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風の谷〜泰阜村     
    〜浅黄色の森の中で〜

 泰阜村が浅黄色の美しい衣を纏って、ひっそりと佇む季節が来た。一年で最も美しい季節。「泰阜村のどこがいいのか」と例外なく視察者に尋ねられる。その質問を受けていつも私の脳裏に浮かぶのが、この全山浅黄色を纏った里山の風景である。命の迸りをはじけさせて、農作業に勤しむ村の年寄り達を包む。今一つわが村の知る人ぞ知る県立公園万古渓谷には、あふれるほどの水流を迸らせる渓谷沿いの燃え上がる新緑の光のシャワーを浴びて一日をゆっくり過ごす隠れ場所がある。多くの訪問客は感動のあまり言葉を失う。迸る水の音を耳に、愛らしい小鳥たちの姿を目で追い、そのさえずりに耳を傾けながら眠りに落ちる。森の発するフィトンチップの甘い空気を吸って、心も体も癒され大都会の喧騒の中に戻っていく。

 視察に訪れる訪問客をご案内すると、自分たちが何に疲れているのかがわかると言う。都会の人工音が吐き出す騒音と振動、排気ガス、夜中までまぶしく光る看板とイルミネーション・・・。それらが人間から生きるエネルギーを知らず知らずのうちに奪っていることを知ると言う。

 人は大自然のいのちの中で、いのちに支えられて・・・頑張らなくても生きていけるのであろう。

夜には満天の星が降り、満月にはその明かりで懐中電灯無しで歩けると知っていますか?幾重にも重なる山々の果ての遠いアルプスの稜線に落ちる夕日が天空全体を真っ赤に染め、小さな山村とそこに住む人々をも朱色に染めて一服の名画と化すのを知っていますか。

 桜が散り山吹の黄色が消えて、今は紫色の藤の花が里山のあちこちを彩っている。もうすぐ森の木漏れ日のなかに笹百合のやさしい群生が見ごろだ。

 悠々の庭も芝刈りを終えて、花壇には春の花が植え込まれ、小さな畑に春野菜の苗が植えられる。

悲しみを乗り超えて、独りの寡婦が少し元気になったか・・・。日々の小さな出来事に笑顔を見せるようになった。

 その笑顔を見て、スタッフ一同そっと安堵の息を吐く。今日は恒例の悠々の「生活リハビリ教室」でたくさんのお客様が来る。さあ〜、おいしいご馳走を造るぞ!がんばれ理事長!

 

 

風の谷〜泰阜村   
   田本神社・春の大祭

  泰阜村に春の花々が咲き乱れ、晴れ上がった空に小鳥の囀りが響きわたる集落の真ん中にある田本神社で、今年も春の大祭が執り行われた。我が部落に祭りの宿六の大役が回ってきて、早朝から男も女も祭りの準備に駆り出された。この神社は本殿2棟、棟札2枚、神寶類16点、石造物10点が村指定有形文化財に指定されているものだ。神社の真向かいには大峰山の山城が聳え立ち、水張の始まった棚田を見守っているのが伺える。地元のもう年よりしかいなくなった集落だが、春と秋の例大祭には、今年生まれた孫たちのお宮参りが行われ、村人たちに披露されわが村の宝物のように祝福されるものだ。今年はその孫たちのお宮参りが一人もなく、寂しさが募った。祭りの後の直会(なおらい)の席の話題は、自然に「次の秋の祭りにはどこの嫁さんの腹の中の子が見られるかの〜」とのお年寄りからの切実な声が聞かれた。若い命の誕生は、我が集落にとって何物にも代えがたい寶なのだと思い知った祭りであった。

 その宝物が成長して小学生になった女の子は、祭りのメインイベントである「浦安の舞」の巫女さんに選ばれ、そのあどけない舞が奉納される。地域の人々はこの祭りを通して、小さな小さな集落の命の繋がりが、地元の神々に見守られていることを体験する。その祭りを通して、地域の絆を肌で感じるのかもしれない。

風の谷〜泰阜村    
    春の野に出でて来し方を想う

 92歳M翁をお送りした日はひどい雨の中だった。帰りの車内で、喪服の妻が「涙雨だよ」とつぶやく。「自分勝手にさっさと逝ってしまって・・・。私は長く生きすぎた。こんなに馬鹿になってしまって」と繰り返す。付き添いの私たちには返す言葉もない。

