにした。

 まず、寸胴鍋にたっぷりの水を入れ、切り出し昆布1袋+かつを節厚削り1袋+どんこの干しシイタケ一握りで半日がかりでだしをとり、アイスキューブに入れ保存。基本的にはこのスープですべての料理を煮ることにした。

 帰ってから一番に、このスープで炊いた雑炊(たくさんの野菜とささみのみじん切り入り)にトロミ剤を少し混ぜ口に運んだ(塩・醤油等の調味料一切なし)。本人「美味しい!」と一人でパクパク食べはじめた。完食である。スタッフ一同それを見守りながら「やっぱり本当に美味しいものは、介助しなくても自分で食べるんだね。」と確信した。この日はこれにカボチャの煮つけを一つ、スープで塩気を抜いたウナギのかば焼きを潰しスープで緩めたものに+トロミ剤少々が混ぜられたこころばかりのご馳走となった。「退院祝いね」と伝えるとニコっと笑った。

 さて問題は昼間の車椅子に乗っけたまま拘束帯で縛り、室内を自由に動き回らせておくというケアをどうするかである。

92歳の彼は、もう4年も前から3食とお茶の時間以外はベッドで寝ている習慣であった。リハビリ病院では、昼間は覚醒させてリハビリする目的のために、ずっと車椅子に騎乗する生活であった。おかげで歩行器歩行が見守りで可能となり、食事が椅子に座って摂れるようになり、ポータブルトイレに見守りが必要だが自分でトランスが可能となった。たった1ヶ月間でこの年寄りをここまで復活させ得たリハビリ訓練の効果にはあらためて脱帽した。

 しかし、お家に帰ったら彼はどうするであろうか。疲れを訴えベットに戻りたがる彼を見て、私たちスタッフは覚悟した、少しぐらいケアが重くなっても、3回の食事を皆と一緒に食堂で時間をかけて食べ、10時と3時のお茶も食堂で時間をかけておしゃべりして過ごす平均5時間でいいことにしようか・・・・「5時間、充分だよね〜。92歳なんだもの。ここは死ぬまで暮らす彼の家なんだものね。ゆっくりしてもいいよね。」

 これが「悠々的ケア」の基本的考え方である。その上スタッフはみな優しい。

 

 

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    染み入る言葉を頂いて

昨日は蒸し暑い一日だった。悠々ではお年寄りが寒がるこの季節、扇風機さえおけず、ましてやクーラーもかけない。私たちスタッフは大汗を拭きながら「暑いね、暑いね」を連発し「もうこれ以上脱ぐものはないし、風はそよとも吹かんし、あはは」と愚痴っていると、M.M. おばあちゃん「今日は暑いね〜、わしはやっとガラス窓を開けて網戸にしたよ」という。「Mさん、あんたはまだ腹巻と股引はいてんのかね」と聞くと「勿論さ、股引も履いてる。これは一年中取れんのさ、腹巻とると下痢をするし、股引脱ぐと足元が冷えて冷えて寝むれんのさ」という。「そうか、でも真冬のダウンケットはもう外そうよ。夏掛けの上に毛布を掛けて調節しようか」というと。今度はI.M.おばあちゃんも声をそろえて「駄目だ!腹巻はしとらんけど、わしも股引を一年中脱いだことはないよ。冬布団も昼はくるくると足元に撒いておいて、朝晩はそれを引っ張りあげて寝るんサ」という「朝晩は冷えるからの」・・・「そうなんだね、わかった」私たちスタッフは、こうやってお年寄りと私たちの皮膚感覚のずれが根本的に違い、お年寄りが暑さ寒さを自由に調整して生きているのだと知ったのであった。

