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風の谷〜泰阜村   
   悠々の御年取り

 今年の大晦日の恒例の御年取り行事は、年寄り達が「ここでみんなと一緒が良い」と言って、家族の元には帰らないことになった。ぽっかりと空いた12月31日大晦日の賄いと宿直+元日の賄いシフト。元旦の賄いは、夫(医師)と共に新しくセンター長となった本田が、御年取りと元旦祭をご一緒することになった。「どうせ二人でやるはずだったのだから、悠々のお年寄りとご一緒でにぎやかでいいね」ということになって、奇妙な家族が下伊那伝統の御年取りと新年の行事を(インターネットで調査・・・)共にすることになった。

 12月28日には高齢の元理事さんご夫婦(組合員)が、例年通り悠々の玄関と各部屋入口にしめ縄とおやすを飾り付けてくれたので万全である。30日にはインターネットで調べた「下伊那の年取り料理」コピーを片手に、買い出しであった。

 主な献立は「節米(新米)」、「年取り魚(鰤)」、「黒豆」、「田作り」、「数の子」、「しぐれ煮(貝ひも・人参・椎茸・蓮根・昆布・生姜・こんにゃくの煮物)」、「おなます(大根と人参の酢漬け)」、「汁(豆腐・里芋・大根・牛蒡・人参・こんにゃく・糸昆布)の7品を醤油で煮込んだもの」、「昆布巻き・タコ・カリンの砂糖漬け・栗きんとん・鯉の煮物」である。

 正式にはこの移住40年間でこのような正月料理を用意するのも初めて、夫と二人、悠々のお年寄りを囲んでご一緒に大晦日の夜と新年を迎えるのも初めてである。

 ホンに泰阜村の爺婆になったんだな〜と実感である。御縁で集められてご一緒にこの年越しを迎えられるのはちょっとドキドキする。大晦日の当直のお泊り一式と元旦の余所行きをバッグに詰め込んで、さぁ〜頑張るぞ‼

 

風の谷〜泰阜村
悠々・新体制発足   激震走る!   

 凍り付いたような真っ暗な冬の夜空に「スバル星、オリオン座が美しいよ」と毎週金曜の夜中に帰省する夫が感嘆する。本格的な冬を迎えて雪かき用スコップと暖仕様の長靴、雪に濡れない手袋を新調した。

 去る11月24日の総会で「理事長は、この10年間の赤字経営の責任をどうとるか」と組合員に経営手腕の反省を責まられ、その通りと感じいり、自らの経営能力の無力さの責任を取って引責辞任した。その後12月11日には、我が悠々に2年余り家族同然に暮らしていた大切な翁の最後を看取り、寂しくなった。その寂しさの余韻に浸る間もなく、ひとりの優秀なスタッフが辞職願を出した。

 9年間もこの赤字経営の余波を喰って、保育士の国家資格を持ち乳児保育のベテランとしての勤務経験をもちながら、ヘルパー資格を取ってご存知、巷の半分という安給料で勤め上げた方であった。その人柄の優しさは、この悠々にとって何物にも代えがたい宝であった。ケアスタッフ常勤2人と言う悠々において、片腕を捥がれた感がある。

 ケアする者もプロとしての誇りがある。私がいつも何事かトラブルが起きるたびに、利用者に言うことがある。「大変申し訳ないが、悠々のスタッフはあなたの下男下女ではありませんので、ご自分でできることは頑張ってやってみましょうか?出来ないことはすぐにお助けしますので、さあやってみましょう」といってご本人の自律を促すケアのすすめは、結局はスタッフたちの優しいケアを支えているのだという元理事長の信念があった。

 その保証が無くなるかもしれない。いやできるはずがないというのだった。お金のために、自分をそこまで陥れられない・・・。

これまでの悠々の優しく人間的で、家庭的なケアは、実はこの管理者の「真の人間の尊厳に寄り添うケアとは、管理者がスタッフの人間としての尊厳を大切にするということなのではないか」との信念に支えられるものであった。悠々を訪れるものは誰でも、このしっかりと守られた入居者とスタッフの和気あいあいとした和やかな雰囲気に感動するのであろう。

 さて、そんなことが起こって、新体制の理事たちの真の福祉の実現への挑戦が問われている。ご期待あれ!

元理事長は相変わらず週2回の賄い、すべての会計総務事務が降りかかってきた。そして入居者のケアもやるしかないか!要介護4のM.A.さん、至らぬ私のケアでよいのかのう?

