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風の谷〜泰阜村    
   悠々・春の雪に思う

 日本列島桜の便りが次々と届く季節、悠々のお茶の時間は「東京の桜が満開だとTVで見た。」「南信州じゃ寒桜の淡いピンクしか見えねえなあ〜」と、お婆様たちが隣のお寺の観音様の満開の桜を待ち望む。

 5時半起きで朝7時ケアから夜7時の12時間勤務を無事やり終えた。

 この4月のシフト表を覗いた人たちが、絶句しながら私の顔を見る。「先生、こりゃ持たねぇぜ・・・」「大丈夫、この辺じゃ昔の嫁は年寄りの4人や5人は、面倒見ながら孫まで看て、家のことや百姓を手伝っていたもんだ。大きなお屋敷に嫁に来たと思えば誰でもやって来た事さ」と答えて心配顔の面々の口を封じる。

 このたった2日間で、信じられないようないいことがあった。

 悠々に暮らす年寄りたちが、「先生わしらにも何かできることは手伝いたい」と言い出し、すっかり何もかも甘えていた雰囲気が一変した。まず/後のテーブルを台拭で拭きだした。⊆分たちの食後の茶碗を流しまで運ぶようになった。洗濯物を畳むようになった。

その上ぁ崔箸くなったら、悠々の庭の花壇の草をむしって花を植えたい。野菜も植えたい。・・・」

 なんだなんだこのお婆様たちの心変わりは・・・。まず小さな喧嘩が無くなり、成り立てほやほやのセンター長を何とかして助けたいと申し出る。

 その上、たった一人残ってくれた賄いさんが、昼の休憩時間に訪れる訪問者に、「先生は今休憩中で休んでいるのでそっとしておいてくれんか」と頼んでいたとは・・・。道理でこの2日間休憩時間につぎつぎと何故か訪れていた訪問客が居ないな〜と思っていたが、そういう事だったのか。

 嬉しく、有難く涙がこぼれて止まらない。

ご家族からは「先生心当たりがあるから誰か連れてきていいか。」と聞かれる。「家の嫁さん掃除なら半プロ並みだよな・・・」と言う。ご本人の承諾はこれからである。

 その上月1回しかスタッフを送れないといったハウスクリーニングの業者さん、「見積もりには14か所のトイレ掃除が入っておりませんが、監督の私がそっと内緒でやってあげましょう・・・」と言われる。

 

 奇跡とはこのようにして起こるのだと知った。南信州の人々の優しい心根が有難く有難くて心は涙でいっぱい‼

 さあ、今日も頑張る‼

風の谷〜泰阜村   
   春・悠々のお年寄り達との新たな暮らしへ

 我が書斎の窓ガラスの正面の黒文字の木が、黄色の小花をちりばめて「ほら、春が来たよ」と私を励ます。大切な二人の介護スタッフが悠々を去る日が近づいている。残り10日・・・。要介護の御婆様を含めて5人のお年寄りを不肖センター長となった私が一人でお世話することになった。朝7時の朝ケアから夕食後の夜のケアが終わるまでの18時半までの実に11時間半、休日なしでどこまで続くのだろうかと苦しむ日々が続いた。

 噂では、当時村はこの建物が建ったら本田の消えるのを待っていたらしいとは、先日聞いたことであった。総ヒノキ創りの建物は私の計画書にはない物であった。私の計画は古い空き家の民宿をお借りすることであった。その民宿の改造費用500万円を補助していただきたいと願い出たことが設立のそもそもの発端であった。それが出来上がってみれば2億円もかかった総檜創りの豪華なケア付き民宿となった。従って入居費はどんなに削っても17万円(含消費税)となって、この村の私が助けたかったお年寄りが利用できなくなってしまったのであった。その頃村では、この建物を使ってあれをしたいこれをしたいとの計画があったらしい。

 当初悠々が提案した事業計画は、10年経った今では村が補助金を使って殆ど実行している。もう悠々で本田が頑張っている意味は、この村にはなくなったことを示すのかもしれない。