 その会話の中で、「私はこの年まで本当に苦労して生きてきた。農家に嫁に来てから、70年間お父ちゃんと一緒におれたのはたった10年間だった。お父ちゃんはトンネル堀の塵肺で倒れるまでずっと出稼ぎにでて家計をささえてきてくれた。残された私は一人で子供を育てながら家を守らにゃならんだった。田の代掻きが出来んで、隣のおじいちゃんによう笑われておった。そのおじいちゃんは見ておれんと言って、ほんに親切に代掻きを手伝ってくれたもんだった。わしは本当に親切ないい人に助けてもらってここまで来たと思う。お父ちゃんが帰ってきてからの最後の2年は入院していて、一日中ずーっと傍に付き添っていた。親戚の嫁さんが「たまには変わってやらにゃ〜」と言われたけれど、お父ちゃんが「あれが一生懸命世話をしてくれるから、M子でいい」と断ってくれた。「嬉しかった」という。

 つづいて「生きているということは本当に大変な事。こんな年まで生きておって家族に迷惑を掛けて申し訳ないと思っておった。自分から『施設に入れてくれ』と頼まにゃいかん歳が来たのだと思っておった。だが今度息子から『手術のために入院するからどこかに預けたい』と言われた時、じっと息子の目を見た。息子もそれ以上何も言わず、じっとわしの目を見ておった。とうとうその日が来たのだと知った。家を出るときわしは『ちょっと車を止めてくれ』と娘に頼み振り返って家を見た。70年も暮らしてきた家を見たかった。もうあの家を出たらこの家には帰れないのだと思った。辛かった。振り返ったら息子が一人門の前に出て、見送って居った」と涙を流しながら語ってくれた。

 施設に入るということの意味を私たちはもっともっと深く受け止めねばならないのだと知らされたのだった。

その後に続く言葉で、私たちも涙した。

「この年までいろんな施設を見て来たけれど、こんなゆったりと自分らしく過ごせる施設があるとは知らなんだ。私はここにきてもう思い残すことは何もなくなった。幸せにお迎えが来るまで待って入れると思う。ここのスタッフは、それぞれ顔が違うけれど、みんな本当に優しい一つの心だと思った。どうしたらこんな一つの心になれるのか知りたいもんだ。今度入居するAさんも(ご近所のお知り合いの方らしい)早く入ったらいいと思っている」

 10年目にこのような言葉を入居者から頂いた。この苦しい時に私たちは天からの励ましの言葉を頂けたのだ。ただ、ただ感謝‼

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   要介護4退院患者M氏をお迎えして

 2か月前に脳梗塞左麻痺重度で緊急入院し、何とか命を取り留めた92歳の男性が、リハビリ入院を終えて夫を待つ妻の下に帰ってくる...。要介護1だった彼は要介護4となったけれども、見守り付き歩行器歩行、介助付き嚥下食、見守りポータブルトイレと重度の介助付きの身になって戻ってきた。問題は精神的に自律神経失調症を抱えている90代妻との同室での生活である。

 可能な限りケアは私たちスタッフがやるので、緊急時の通報をお願いすることになる。

最後まで、ご家族を支えながら懸命の支援をお約束した。どんなに介護が重くなっても、長年連れ添ったご夫婦でともに残りの人生を過ごせるように私たちで、全力を尽くそうと思う。

 もうお一人時期を同じくして85歳の女性が永住入居を希望してこられた。81歳で転倒骨折し骨粗しょう症があると言うことで手術は受けられず絶対安静にして自然治癒を待つという医師のご判断で、4年の間寝たきりの3ヶ月事の施設移動が続いた。要介護度が1と言うことで特老には受け入れてもらえず、老健をたらいまわしにされていた。諸事情があって61歳の長男一人がこの母親の世話をしていた。他の家族はみな病や障害に倒れ、彼だけが家族の介護・療養を引き受けていたのだが、限界に来たとの訴えがあった。

そのお年寄り85歳要介護1をお受けすることになった。車椅子見守り介助の彼女の問題は、精神的問題を抱えているとの情報があるが、普通のお年寄りが4年間も施設を放浪して生きていなければならないなど、精神的におかしくならないほうがおかしいと思う。

