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風の谷〜泰阜村     
     施設でのケアの限界とは・・・

 北信では今日も雪が舞うと聞き、2,3日前に融雪剤18袋を集落の急坂な村道脇に置いて回った。1袋25Kg のそれはあまりにも重く、女の年寄りでは引いても押してもびくともしないということで、やはりご近所の70代後半の男性が軽トラックでやってきて「手伝うから横に乗って」と言って、手伝っていただいたが、それが要因かどうか2日後に入院してしまった。うちの部落は総勢10軒、そのうち80代の寡婦が二人、単身赴任で一人残された老妻が二人、80歳を超え障碍を持っていて重い仕事ができない人が三人、重い病気の療養中の男性一人、ということで6軒は班長の仕事が困難である。自分の地域を愛していて、離れられない者たちが助け合って暮らしている。その年老いた仲間たちに厳しい冬が到来した。

 悠々はその年寄りたちに灯火となるか?心を温める焚火となれるかが今から試されるのであろう。

先の総会の来賓あいさつで、村長が「この事業が真に村民に受け入れられるようになるのには10年、20年かかるのであろうと思う。がんばってやってください」と今後を託されたが、前にずらりと並んだ役員の顔触れは、紛れもなくくたびれた年寄り達に他ならない。それを受け懇親会では、「月に1回はボランティアをしに通ってくるよ。息子たちと相談して村に移住するか相談してみる」という厚木在住の組合員の力強い言葉を頂き、神奈川在住の新入会組合員のお一人は「冬の自家用車は厳しいから、電車でくる方法を調べるよ。月1回は来るようにするよ」とやってみればあまりにも遠い距離に閉口するのだろうが、そんな嬉しい希望の灯を置いて行かれた。

 さて悠々では悪性腫瘍の短期療養入居者をつぎつぎお預かりし、(入居者は少ないのだけれど)最少のスタッフで対応している。週1回の市立病院への通院介助、ご本人とともに入居されているご家族のケアも担いながら、徐々に重くなる症状に悪戦苦闘の日々に突入した。大変なのは、医師に指示された重要なケアを、本人が頑固に拒否されることである。この時、本人の意思を尊重(自尊の心)すると、病状が新たな段階に突入することが確かであるとき、(専門職による特別なケアを必要とする時)それを放置することはできない。

 これが施設のケアの限界であろうか。

本人は、病院からの帰途車中で「あと1年、2年は生きたいな・・・」と呟かれる。

「車は運転したい。議員の仕事も悠々の会計事務も自分がする。正月は家に帰って家族とおせち料理を食べる。トイレは自分で行く。ケアは必要な時にしか要らない」とがんこに貫かれる。

 人は本当はこうやって最後まで自分らしく生きていたいのだ。 

風の谷〜泰阜村   
    晩秋に思う・・・

 雪の便りが聞かれた。泰阜村ではあちこちの軒下にすだれ柿が吊るさせれている。冷たい北風の到来に錦秋の森に落ち葉が舞って、日増しに森が明るくなってきた。落葉樹の森に落ち葉の絨毯をサクサク踏んで、独り散歩するのがいい。

 11月26日の日曜日に、村長や村会議長等村の来賓をお迎えして、第11回通常総会を開催することになった。

この村に通うようになってもう40年になる。そしてこの村に「悠々」を作りたいと思い立ち、本格的に移住してからでも12年経つ。長いかな〜短かったような気もする。今回の総会は、来年には10年間の指定管理の区切りを迎えるということで、村にとっても我が役員やスタッフたちにとっても意味深いターニングポイントとなる。

 この9年間で視察者は北は北海道から南は沖縄まで、実に多くの方たちと交流できたように思う。その方たちが決まったように口にする言葉がある。「何故かわからないのだけれど、ここに居るとほっこりして体中がゆるむ気がする。帰りたくない気がする。」そう言って思い出したように民泊のリピーターになられる。

 当初それを目指したわけではない。しかしこの村で、この大自然に包まれた里山の奥深くに(近くのJRの田本駅は秘境である)、ひっそりと仲間たちと身を寄せ合って和やかな家族のような暮らしがしたいと望んだ結果、今の「悠々」が出来上がった。私の心がけたことはそれだけだった。

 この事業は、厚生労働省ではなく(これまでたくさんの補助金を事業を起こしては厚生労働省から頂いたけれど・・・)当初の大型の補助金は、日本の過疎山村に住む、経済発展から取り残された貧しい村の、それもまた時代の荒波に取り残されたお年寄り達と、身を寄せ合って、貧しいけれど幸せになれる暮らし方を実現したいと訴えて、その活動拠点としてのバリアフリーの建物を建ててくださいとお願いしたのだった。

 この12年間住民として部落の班長をやり(同時に5つの役を抱えることになるのだが・・・)、村の運動会でよろよろと走り、綱引きで優勝するまで力を入れて村の古参のお年寄りに笑われ、年に数回の道路愛護に汗をかいた。もう部落のお年寄り達とは、家族未満友達以上の関係である。そのように生きてきて、お金では買えない幸せを頂いた。