 悠々にたどり着くとお茶になった。入居者のお年寄りたちも他人ごとではないかのように、私たち一行の一挙手一投足を目で追っている。お一人の神経の細やかなお年寄りは、その夜半血圧が198/116に急上昇、少しバタバタ騒ぎとなった。

 それからの数日間、夜になると「誰もいなくなって、寂しい・・・」と当直のおじ様たちを悩ませるようになった。日中は出会うたびごとに目が私に訴える無言の言葉を受け止めるようにハグをする。この寂しさを慰める言葉もなく、ただ黙って受け止めるしかない。あの日から妻は食事を少ししか摂らなくなった。ご飯と汁以外には副菜に手を伸ばさなくなった。そして心配する私の顔を見上げながら、「胸が痛い」と訴える。ステージ4と宣告されたガンは、もうすでに鎮痛麻薬の服用を勧められているほどだった。体もこのようなのに、その上に重なるこの精神的な打撃には、何が効くのであろうか。

 昨晩からの春の嵐で、真っ盛りであった桜の花は、吹雪となって山里を染めた。そのあとに待ち構えたような浅黄色の新芽が顔をのぞかせている。この山里にも春の盛りはもうそこまで来ているというのに、悠々にはまだはじけるようなあの春が先送りになっているようだ。もうしばらくは、皆ともにこの哀しみの中にひっそりと暮らそうと思う。

 

風の谷〜泰阜村     
   春爛漫の夕に 翁逝く

 山裾が桜の花の薄紅色に染められた泰阜村の最も美しい夕べ、誤嚥で苦しまれたM翁が旅立たれた。覚悟はしていたものの、本人もその覚悟をなさっていると聞いてはいたけれど、この胸の苦しさは何なんだろうか。ご遺体をご家族に引き取られてしまうと、私たちには、それまで家族のように暮らしていた記憶だけが残る。そして寂しさに誰もが言葉を失う。この家の屋根の下でともに暮らしていたお仲間たちも、俯いて先に旅立たれたM翁を想う。

 入浴介助の時のおしゃべり、心不全で胸水が溜まった胸が苦しいと言われると、ベッドのギャッジアップの角度をあれこれ工夫し、クッションをあちこちに当てたよね(あんまり役に立っていたかどうかはわからないが・・・)。軟下剤を服用していても、誤嚥のために充分に食事の量が取れなくて、お雑炊と副食を少しに悠々の頂き物のおやつ+自前の栄養プリンやユンケル皇帝液等々では足りない摂取量に、日に何度も「便が出ないのが苦しい」と訴えられ、腹を温めたりマッサージしたり、摘便したり・・・やっと「出たー」と喜んでいても水様便だった。私たちはいっぱい昔語りを聞いたっけ、ともに驚き共感しその数々のご苦労に頭を下げていた。

 お姿が一瞬で目の前から消えてしまわれるのは、苦しいものだ。寂しくて、ただ共に暮らした日々の思い出だけが、繰り返し繰り返し胸に湧き上がってくるのをじっと耐えるだけである。

 最後の日々を家族のように暮らした施設職員も、このように喪に苦しんでいることを、世間にはあまり知られていないような気がする。

 今日は庭に出て、ニョキニョキと一面に生え出た草取りをしよう。何も考えずに・・・

風の谷〜泰阜村    
   春の野に雪が降って

 春の彼岸がすんで、泰阜にも春らしい気配がそこかしこでするようになり、心がほんわりとほぐれてきたというのに、早朝の薄明りの中で雪が降っている。それもしっかりと積もり始めている。ゲゲゲ、あの我が家の庭の片隅に出たばかりのカタクリの葉っぱはどうなるのだ、春蘭のつぼみは、沈丁花の蕾は、道端を飛んで舞っていた雉の夫婦の子づくりは大丈夫か、当たり前の降雪なのだが、春を待っている山奥の住民たちの期待が、やっぱりね季節はそんなに甘くはないのだという理を思い起こす。