 このお年寄り手がかかりそうだが大切にできるだろうか・・・大切にしようと思う。

 それにしてもスタッフの人員が足りない。朝ケアに一人のヘルパーが獅子奮闘しても30分もかかる。その方々を3人も抱えていてはスタッフがつぶれる。労働基準監督署の目も光っているし・・・理事長が賄い週2日と朝ケアをそれ以上抱えるなんてこといつまで続くことやら・・・と思う。せめて朝ケアだけでも介護保険サービスの巡回サービスをお願いしたいものである。

 社協も人材不測で振り回されている現状では、これもなかなか難しいとのことである。

さて、困っているご家族の支援を続けるためには、強力な人材を確保するという理事長の力量が求められる正念場にかかっているということであろう。

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   94歳自立女性の入居顛末

 この度、隣村から新しいお年寄りをお迎えすることになった。94歳女性自立三世代同居(泰阜村出身)。しかし同居のご長男が手術のために入院となり、その間転倒の恐れがあるお年寄りの見守りが出来なくなるのでと、1か月の短期入居でお預かりしていた。そのI.M.さんが1週間ほど悠々の暮らしを体験してこんなことを呟かれた。「わしは、自分では掃除も洗濯も何でもできるし、裏山の畑にも出て行って畑仕事もできるので、家族には迷惑を掛けないできたと思い込んでいたが、本当はやっぱり留守の間に転んだら困ると心配かけておったんだね〜」。しばらく様子を見ているとかすれ声が異常に小さい。悠々で朝昼晩と10時と3時のお茶タイムに食堂に出てきて、臨席の89歳のM.M.さんが知り合いだったということもあって、おしゃべりが弾んだ。そのうちに「こんな連れがあってよかった。施設に行けと言われたがこんなに楽しいとは思わなんだ」とお互いに楽しさ倍増の日々となった。女はいくつになってもおしゃべりが元気の秘訣なんだということになった。そして約束の1か月が近づいてきたある日こんなことを呟いた。「わしはこれまで長い間声を立てて笑うということがなかった。家族は優しかったけれどみんなそれぞれが忙しくしていてわしのいる場所はなかった。わしは飯がすむとすぐに自分の部屋に行って他の家族たちが楽しそうにおしゃべりしているのを聞いていたもんだった。それでこのごろ年寄りは長生きをしてはいかんのだな〜と思うようになった。家族たちはみな優しいので、施設に入れとはいえないのだから、わしから施設に入れてくれと言わにゃぁいかんのだなぁ・・・と。でも何十年も住み慣れた家から離れるのはつらくて言えなんだ。大好きな家族達と離れるのは決心がつかなんだ。けど、ここならゆっくりと自分らしくおらせてもらえる。ここにおいてもらえるのかね〜。このような年寄りが幸せなっていいのかね〜」「それとここで最後まで置いてもらえるのかね〜。それが心配で・・・」

理事長「大丈夫ですよ。あなたがそれをお望みで、ご家族がそのことを『いいよ』といって下さったら、最後の息を引き取るまでここで私たちと一緒に暮らすことができますよ。私たちはご縁で結ばれた新しい家族のように暮らしましょう」

 1か月半後ご家族との話し合いをして、永住入居の契約が結ばれた。

この1か月半のI.M.さんの永住入居に至る顛末を経験して、お年寄りが90歳を過ぎると身の置き所がなく、あの信州のどこかの姨捨山伝説を思い出すのだと知った。

 後日古老から、「昔『姨捨山』というところが泰阜村にもあったんだよ。この村では年寄りが70歳になるとそこに捨てられたもんだ。」深沢新一の姨捨山の伝説は、信州の山深い部落の90代の年寄りには自分の事のようによみがえるのであろうか。

 その姥捨山伝説を、悠々では「最後までゆっくりと穏やかにいつものように暮らして生きていてもいいんだよ」に塗り替えたいものだと思う。

 森に包まれた我が家の庭の木陰に、楚々としたピンクの笹ユリが満開だ。

 森の精たちに包まれ泰阜の幸せを頂いて 私は今日も元気になる。

 


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