 TVの中で偉いお役人たちが「これからは地域の時代だ!」と叫んでいるようだが、地域の絆はお金では買えない。天から降ってくるものでもない。自分の村を守るために共に汗をかき、困ったときには飛んで行って「大丈夫か」と顔をのぞかせ、自分でできるほんの小さなことをする。それらの日々の暮らしの中で積み重ねた「思いやり」が、知らぬ間に地域の絆を育てていってくれたのかもしれない・・・と思う。

 そのお年寄りたちがご近所さんを誘って、月に1回の「地域リハビリ教室」に集まってくる。お母さん役の理事長の手料理が「おいしい!」と言ってみんなでほめ殺しにする。入居者たちも1ケ月に1回会えるご近所さんから最近の情報をゲットしているらしい。

 一番いいのは、この「リハビリ教室」の後である。お年寄りたちは畳コーナーのこたつの中に足を突っ込んで、ゆっくりおしゃべりしたり昼寝をしたりして、まるで誰かの家の離れのようだ。そう感じているらしい。

 そして先生方は、混迷する地方の活性化のためにどうすればいいのかと、熱い議論をする。「〇〇〇研究所を創ろう」という話まで出てくる。「どう思う?」と聞かれ、「あのね私はいったいいくつになるのかを考えてみて下さい」と答える。もうじき80歳に手が届きそうだというのに・・・何を言い出すのやら。

 「悠々」では特別なことは何一つやってこなかった。できなかったのもあるが(星空観望会、託児所、地域名産物販売等)、「ケア付き民宿」が今のところ一番のヒットメニューであろうか。それと「悠々食堂」。村に一番必要で、それにもかかわらずこれには介護保険も他の補助金もつかない、とあって評判を呼んでいる。

 なにも特別な事ではない。ただこの村のお年寄りにとって、とっさの困ったとき、これがあれば生きていけるというものである。

風の谷〜泰阜村 
「病院での最後・・・」

「癌の看取りを施設で終わらせるのは忍びない」と、今月97歳の誕生日を迎えるというMさんのご兄弟が言い出したということで、内服用の麻薬鎮痛剤が終わったので受診したところにお嫁さんがやってきた。

 前日まで自分の足で歩行器でトイレに行き、昼食までは食堂に出て自分で普通食を食べていた。お茶の時間にも皆と頂いた柿を美味しそうに食べていた。出血は続いていたけれど、血液検査結果では貧血はあるけれど栄養状態も落ちてはいない、心臓機能、肺の機能も落ち着いていると告げられた。

 しかし家族は上述の理由で入院を強く望んだ。医師は確認のため施設長の私の顔を見た。私は「このような場合は、ご家族のご希望が優先します。どうぞご家族の判断にお任せします。私はそれに従います」と告げた。

 医師も「延命治療を望まない」と言われていたご本人の意思を確認していたはずであっが、ご家族の顔を向き今後の治療方針を告げていった。「失血の量を把握するためバルーンカテーテル挿入、失血に対し輸血を、尿路感染には点滴治療を実施します」と。体中を様々な管につながれて逝くことになった。

 

 「これらの治療は本人のためかなのだろうか?」「どうしてこんなことになるのだろうか?」

昨晩は、ベッドのそばで「おじいさんはどこに行ったね」「おじいさんはね、先にあの世に逝かれたんだよ。Mさんのお席を準備しておられるからお迎えが来るまで一緒に待っていましょうね。いつも私たちがお傍にいるから大丈夫!」と言っていたっけ。

 私たちは朝も昼もいつも見守り、痛くないように、不快でないようにと心がけていたっけ・・・。私たちはMさんを愛し、大切に思っていた。誰も口にはださないけれど、空っぽのお部屋の前を通り過ぎるとき胸が痛んでたまらないことを、せめてMさんへの贈り物にしたい。

 

 

風の谷〜泰阜村  
    悠々の看取り

 癌のステージ4と宣告されてから1年経過している96歳のMさん。先週の金曜日の夜、突然の大量出血が止まらなくなり、近くの県立病院に連れて行った。かかりつけの医師からは血液検査、CTを家族等に示しながら、「今日、明日ということもあり得ます。最初のお話しのとおり、延命治療はしないということなので、痛みと苦しみをできる限りとってあげましょう。大変だと思いますが、頑張ってください」というお言葉をいただいた。その夜から麻薬の鎮痛剤服用が開始された。

 それから4日、見た目には普通のお婆ちゃんに見える。夜中には独歩でトイレに行き、皆と同じ普通食を食べ、3時と10時のお茶にも出てくる。余命宣告の翌日、親戚一同がやってきた。お昼も普通食をご一緒に召し上がられ、同席の家族はいつ逝くかわからないというのに、あまりにも普通に見えるのでびっくり仰天して帰られた。

 それから、Mさんの興奮状態が収まらない。「10人もいる兄弟がみんな来てくれた。こんな嬉しいことはない。みんな年を取っているので普段でもめったに会えない兄弟に会えて、話が出来て嬉しかった、生涯でこんな嬉しいことはなかった。それに皆さんが嫌な顔もせずに迎えてくれたので嬉しかった。このご恩は忘れない」と言う。それから誰彼をつかまえてはこの興奮状態が続き、スタッフは体力の消耗を心配した。