 一昨日悠々でお一人のお年寄りが入院した。心不全で胸水がたまっていた。もう長くはないよと医者に言われ、本人も覚悟をし、誤嚥で苦しみながらも、目の前に並ぶ山菜チラシに思わず手を伸ばし、お好み焼きにも手を伸ばし(う〜ん、好きなものには誤嚥しないのだ!)刻み食と一緒に並んだみなと同じおかずに手を伸ばして、美味しいと笑顔が綻んでいた。

 入所した時より2キロも体重が増えて、深く抉れていた頬も気のせいかふっくらとして、それまで自宅で一人で悪戦苦闘していた重度認知症の妻の介護をスタッフに任せ、ゆっくりとそれを見ているのは幸せだと言っていた。

 92歳、ここまでよく頑張ったよね。戦場に行ったよと言葉少なに語ってくれたっけ。この時代のお年寄りは、あの戦時中の苦しみを潜ってきたのだ。最後ぐらい、人生の最後ぐらい、ゆっくりと人の手を借りて生きていてもいいのではないか?と私は思う。

 これまでの数えきれないほどの人生の様々な苦しみが癒されますようにと、わが悠々スタッフの優しいケアに感謝!!

サ高住が倒産していくこの時代に、長野県の最低賃金に少し毛が生えたぐらいの給料では、働き手が病に倒れると、人手が足りなくて、お年寄りが死ぬか、スタッフが倒れるかと気が気ではないが、介護保険に縛られるのを嫌って、悠々では採算度外視の横出しサービスを無償提供している。そしてこれが楽しいのだ。スタッフはお年寄りの笑顔を報酬にしている気配がする。確かに悠々で働くことの楽しさに誰も辞めない。しかし病に倒れるのが悔しい。

 先日村長とお話をする機会があったが、「施設管理者契約が満了する次の役割は、医療・スタッフ教育を任せたい。悠々の横に、村で研修所を造るので、全国から若者を集めて研修させてくれんか」とおっしゃった。う〜ん、80に手が届くというのに、この村の村長さんは、私をまだ働かせる気だね!(実は塩尻に住む娘と、東京の渋谷に住む息子の嫁さん両方に、このおばあちゃん「緊急育児」を頼むといわれているのだ。病気の子は、保育園でも幼稚園でも預からないのはご存じでしょうか、安倍総理。おじいちゃん、おばあちゃんが居ない都会の若者は、仕事を休むしかないのです。幼児はよく病気それも感染症にかかります。そうして免疫力をつけて大きくなっていくのだから・・・フウ〜)

 ふと目を上げると、書斎のガラス窓の向こうに黒文字の黄色の小さな花が雪の中で咲いているのが見える。山の中にいるのだと気づかされる。 

 

風の谷〜泰阜村    
 春の息吹に雪が舞って

春3月に入り、温かな日差しに誘われるように、悠々の住民たちがテニスコートほどもある庭へ散歩に出るようになった。「庭のあちこちに餅草があったよ、水仙の芽が出ていたよ」と告げながら「草餅が食べたいよ」とつぶやく。早速悠々では餅草は入らなかったがお餅をついた。あんころ餅、きな粉餅口に頬張り笑顔がはじける!3月3日にはちらし寿司のご馳走が出て、みんな健啖ぶりを見せてスタッフを安心させている。入居者総勢7名、皆それぞれに重度要介護が必要だ。

 その中でもうお一人のスタッフが病魔に倒れ入院手術となった。当分病との闘いが見込まれる中で、その働く仲間の回復を待つ間、スタッフ欠員のまま頑張ることになった。あと1年、健康になってこの職場に戻ってくるまで頑張りたいと思う。悠々スタッフは強い絆で結ばれている。まあ働く若い人が余っているわけでもないこの村では、仕方のないことではあるが、それよりもなによりも、その仲間の居場所を残したまま待っていたいというのが悠々スタッフの気持ちである。

 そこでフリーターの理事長が賄に入ることになった。山ほどの料理本を買い込んで、珍しいものを、入居者のお年寄りがびっくりする顔見たさに手を変え品を変え頑張ってみるのだが、年寄りたちが喜ぶのは昔なじみのちらし寿司、おはぎ、あんころ餅、カボチャの煮転がし、季節の天ぷら、きつねうどん・・・なのだ。そして泰阜村育ちのお仲間にお教えを乞うという次第になりつつある。