 

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々の翁の看取り

 南信州に雪の便りが聞かれるようになって、村道にはふかふかの落ち葉が敷き詰められ里山の雑木林は奥まで木漏れ日が差し込み明るい光が届くようになった。しかし一方で最近の異常気象による寒暖の差で体調を崩しお亡くなりになるお年寄りが増えた。

 悠々でも要介護5の92歳の翁が昨日逝かれた。脳卒中の後遺症に苦しみ寝たきりで重度の嚥下障害を抱えながら9か月もの時を生き切った。JAの組合長も務められ、村長選を闘い、村会議長を務め村ではその名を知らぬものがないほどの功労者であった。病院で「あなたのご趣味は?」と聞かれ、「政治かな・・・」としか答えられぬほどの生涯であった。

 入浴時ゆったりと湯につかりながら、零れ落ちる昔話はケアスタッフを感心させた。こんな愛すべき人柄を身近な家族は知らないのかもしれない。このM翁はケアスタッフにとても愛されそのやり取りは聞いていて思わずこちらも笑顔になるほどの魅力があった。食事を拒否するようになってから1週間、水分摂取を嫌がるようになって4日ほど、肺炎と脱水症が進み、予測される最後が主治医の東京出張時に重なるということで、水分補給の点滴をお願いした。先生のお帰りまで最後の息を引き取る瞬間をできるだけもたせたい、中国にいる長男の帰国に間に合わせたいとの理由からであった。

 その点滴が切れ、その日の夜中には主治医が駆け付けるという日に、大きな息を一つして、それが最後の息となった。穏やかなお顔は威厳に包まれ、偉大な一つの魂がこの村から消えた。この時代の変化は、こうして偉大な志をもった重鎮が一人、二人と消えていくことで泰阜村のあの「人を思いやる優しさ」が消えていくのだと感じる。大きな声で自己主張をする若い人が力を握り、貧しく力なき弱い者が守られてきたこの村の宝は、人間力であったかと思い知らされることであった。 

風の谷〜泰阜村   
    第11回総会を終えて〜理事長交代

 初冬の暖かな日差しの中に、組合員と村の来賓方をお迎えし第11回総会を開催した。

指定管理者の認定を村から受けた最初の総会とあって、新村長、村議会議長、教育長、住民福祉課長、係長、県中央会からも支部長代理のご出席を頂いた。今回は、1人の経理担当理事を失った組合の役員改選の時期とも重なり、本当に心機一転という内容になった。

 理事長の挨拶では、この10年間のすべてのデーターを整理し、列席者の前にその図表を資料として添付し、役場にも、従来の組合員にも、新しく加入された組合員さんにも、「高齢者協同企業組合泰阜」という民営の企業団体が、「金儲けではなく、村民ひとりひとりの幸せを願って、ただそれだけを願って苦闘した10年間」が数字とグラフで示された。それを、出席された来賓方も組合員も、食い入るように見て下さっていた。理事長からのメッセージは、この「悠々」が10年間も存続し得た事は、一重に村民の(組合員の)皆様の「悠々」を自分たちのものと感じて支え続けたボランティアのお陰である事それは10年間の実績を長野県最低賃金に換算すると2千万円を超えるものであった事、加えて泰阜村が苦しい財政の中から支え続けて下さったお陰に他ならないことを、心から感謝の言葉を尽くして伝えたことであった。 

 新村長のお祝辞では、「在宅福祉の村で『悠々』が試みた挑戦は貴重なものであった。開所当初先生から伺った理想を10年間貫き通した姿を見てきて、大変なご苦労があったがここまでやってこられたことに敬意を示したい。村としても今後可能な限り応援していきたい」と暖かで誠実なお人柄のあふれたお言葉を頂き、安堵のあまり気が緩んでめまいがしたほどであった。

 1人の組合員からの質問で、「この赤字続きの経営を10年間も継続した根拠と、経営改善のために今後どのように努力しようとしているのか」と問われた。

 理事長として最後にしなければならない総括を求められたと感じ、真摯に受け止めた。

まず、「何とかしてこの過疎の村々のお年寄りが、孤独の中で苦悶の最後を迎えさせたくはない」という理想だけは高くしかし・・・その経営能力のなさに、幾度も「組合解散」を思った事があった。しかしまず第一の理由として、現にお預かりしているお年寄りのお一人には子供がなく、夫に先立たれ要介護度が軽く施設にも入れない状態にあった。もう一組の老夫婦は、ご家族との関係が悪く実質的には帰る家がなかった事(その方も入居当初は要介護度が軽かった)、さらにはご家族が全員働いていて、94歳の転倒骨折後の年寄りを1人急坂な坂道に囲まれた家に残せないと判断された(介護認定未申請)等を置き去りにはできなかったことがある。

