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風の谷〜泰阜村      
   台風一過とお年寄り達

 9月5日、大型台風の泰阜村直撃を免れたものの、その夕は賄いさんを早々に帰し、ヘルパーさんも夕食後のケア後には早々に自宅に帰した。泰阜村の外れから出勤予定の宿直Ma.さんにも、出勤途中に何があるかわからないのでと自宅待機を指示し、その夜は、我が理事長(単身なので)がペットとともに避難準備をリュックに整えて宿直交代することになった。

 強風の荒れ狂う音の最中、各入居者の様子を確認し、停電時には各部屋に置くランタン、食料、水を確認し、TV画面に見入っていた。深夜巡回ヘルパーの訪問が定時になっても来ないことを確認し、要介護4のMaさんのおむつ交換に入った。その後巡回ヘルパーさんが訪問され、驚いて「この台風の最中、危険なので来られないかと思いましたので、代わりにやっておきましたが・・・」

「いえどのようなことがあっても、上からの指示がない限り、私たちはなすべきことをせねばなりません」

「う〜ん、真っ暗な山道には突然の倒木、土砂崩れがありましたよ、真っ暗な道の陥没の中に落ちる可能性がありますよ、もうここでやめてください。」

「いえいえ、まだこの後3軒ありますので、お年寄りが待っていますので・・・」

 ただただ頭が下がった。泰阜村の在宅福祉は、このような献身的なヘルパーさんの心意気に支えられているのだ。ありがたいことである。悠々のお年寄りたちは、理事長が泊まるというのでちょっとだけ嬉しそうな顔をしていた。まるで母さんが傍にいてくれる子供のような顔をして眠りについていた。

 その夜が明け、泰阜村でも各地で土砂崩れのため通行止め、倒木のための停電、電話線の断線などが相次ぎ、村の建設係の青年たちが、車で走り回っているのに出会った。あ〜、この方たちも昨夜から村中の山道を走り回りながら、村民の安否を確かめていたのだと、改めて住民の安全と安心のために働く人たちに私たちが支えられているのだと知った。

 この村の山奥に住む、独り暮らしのお年寄りたちの不安に思いをはせながら、天に祈った。

 「どうぞこの村の・・・、全国の人たちの安全が守られますようにと」 

風の谷〜泰阜村    
  キャリアデー(地元の子供たちの職場体験)の一日

 台風の最中、地元の中学生の「キャリアデー」と呼ばれる職場体験学習が3日間行われた.緊張でカチカチになった中学2年生、90歳を過ぎたお年寄りと話をしたのは初めてだと言う.そして90歳を過ぎても元気なお年寄りを始めてみたという.

 悠々では、初日に自己紹介をかねてお年寄りの各個室を訪問し、お話を聞くという仕事を与えられる.今回のテーマは「昔、若かったころどんな暮らしをしていたのですか?」とお尋ねすることになった.

 そこで子供たちは想像もしなかったようなこの村の過疎山村の子供時代、どのようなものを食べ(桑の実がおやつだったなど)、どのような歌をうたい、どのようなことが辛かったかについて聞いた.

 この村にまだ県道がなく橋もなく、トンネルもなく、ひたすら急坂な山の崖路を伝い歩いて尋常小学校に通ったこと.遠いお店にお使いに出されて暗くなった時、山道で動物の鳴き声に震え上がったこと.近くに動物のごそごそという物音に腰が抜けて、それはそれは恐ろしかったこと・・・を昔語りに聞かされていた.

 一人の御婆ちゃんからは鋭い問いを頂いた.

「あんたたちは、将来大きくなったら何になりたいのかね」.

T.S.さん「このような人のお世話をするような仕事をしたいです.」S.K.君「まだわからないです.」

 「そうかね、そうかね.このような年寄りのとこに行くときには、歌の一つも歌えにゃいかんだに.わしが昔入院していた時、若い看護師さんがいてな、癌で亡くなる前にその年寄りの傍で北国の春を歌ってやってな、その年寄りも一緒に歌ってな.こんな嬉しいことはないと泣いておったで・・・」

 帰るまでその子たちは悠々の年寄りの前で歌をうたえなかったけれど、帰りには、お礼にと言ってゼリーのおやつを作って食べさせていた。年寄りたちはどんな立派なおやつより、この子供たちの心配りが嬉しいと喜んだ.

 帰途、別れを惜しんでいるお年寄り達を見て、このように子供たちと日常的に触れ合える機会に飢えているのだと感じて、過疎の村の少子高齢化の厳しさを知ったのであった.