 しかしそれでも頑張りたいと私を励ましているのは、「先生、わしの死に水を取ってくれるかね」、「最後までわしはこんなに穏やかで幸せで生きていてもいいのかね〜」、「わしはここで死にたい」と口々にいうお年寄り達を放って、自分一人楽になれない理由がある。その残りの生涯を引き受けてしまったからには、その約束をなかったことには出来ない。最後まで責任を果たすこと。自分の幸せよりも人の幸せをまず考えて、最後に自分が幸せだったらいいなと思っている。 プロとは、自らの責任を最後まで放棄しないことであると今は亡き父の遺言である。

 

風の谷〜泰阜村    
   悠々の春

 悠々の周りの山里が春に突入した!お茶の時間の話題は、蕗の薹が裏のNさんの斜面に見事に生え揃っているよ。土筆がNさんの田んぼのぼた(土手)に芽を出していたよ。「土筆はきんぴらにして食べると美味しいよ」というセンター長に、お婆様たちが声を揃えて「ありゃ草だに、あんなもん食べりゃせん」、「じゃ、今度土筆のきんぴらを食卓に出しましょう!」とかしましい。

 ある日安曇野に住む友人からびっくりするような便りが届いた。

 悠々の年寄りたちに有名な映画監督が「出前映画」を上映するために、悠々を訪れてくれるらしいとの情報である。そこで90代のかしまし婆様たちに、「ねぇ、貴方たちはどんな映画を見たいのかね〜」と振ると、「わし等が若いころは温田駅まで歩いていってそこから飯田線で1時間も電車に揺られ、そこからまた飯田の街中の映画館まで歩いて行って、映画を見るのが一番の楽しみだった。」という。みんな口々に「青い山脈を見たね〜」、「わしは愛染かつらを見たよ」みんな声を揃えて歌いだした。「花も嵐も、海超えて〜♫♪」この年寄りたちだって青春歌は歌えるのだ。それからというものだれかが「愛染かつら」の主題歌を口ずさむと、一斉に声を合わせて歌いだす・・・。実は重度の認知症を疑われているお婆様も含まれている。

 「若いころは歌が好きで、こんな歌をよく歌っていたよ。いつもいつも口ずさんでいたよ」と述懐する。

 聞くところによると、デイ・サービスで歌わされる歌は、あまり歌いたくない歌だ」と言い張る。

最近入所したTお婆様は読書が趣味で、本屋大賞を取って有名になった葉室麟さんのフアンだということで、悠々図書コーナーを座りこんで覗いていた。葉室さんの最新作を捜し出して大喜びで、早速お部屋にこもって読みふけっている姿を目撃した。単身独居の身、認知症を疑われて親族に入居を勧められたのだが、彼女にはこんな能力も隠れ持っていることを誰も知らなかったらしい。

 「私は悠々に来てよかった」とため息のように呟かれる92歳の婆様、幸せをちょっぴり見つけられてよかった。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村
  春〜悠々始動!

 わが庭の椿が毎日ピンクの花を咲かせ、ご近所の蕗の薹がみごとに生え揃い、昨日の晩御飯には蕗の薹のてんぷらがのった。

白梅も紅梅も真っ盛りの泰阜の山里は、家々の庭の花々が咲きそろう。

 悠々の入居者は6名、新顔の80代のIさんも90代の4名の御ばあちゃまたちのおしゃべりに圧倒気味である。

 最近、この御ばあちゃまたちは夕食後のひと時を皆の共通の記憶をたどって、昔はこうだったああだったなぁ、といって憩っているようになった。穏やかな時間がゆっくりと過ぎて行って、あれほど家を恋しがったお年寄りが、わしはここでいい、もうどこにも行かん」と言って落ちついて過ごすようになった。 

 そして今日のお茶で90代の1さんが昔の歌を歌いだした。皆は耳を傾けながら「そうだった。そうだった。」と言い合った。

 その歌、今は遠い昔の泰阜村の穏やかな営みが映し出されるような村歌だった。

 