 ケアスタッフは最低限の常勤2名、食堂経営のために常勤賄い1名、宿直は2名の有償ボランティアさんに依頼、理事長は会計総務事務、視察来客の対応、緊急時の判断と送迎、賄い、ケア、すべて不足分を塞ぐべく無償で対処しながらやって来た。これ以上削る部分を考えられなかった。一方事業収入においては、開所当初は視察研修の費用として1人2千円を頂くことにしていたが、このお金は払えないと民生児童委員の方々、各地の議員団、社協の方々からの反発があり2千円が千円になり、挙句の果てに資料代は無料で写真集をプレゼントするというありさまになった。A県副知事の視察では、付き添いの方から「このような方に来ていただいたのに、視察代を請求されるのは心外です」と言われ、心折れて以来請求できなくなったことがあった事などを付け加えた。また当初8万円/月額だった入居費も組合員さん方からのボランティアが少なくなると、業者にお願いするしかなくそれらは経費となった。現在の利用料一日5千円でのケア付き三食付き、身の回りの家事付き、緊急時の病院通院介助無料等を背負っているのが現状である。さらに当初悠々ランチは千円であったが、高すぎるというご要望に600円に下げ、500円に下げたが、ご利用はあまり増えなかった。特に視察は、北欧ではランチ付きで1万円であったのを、ここでは「悠々ランチ」付きで2千円となっていたが、視察団は昼食をどこか他所で済ませ、その前後に無料のお茶を飲みながら「悠々」の視察を利用するという事態が続いているのが現状である。

 この10年間の努力は虚しく、心身ともに疲れ、心折れ自らの無力を極限まで悟って、理事長交代を願い出ている次第である。お許しいただきたいと思うとお応えした。

 これを聞いて、後の懇親会の場で、村会議長、住民福祉課長等が、「先生全力で応援するでな、頑張ってくれ」とのお言葉を頂いた。新しく加わった理事たちも、口々に「先生のこの無私の実践に心打たれた。及ばずながら力を尽くしたい」とのお言葉も頂けた。これからの5年間(私は82歳になるよ)これ以上の報いが、宝物があるだろうか。泣き虫ばあさんはやっぱり泣いている。  

 

風の谷〜泰阜村   
   秋深し・・・悠々も秋日和

 泰阜の里山に秋の七草が乱れ咲き、山里が最も美しい季節を迎えている。観光客など無関係のこの村にも松茸大量の噂は飛び込み、先日頂いた貴重な松茸ご飯を堪能した。今年は栗の実が豊作で栗ご飯が3回、栗の渋皮煮も3回、香茸の炊き込みご飯等々堪能した。

 悠々の婆ちゃんたちもニコニコ顔で・・・(でも秋なら当たり前というお顔)若いころはご自分の手でさぞかしご自慢料理を炊かれたのだろう。随分前には、秋祭りに区長さんがお菓子の代わりに松茸を包んで盛大に境内に撒いたのだそうな。

 里山の道端に秋の花々が乱れ咲いて、その中を車で走りながら、こんな美しい景色に包まれて、この村の人々は幸せなのだと実感する。2007年の泰阜村悉皆調査、続く2014年の追跡調査にも表れているが、この村の年寄りは関節があちこち痛いのだけれど、幸せだと感じている人が多いと出た。お金はご存知国民年金5万円(男性)、残された多くの御婆ちゃんたちは福祉年金3万円orお父ちゃんの残した遺族年金をこれも3万円ぐらい・・・。それでも春には山野草、秋には豊富な茸や木の実を食べ、庭先で作った野菜を食べて幸せな笑顔を見せる。こんな大自然の営みに包まれて、そんなに孤独に苦しんでいる人は少ない。理由は、田畑の手入れに忙しい事、自然の恵みの探索に忙しいからだという。この村が、送迎付きでワッセワッセと催すお祭り騒ぎに時々覗きに行って、久しぶりに出会うお年寄りどうしのおしゃべりで十分に幸せなのだという。「自分は嫁に来てから60年、70年住み続けてきた家が好き、自分が過ごした村が好き、わしはどこにも行きたくない。」とだれもが口をそろえて言う。「だけど、人生の最後に悠々に来て、こんな暮らしができるとは思わんかった。わしは最後までここで暮らす。こんな幸せもいいもんだとわかった」という。

 「先生あんたはね、自分の事を忘れているで、少しは自分の事も考えてやらにゃいかんよ。自分の辛いのは自分しかわからんだで、少しは手加減せないかんだに・・・」

 じっと私の目を見つめ、真剣な顔をして、まるで本当の母親のような口調で言われた。「おかあさん!」と言いそうになった。こんな嬉しい事、涙が出そうになった。悠々の一日・・・


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