 理事長「また、機会があったら遊びに来てね」「はあ〜い!」元気な声を皆で見送って・・・

ひ孫が帰るような気持ちを味わったことであった。

 

風の谷〜泰阜村    
     ケアする者がバーンアウトするとき

 その日はとうとうやってきた。85歳Kさん要介護1、81歳の時自宅で転倒し病院に担ぎ込まれたが、骨粗鬆症で手術できないと安静を強いられ、寝たきりになった。それから4年間、3ヶ月事に特養、老健をたらいまわしになってきた。「悠々」が開いているということで問い合わせがあったが、転居先からの医療情報、介護情報がまったく届かない。自走用の車椅子は自分で購入、食事は自立しているというがおかゆを要求+朝は牛乳を人肌の暖かさで、昼はお茶、夜は白湯でと指示が細かい。その根拠が書いてない。何か問題を抱えているのか問い合わせるが「別に、特に何にもありません」と口を濁される。盆前の悠々は人出がなく、介護者一人で朝ケアに30分もかかる要介護3の方(食事に介助が居るので実質的には殆ど要介護4だが)をすでに2人も抱えていて、これ以上の受け入れはできないとスタッフに泣きを入れられている。(捜しても悠々通勤内に人手が全くない)

 そこで、ご家族を呼んで何故家に帰れないのか伺った。「ご自宅で巡回ヘルパーさんを頼めば長男(61歳)さんとお孫さん(30代)なら要介護1の御婆ちゃんをお家で看れそうだが・・・」

 そう言われてご長男さんは、しばしの間絶句し理事長の私の目をじっと見つめた。「もう受け入れてくれるところがどこにもないのです。3ヶ月事に家族が家に帰せないのなら自分で捜せと言われる。この4年間3ヶ月事に仕事の合間を縫って探し回ることに疲れ果てた。助けてください」という。「なぜお家には帰せないのですか?」と再度問うと、重い口を開かれた。

 「自分の嫁は故あって家を出た。兄弟二人で妹は神奈川で施設で働いている。自分は建設業で疲れ果てて帰宅する。子供たちは(孫)一人は病弱、もう一人は施設に入居している・・・。自分も家族も精神的な病を抱えている・・・」と重い口を開いた。

 このご家族の長期間にわたる精神的な苦しみを思って絶句した。「ご家族の皆様、長い間どれほど大変だったでしょうね。辛いことを伺いました。お許しください。」と言ってからしばしの間自問した。この方を御受け入れするとして、私が何ができるか。スタッフはどこまで耐えられるか。Kさんは精神的ケアが相当大変なのかもしれない。

 ケアマネさんと相談すると「悠々」が駄目なら精神の施設があるが・・・と言われる。「その前に『悠々』で知恵を凝らし全力を尽くしてみようか・・・」とスタッフに頭を下げる。

 案の定それからの日々、夜勤の当直男性に夜中に呼び出され、「『部屋の電気をつけてくれ、トイレに連れて行って汚れたパットを変えてくれ、抱えて寝かしてくれ』と言われるが、どうすりゃいいんだ先生」

「わかりました。すぐ伺います」と飛んでいって「当直のおじさんたちは素人なのでケアをしてはいけないことになっているのです」と説明し、「この施設は人出がないので夜のヘルパーさんを雇えないのです。申し訳ありませんが、ご自分でできることは頑張って自分でやってみて下さいませんか?」とお願いしてみた。

「ふ〜ん。あんたは誰だね」という「私はこの施設であなたを安全にケアできるのか、できないのかを判断し、場合によってはご自分の家にお帰り頂くかを決める理事長の本田です」と伝えると「ふ〜ん」と言われる。

 「ご自分でトイレに行けますか?見ていますからやってみましょうか?」ちゃんとベッドから起き上がり車椅子にトランスし、自走してトイレに行き、立ち上がって下半身の更衣動作をし、パットを変えベッドに戻って自分で布団をかぶって寝ることができた。

 「よかった。ご自分でできますね。自分でできることは頑張って自分でしてみて下さいね。できないことを私たちがお手伝いいたしますので大丈夫ですよ」

 これがこの夜の顛末であった。理事長の賄い当番のときには、「牛乳が人肌じゃないからやり直し、少しの時間なのだからじっと傍に立ってみていなさい。ご飯が少し硬いけど、あんたはご飯の炊き方を知っておるのかね。ご飯の水加減は手のひらを水につけて手のひらすれすれに水を張る。そうしてるのかね・・・」この試練はまだまだ続く・・・スタッフは一日中これらの鋭い言葉にひどく気づつけられバーンアウトでやめそう・・・・。さてどうするか理事長!