 田本の町の鎮まれば、福寿の寺の鐘が鳴る

 冬 梨久保に炭焼けば、大畑文化の中心地

 秋の温田は稲を刈る、こんにゃくの豊かな漆平野

 我科ノ水に野菜もの、栃城山に板をヘグ

 南信濃の泰阜は、北は下条左京坂

 南上原平石、涌き立つ雲は紺色に、

 竜田の橋に霜降れば、紅葉は筏に散りかかる。

 

 なつかしく、そして見事な歌である。

風の谷〜泰阜村   
  過疎山村の暖冬に思う

 暖冬に、もう白梅・紅梅が満開で泰阜村民の眉間に皺が寄る。雪の極端に少なかったこの冬、南信州の里山に住む民たちは、皆この夏の渇水が心配でたまらない。

 去年も小さな小競り合いはあった。自分の田に井水(奥山の湧き水から先人たちが手掘りで造った灌漑用水路)の水の分配は、昔のまま時間で区切って仕切り板でそれぞれの田畑に水を引くやり方を守っている。ある夜こっそりとその仕切り板を動かし、自分の田に水を引き込んでいるお年寄りが、夜間の警戒の網に引っ掛かり大騒動となることがあった。昔は命のやり取りがあったと噂されている事態である。

 昨年は台風や大雨の被害が続きニュースにはならないが、この井水の擁壁もあちこちで崩れ、その補修費をこの集落に住民票を置くすべての住民に年間千円の負担金がかかることになった。この村の田畑はそれを受け継ぐ年寄りたちの高齢化が進み、耕作放棄地が増加している。80代90代の年寄りたちが胸を掻き毟られるような思いを抱きながら、荒れ果てていく自分の田畑を見ながら、平均7,8万円の年金から井水保存のための維持費を千円/年支払い続けるのはどれほどの苦渋を感じていることかと思う。

 我ら泰阜村民は決して金持ちではない。国の7割を占めるという過疎山村の高齢化は大都会住民の想像を絶するものがある。その民たち(僅かな年金で暮らしている年寄りたち)が、日本の国の命の鍵を握る大切な森を守り、水を守っていることは、あまり気にされていないように思う。

 その上に私たちは赤十字(赤い羽根)募金、緑の羽根募金、PTA会費、社会福祉協議会募金、交通安全協議会費etc、そして今回は井水管理会費である。この村には年金2,3万円/月で暮らしている単身独居の超高齢者も決して少ないとは言えない割合で存在している。「差別に当たる」として、その人たちからこの殆ど強制的な募金を免除することはしない、ことになったそうである。

 ある調査でこの村では生活保護を受けている人が極端に少ないことが判明した。それは、殆どのお年寄りが自分の葬式のためにわずかながら貯金を確保しているからである。近頃は厳冬の冬、夏の盆近くにお年寄りが亡くなることが多い。それは月平均2,3件はあり、その度に香典(2,3千円)を包んで参列するのが仕来たりとなっている。その時にはご馳走を頂き、貴重な栄養補給の機会となっている傾向がある。その恩恵を頂きながら「自分の時はお金がないのでできません」と言う不義理は決して許されないことだと思っているということを耳にしている。

 お世話になった人々に人生のお別れの時にお礼をするというのが、この山国に住む年寄りの慣習である。

といってこの村の維持に直接係るとは思えない諸分担金を、この高齢者たちに強制的に負担させるのは如何なものかと申し出たところ、やはりいろいろな圧力を感じる機会に遭遇するようになった。

 小さなことである。その上自分のことを言ったわけではない。弱い人々をそっと配慮するという美しい習慣がこの村にはあったではないか。私はそこに惚れてこの村に移住し40年経った。だんだん優しい思いやりが当たり前の世代が年を取り、声が出しにくくなってきて、この村も都会的な考えの人々が力を握るようになったのではないか・・・と春になり思った事であった。

 


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