 76歳、一人で大人数の料理と格闘中である。そして今年は限界集落の班長になった。村役の指揮をとれるか・・・無理である。限界集落には強者の男衆が居て、ウロウロしながら走り回る76歳女子に、あれこれ文句をつけるのを笑いながら楽しんでいる気配がする。

フゥ〜、私の手帳はだんだん予定で真っ黒になり始めた。そういえば老人クラブも村役の一つであった。「私はまだまだ現役です」との言葉はもう通用しなくなった。先輩たちが高齢で運転できなくなったり、障害を負ったり、病魔に倒れたり、亡くなったりで、取りあえず運転する人ならだれでもいいと、言い逃れはできなくなった。老人クラブの役員を担う人が居なくなったのだ。老人クラブと銘打ったボランティアの主な作業は、真夏の県道沿い(何キロも続く)の花植え、草取り、水やりである。自分の家の庭の草取りも寝込むほど疲れるのに、この体力でできるのだろうかと思う。厳しい1年が始まる予感。それも6年に1回づつ回ってくのだった。フゥ〜・・・

風の谷〜泰阜村     
    悠々に奇跡が起こったよ!

昨日は春一番が泰阜村にも吹いて、残り雪が一斉に消え枯草の間にもう緑色の草が顔を出した。スタッフがご近所の蕗の薹を摘ませてもらって山菜の天ぷら第1号をしたよと嬉しそう。そう山郷の民は誰よりもこの春の訪れを敏感にキャッチし、春の野に出かけるのだ。そして誰もが村のどの辺にもう山菜の芽が出ているころだと知っている。今年のタケノコは一番乗りのイノシシにまだ芽も出ていない地の中から掘り出して食い散らされてしまったと残念無念の顔をされている。子育てに忙しい動物たちとの知恵比べが始まるのだ。

 その春の訪れの初めに、癌の末期と宣告されていた理事のお一人が、発見されてからたった半年で「緩解しましたよ。がんの細胞は体の中にはありませんから抗がん剤の治療の必要はありません」と言われ、信ずることができずに本人と家族たちは「先生はあんなこというけど、もう治療の手段もなくて治療から見放されたのだ」と誤解し、葬式の心配までしていたというのに・・・なんということだ。末期のそれも最も治療困難な悪性リンパ腫が抗がん剤治療2クールで緩解するなんてことがあるのか、とは素人であればだれもがまず思うことである。

それが治ったというのだ(再発の危険性はもちろん残るのだろうが・・・)とりあえず今は抗がん剤治療の必要はないと言われたのである。

 これ以上の喜びがあるのだろうか。本人も友人たちも、家族も悠々の仲間たちも、祈り、体調を気にかけ、体力をつけるために全面的に協力を惜しまなかった。しかし1年はかかると覚悟していた療養生活がたったの半年で収束に至ったのである。

悠々ではみなで大喜びして本人を迎え、早速快気祝いをケーキとお茶で祝った!皆の顔が喜びではじけていた。

 大切な大切な仲間のお一人が生き返ったのである。これを奇跡と言わずして何と言おうか・・・

風の谷〜泰阜村   
   過疎山村における福祉民営化の意味

 山陰・鳥取の豪雪の映像を見ながら、その地に住む友の身を想い、わが村と同じような過疎山村の奥深くに住むお年寄りの身を想う。かつて泰阜村にも80僂箸いβ臉磴降ったことがあった。その時多くのお年寄りを失った。重機の十分でない村の除雪は、まず県道を開けることから始まる。役場の職員は集合を掛けられ、山奥に一人取り残されたお年寄りの家の私道(玄関から村道まで)の雪かきで役場は当直を残して空になる。動ける者たちは(それがたとえ年寄りであろうと子供たちであろうと)みな、腰まで埋まる雪をかいた。私は悠々の年寄りのことが心配で1組の着替えとタオルをリュックに詰め、その上にペットのパピヨンを入れて、腰まで埋まる深い雪をラッセルしながら、殆ど一山を転んでは雪に埋まり、もがきながら2時間かけて悠々までたどり着いた。着いてみるとさすが悠々スタッフ!大雪の中をスコップで雪かきしながら車を県道まで出し、道をふさぐ竹を鉈で切り分けながら、各々駆けつけていた。この責任感!感謝!