風の谷〜泰阜村
泰阜村の初盆まいり

 昼の猛暑は、日本列島いずこも同じだが、この泰阜村、朝の4時にはクーラーのきいた室内(27度に設定)より外気温のほうが圧倒的に涼しい!窓の外の森からはカナカナゼミの声が聞こえ、もう秋なのだよと知らせが届く。

 悠々のお年寄り達も、いつになったら雨がくるやらと祈りにも似たため息をつく。

泰阜村の野菜畑が赤茶色に焼けて、畑一面枯れてしまったところが目に付くようになった。山間の田んぼの稲もどことなく勢いがなく黄色っぽい、生育がいつもの年より遅れているのかと思う。

 悠々のアジサイは花が開いたまま枯れて茶色になったまま立っている。

今年も午後になると、毎日のように救急車の鳴らす音が里山に響かない日はなかった。毎日毎日その音が里山にこだますると、どこかでまたお年寄りが熱中症で倒れられたかと心が騒ぐ。

 今年は、悠々のスタッフにも訃報が届き、大切な方々が亡くなって8月14日は初盆参りのために、スタッフの影が消える。

肝心の社協も休み、悠々の重要なスタッフも御身内の方々が亡くなって、初盆参りが重なった。

 

 さて、重度介助のお年寄りを抱えた悠々をどうするか。365日、助けを必要とするお年寄りを抱え、残るは理事長一人である。

今年は、日中のケアと賄い、夜勤当直を連続で担当を引き受けた。労働基準法は、管理者には基準法が適応されていないとかで、安心して24時間眠らず休まず働けるらしい、その上無給だ・・・・。

 

 今年もたくさんのお年寄りが逝かれた。寂しさがじ〜んと胸に沁みてくる。そのお一人お一人がこの村の力仕事を引き受けていて、誰からもこれといって褒められもせず、黙々と村の管理をしていたのだと聞く。

 その方々が一握りの灰になってしまって、力仕事の慣れない若い衆が残って・・・さて残されたこの村は誰が支えるのか考えたい。

風の谷〜泰阜村   
   家族未満友人以上のケア

 脳梗塞・左片麻痺を発症したM翁が、無事リハビリを終えて一昨日悠々に帰ってきた。認知症が少し重くなり食事も刻みトロミ食全介助となった。そこで病院で行われていた既成のトロミ食と昼間の車椅子拘束自走の生活を変更することにした。

 まず、寸胴鍋にたっぷりの水を入れ、切り出し昆布1袋+かつを節厚削り1袋+どんこの干しシイタケ一握りで半日がかりでだしをとり、アイスキューブに入れ保存。基本的にはこのスープですべての料理を煮ることにした。

 帰ってから一番に、このスープで炊いた雑炊(たくさんの野菜とささみのみじん切り入り)にトロミ剤を少し混ぜ口に運んだ(塩・醤油等の調味料一切なし)。本人「美味しい!」と一人でパクパク食べはじめた。完食である。スタッフ一同それを見守りながら「やっぱり本当に美味しいものは、介助しなくても自分で食べるんだね。」と確信した。この日はこれにカボチャの煮つけを一つ、スープで塩気を抜いたウナギのかば焼きを潰しスープで緩めたものに+トロミ剤少々が混ぜられたこころばかりのご馳走となった。「退院祝いね」と伝えるとニコっと笑った。

 さて問題は昼間の車椅子に乗っけたまま拘束帯で縛り、室内を自由に動き回らせておくというケアをどうするかである。

92歳の彼は、もう4年も前から3食とお茶の時間以外はベッドで寝ている習慣であった。リハビリ病院では、昼間は覚醒させてリハビリする目的のために、ずっと車椅子に騎乗する生活であった。おかげで歩行器歩行が見守りで可能となり、食事が椅子に座って摂れるようになり、ポータブルトイレに見守りが必要だが自分でトランスが可能となった。たった1ヶ月間でこの年寄りをここまで復活させ得たリハビリ訓練の効果にはあらためて脱帽した。

 しかし、お家に帰ったら彼はどうするであろうか。疲れを訴えベットに戻りたがる彼を見て、私たちスタッフは覚悟した、少しぐらいケアが重くなっても、3回の食事を皆と一緒に食堂で時間をかけて食べ、10時と3時のお茶も食堂で時間をかけておしゃべりして過ごす平均5時間でいいことにしようか・・・・「5時間、充分だよね〜。92歳なんだもの。ここは死ぬまで暮らす彼の家なんだものね。ゆっくりしてもいいよね。」

 これが「悠々的ケア」の基本的考え方である。その上スタッフはみな優しい。

 

 


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