 今日で4日目、診療所の先生が東京に出かけて月、火と二日間この村は無医村になる。家族とその時に臨終を迎えたらどうするということになった。死亡診断書の事である。このままお亡くなりになったら、救急車には死人を乗せてくれないので、「ご遺体を抱えて県立病院にお連れするしかないか」と言うことになり、誰がご遺体をお運びするかで家族が、「家ではそれは無理なので病院に入れてください。」といわれる。それを聞いた理事長「食事も普通食を取っている。独歩で歩けてしゃべれる。自分でトイレでおむつ交換ができる。服薬は自分で普通にできる人を病院は入院させません。死亡診断書を頂くために入院はできないと思いますが・・・」

 家族は、苦い顔を見合わせている。「どうしてもご家族が、ご遺体を抱いて病院にお連れするのが出来ないと言われるなら、私が抱いてお運びいたします。死亡診断書を頂いたらご家族をお呼びいたします」と告げた。診療所の医師が居なくなる時、泰阜村で看取るということは、この覚悟が家族に求められるのであろう。お住いの下条村でも最近往診がなくなったそうである。

 

 台風一過、朝一番の空に二本の虹が「悠々」の天空に掛かった。

 その夜は澄み切った空に三日月がくっきりと浮かび上がっていた。悠々のなかでは、昼夜を問わず心配げな顔でケアを続けるスタッフの顔がある。今日は理事長の賄いの日である。この激務いつまでもつか・・・

風の谷〜泰阜村    
   錦秋の風の中を悠々にも新たな風の予感

 アルプスに囲まれた伊奈谷の棚田に稲架かけ米が並んで、見事な秋が無事にやってきた。異常気象の中で、貧しい村のお年寄りたちが今年の稲の収穫を本当に心配していた。この稲刈りが終わりホットする頃矢継ぎ早にやってくるのが、村民大運動会である(先週秋晴れの中終了した)。明後日は秋祭りである。しかし近年の高齢化で、この秋まつりにやってくるのが神社部の担当者と宿六さんという下働きをする当番にあたった部落の年寄りたちのみである。昔は村で生まれた子供や孫たちのお宮参りで賑やかだった。今は伝統文化を自分の代で絶やしてはならぬと、頑張っている年寄りたちがよろよろとやっている。

 一時の賑やかさは、近くに住む山村留学の都会の子供たちが、境内に撒かれるお菓子を目当てにわぁ〜とやってきて、さぁ〜と潮の引くように消えてしまうという寂しさである。子供の姿が見えないお祭りなんて、青年たちがワッセワッセとやる姿が見えないなんて祭りか!と問いたい。

 さて、それでも泰阜の伊那谷の秋の風情の美しさは何物にも代えがたい美しさがある。その中を吹き渡る風の芳しさはこれまた口に言えない。

 その中にあって、最近悠々にも新しい風が吹く気配を感じるようになった。毎日のように入居のお問い合わせを頂くようになったのである。問い合わせの条件がこれも皆一応に決まっていて、まず/涜欧鬚い蹐鵑覆海函壁袖い虜歸)で呼び出さない事、△金は定額の税込17万円から請求しない事、F居は特養の順番が決まるまでの期間 ということである。

 「つまりは、手間のかかる年寄りを捨てたいということか?」とじっと目を見ながら聞いてみた。すると大慌てで「いえいえそんな気持ちはかけらもありません。一生しっかりと面倒を見るつもりです。しかしこの人を施設に入れたら、私は女中のような仕事から解放されたい。この人が駄目になってしまったのでお金はやっと自分の自由になった。私も人生を楽しみたい・・・」と言われた。

 気持ちはわかる。そうだろうと思う。女は楽しむ暇もなく奴隷のように男の暴力的な言動に振り回されてきたものだ。

しかし、気持ちはわかるが、我が悠々のスタッフをその代理としてお引き受けすることはできない、とは理事長の堅い決意である。

 

毎日のようにお問い合わせ頂く方が、揃いも揃って「男性・認知症要介護3」80代後半〜90代の方の介護者からの悲鳴である。その上今小規模多機能を利用しているが、「もう看れないと言われた。特養の順番が回ってくるまでのショートで・・・」という事である。「どうして小規模多機能で認知症要介護3の方がお断りされるのでしょうか」と問うと、夜間の問題行動を管理するケア担当者を確保できない(人材的にも・経営的にも)ということである。

 悠々はでは、当直のボランティアさん(男性)を願いしている。ケア担当者ではないので、夜中に問題が起こったら即座にスタッフを呼び出す仕組みになっている。スタッフは悠々の近隣5分以内の在住者である。

 そして経営的には、この二人のボランティアさんの手当てを捻出するため、この10年間の理事長の報酬は無給である。

悠々にも新しい風が吹いてきた予感!しかし悠々は、お年寄りをゴミを捨てるように放り出される場ではない!近隣のお年寄りたちと家族のように暮らしている「地域のコミュニティーセンター+食堂+ケア付き民宿」である。したがって永住入居者の専用施設ではないので、あらためてご紹介を!

 


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