 悠々の年寄りたちは「こんな日にわしらは飯が食えるのか・・・」と心配だったという。着雪による停電や流通経路が断たれた2,3日、市場もスーパーも開店休業状態であった。

 私たち悠々は、薪ストーブの上に大鍋を乗せ、戦時中さながらに雑炊を炊いたりすいとんを食べたりして凌いでいた。雪が融けるまで、じっと村道が開くまでの辛抱であった。スタッフ達が悠々のお年寄りのために働いていることを知った理事たちは、悠々の広い駐車場と玄関までの雪かきに駆け付けた。次いで理事の二人は我が家の庭で雪にすっぽり埋まった我が愛車を掻き出し、雪の重みで村道をふさいでいた竹林を鉈や鋸チェーンソーで、見事切り開いていてくれていた。

 黙って礼の一つを言う暇もないほど素早く、さり気なく殆ど絶望的であった単身独居老人の(夫は都会に単身赴任中)我が家の危機を救い、その2,3日後に(山中ただ1軒建つ)我が家の前の村道を除雪車が走った。嬉しくて頭が下がり涙がこぼれた。

 助け合いとはこのようなことを言うのかと、都会育ちの移住者である私は身をもって教えられた。しかしその彼らも今は70代後半、次々と病に倒れ、地域の絆もボロボロと千切れていく中で、この村の年寄りはどのように生きていくのかを改めて思う。

 やはり、山中で一人取り残される人たちは、災害の時だけでなく、日常的に避難小屋のようなところに出入りして身を寄せ合って生きる術を手にするべきではないか。

 自分たちの手で助け合って生きる術を、日常的に集落ごと(小学校区ー年寄りが徒歩で移動可能な距離)に常設すべきではないか、とTV画面を見ながら思ったことであった。

 昨日は「家の中に一人でじっとしていると寂しくて生きている気がしない。土曜日と日曜日は悠々でご飯を食べられないかな」と言って70代の若年寄り(少しご不自由を抱えている)が顔を覗かせた。少しづつ少しづつ「悠々の日常性」の温かさの意味が、近隣の住民にひたひたと染みわたっているようである。

風の谷〜泰阜村     
   「生きた憲法25条」

 久しぶりに「悠々」に戻った。平熱に下がり時々咳がコホンと出るが、厳重なマスクをして入居者の顔を見て歩いた。私より2~3日インフルエンザ罹患の遅かった90代ご夫婦は、まだ自室に隔離されたままであったが、それ以外は病を抱えておられるものの、いつも通りの顔で、「ほんに久しぶりだな、心配しておったで、私らより先に往かれたらどうしようかと思っていた」と次々とお見舞いの言葉を頂いて胸が熱くなった。この私の身を本当に心配してくれていたのは、この年寄り達であったのだと、あらためて管理者としての健康管理が、お年寄りたちの安心にこれほど重いものであったのかと、肝に銘じたことであった。

 肝心な給料支払いなどの事務作業は、病を抱えた年寄りたちの通院介助等に振り回されながらのケアの合間に、スタッフが片付けていてくれたし、来所者たちの「ご馳走賄担当」スタッフがともに倒れて欠落した戦場のような悠々を、身を粉にして無事に動かしてくれた我がスタッフに感動した。そこには入居者に対する愛と責任感という「プロとしての矜持」を見た感がある。

 

 10日間ただ、ただ寝ているだけの時間を頂いて、熱で朦朧となった頭で、この先の「悠々」はどうあるべきかについて考えていた。「もし自分がこのまま死んでいったとしたら、何を残したいのか」をただひたすら考えていた。

 そこで一つの結論が突然ふっと浮かび上がってきた。

「生きた憲法25条」!

 そうだ,そうなんだ。私は現在75歳(昭和16年2月生)、戦前生まれの生き残りの最前線にいる人間なのだ。昭和19年に満州から着替え一つで引き揚げてきて、3歳になったばかりの私は、親戚の家をたらいまわしされながら、高射砲のある軍事基地を抱えた静岡県浜松で戦火の中を逃げ惑った。3歳だというのに、畑の中で死んだふりをしていろと言い聞かされて、畝のなかに身を伏せながらそっと目を上げたとき、機銃掃射を撃ってくる戦闘機の兵隊さんと目が合った。笑いながら ダダダと撃って飛んで行ったその目を、72年経った今も鮮明に思い出す。戦後は草を食べていた。サツマイモのツルはご馳走だった。捕虜に取られたまま帰らない父を待って、借りた農地を農作業に慣れない母を手伝ってただ食べる為だけに死に物狂いで働いていた。(糞尿の入った肥桶を母と担ぐと、肥桶は小さな私の方に偏って、その飛沫がかかっていたことを忘れない・・・)

 普通の国民は、戦争に負けてすべてを失った。しかしそこには、土地を持つものと持たないものの格差がまずスタートとしてあった。戦後の復興とはまず経済復興であった。これに文句を唱えるものはだれもいなかったはずだ。しかし戦争で財を成しているものがいたことを、国民は知らなかった。その隠れていた財閥が戦後の復興を牽引して富国(強兵)にまっしぐらに突き進んで戦後70年が経った。

 あの世界大戦は、日本国民に何をもたらしたのか。

バブルの時代に生活が便利になった一時は確かにあった。しかしそのバブルはすぐにはじけて、国民の間にどんどん格差を広げた。今、過疎山村が産み育てて都会の工場に送り出した子供たちが定年になって、労働年齢からはじき出されようとしている。その年寄り達を養えないという。消えた年金のことはもう言うまい。

 先の戦争で国民が手にしたたった一つの宝物のことを、改めてここに示したい!私は、この憲法を実現するために国民の一人として命を懸けている。「生きた憲法25条」でありたい!と願っている。

 

 みんな思い出して!

   聞いたこともないよという若者たちは耳を澄ませて胸に刻んで!

 憲法25条とはこのようなものなのだよ。国はこの憲法を守る義務があるのだよ。これが戦争で国民が勝ち得た宝なのだよ!

 

日本国憲法第25条(昭和二十一年十一月三日憲法発布)

 

        すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

        国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

 

 

風の谷〜泰阜村     
    猛威なるかなインフルエンザ!

 所によれば何十年来、我が泰阜村でも5年ぶりぐらいの大寒波による積雪である。雪かきしても雪かきしても振り返れば真っ白に積り、咳と鼻水を垂らしながらの雪かきが祟って、大風邪を引き込んだらしい・・・。夜中にかけて熱は上がり翌朝39.3度まで上がったところで病院の休日救急に連れていかれた。インフルエンザA型だという。予防接種したんだけどな〜・・・.「流行ってますからね〜、吸入をしてから自宅でうがいと内服薬(PL顆粒+ミヤBM+プリンペラン+カロナール錠)を飲んで安静にしてください。お大事に」、「あッ、水が飲めないんでしたね。点滴していきましょうか」、「お願いします!」と助けられた。ところが翌日は39.9度に熱は上がるばかり.体温が40度に手が届くところまで行ったのは生まれて初めて・・・と言うことは、年かぁ〜.

 寄りによって先日前の席で久しぶりにおしゃべりを楽しんだ91歳M翁が、38.7度ということで急遽受診していたのである。「あ〜申し訳ない。悠々の黴菌の主は我かな・・・そうに違いない.申し訳ない」との思いで点滴を受けていたのだが、翌日にはインフルエンザの治療薬がよく効いて、36度代に落ち着き、食事も食べているとのことで、ほっとする。

 今年の年始が明けてすぐに、理事の一人である我が夫もインフルエンザB型に罹患、急遽単身赴任中の大宮に出かけて看病に精を出したばかりだったが、AとBでは型が違うので夫からうつったのではなさそうだし、今年は泰阜中学校も学級閉鎖がでたということで、泰阜じゅうおちおち出かけることもできないでいる。

 その中を明日、神奈川県逗子から80歳の翁(翁はちょっと若すぎたかな?)が、永住入居目的で見学に来られる。

大丈夫かな、お風邪をうつさない様に細心の注意を払い、祈るしかない。こちらの状況をお伝えしたが、是非にと言うことである。有難いことである。


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