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風の谷〜泰阜村から〜
初めての当直当番顛末記

泰阜の里は今まさに「猫の手も借りたい」農繁期
 我が理事たちは,60代後半から70代前半の農家の大黒柱
 その上、村の役場のボランティアの役員を兼ねている
 その忙しさは,都会の大手企業トップ営業マンとでも引けをとらない
さてその彼らが「地域交流センター悠々」の当直をどうするかで混乱した

「〇〇〇,たまには女房と一緒に泊まらんかね」
「ばか言え,おれとなんか泊まるか」

「う〜ん.寝るだけなら来てもできん事ないが・・・」
「お客は女性だろう,知らん男がひとり泊まってだいじょうぶかよ」

「やっぱり、女房連れてきて一緒に泊まらんといかんだに」
「あれだけ反対してる女房がなんというか・・・・」

「組合の女性群に声かけて泊まってもらうか」

「まず役員が範を示して,それからだに頼むのは」

「う〜ん.〇〇〇おまえ,俺と一緒に泊まるか」
「うん.いいよ」
「じゃあ〇〇日に俺たち二人で泊まるわ」

理事長
「すみませんが,お二人の分担ということで
   もう一日お願いしてよろしいでしょうか」

「・・・・・」

「じゃあ,おれは〇〇日.女房がなんと言うか・・・」

「おい,飯はどうするんだ朝飯は.その人が勝手に起きて自分で作って食べるんじゃなかったのか」
理事長
「宿泊のお客様は療養目的の利用なのでお食事はこちらで用意します。
 1ヶ月8万6千円の中に含まれていますので,
 基本的にはこちらで何とかしなければいけないんです」
「う〜ん.そういうことか」
「メニューがいるに,メニューが.わしらは作ったことないだに料理なん て,納豆に海苔に玉子に・・・それしか思いつかん」

「大体から電磁調理器なんて触ったことないから使えんに.ここは魚焼くグリルもないで」
「そりゃ大変なことだで」

理事長
「七輪買いましょうか.炭を熾してそれで魚を焼くというのはどうでしょうか」

「炭なんて熾すの大変だに.こりゃあえらいことだ.来期は役員のなり手はいんな!」

こうして悠々最初の理事会は、延々夜中の11時過ぎまで続き
前途多難が明確になった

貧しい寒村の乏しい人材を このむらでは公的にも使いつぶしている
この私のしようとしていることも 同じことなのだろうか
私が倒れた後は
 有料の老人ホーム化するとのうわさが頭をよぎる

年金2万円3万円で,膝や腰の痛みを絶えながら
 倒れたときの介護者不在の不安を抱えて生きているお年寄りの姿に
 目をつぶれば 楽になる
 私の福祉のプロとしての良心を両手に載せて深呼吸する 
 
小泉純一郎先生
 聞こえていますでしょうか
 泰阜の 貧しい年寄りのうめき声 声 声・・・・
 






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風の谷〜泰阜から 
第1回視察研修《愛知県豊根村社協》のみなさまと

地域交流センター悠々がオープンして2週間
 茶碗もお皿もろくに揃ってはいないリビングで
 第1回の視察研修をお受けした.

この日の総勢は18人
 愛知県豊根村社協の皆さまは6人
 私たち泰阜村ボランティアが12人(内1名が認知症)

その日は悠々の交流事業NO.8 【鍼・指圧・マッサージ治療院】の日で、10時から順番に治療を受ける人、「泰阜・五平餅定食」に挑戦している人と全員なれない台所で奮闘した.









そこにあるのは、お客様をお迎えする大家族の協同作業があったと思う.
 この作業を仕切っているのは80代のお年寄りたち、
 8時半から2時間大奮闘していたおばあ様たちが、10時半には疲れ果て
 リビングの中央にある掘りごたつでお茶をはじめる.
付き添いのおじい様たちがそれを覗きながら、あれこれ講釈を述べる.
 それまでお客様をしていた豊根村社協のベテランスタッフが、
 たちどころにきびきびと動き始め、その続きを仕上げてお昼となった。

リビング中央の大テーブルは定員20席.
 テーブルを囲んだこの日の大家族は、手作りの昼食に舌鼓を打った.
 笑顔とおしゃべり、楽しい団欒が私たちみんなを幸せにした。

総桧作りの大屋根の下で過ごした一日は、楽しかったでしょうか?
 愛知県豊根村も山々に囲まれた小さな村、
 泰阜村の悩みと同じ悩みを抱えているという。





一人ひとりが手を取り合って支えあえれば今よりずっと幸せになれる。
 一つ一つの小さな村村が手を取り合って、共に響き会えれば
 きっと今よりずっと幸せを作り出せると
 信じられるそんな気がした一日でした。

私たちこそさわやかな優しさをいただきました。
 有難うございました。
 これからも どうぞよろしく

    泰阜村  地域交流センター悠々一

風の谷・泰阜村から
地域交流センター悠々オープン

2009年5月9日 泰阜村に日本発の高齢者による 高齢者のための共同住宅と地域交流センターがオープンした.







開所式には、80名近くの会員と泰阜村村民がお祝いに駆けつけてくださった.
その日は快晴で、泰阜村は浅黄色の新緑の山々に囲まれていた.
1年で泰阜村がもっとも美しいその季節に、総桧つくりの平屋建ての家が立ち上がった.
この地方の棟梁が、腕に撚りをかけて作られたと伺った.















もうこの日本で、このようにみごとな日本家屋はできないだろうと言われていたと伺った。
棟梁たちは、自分たちの代で、日本の伝統的な手作りの家作りは終わるだろうと思うと伺った.
それを聞いて、この泰阜村の地域交流センター悠々は
「日本の宝物なのだ」と感じ、この建物に恥じないような交流を
この地に、この建物の中で実現しようと誓った.

スウェーデンから、世界初の高齢者協同組合創立者に参列していただいた.
創立10年目で、大手介護サービスの会社に入札で負けて解散したと伺った.
私たちは何ができるか、命がけで捜し求めていかなければならないのだと、心に誓った。

開所式から1週間が過ぎ、泰阜村では何事もなかったかのように
一日一日と日が長くなり、ゆっくりゆっくりと時が過ぎている。



真新しい「悠々」も、何事もなかったかのように当たり前のような顔をして、泰阜村になじんでいこうとしている。

南信州の寒村の 当たり前の生活に、
「悠々」もなじんでいっているような気がする。














風の谷泰阜
 泰阜の見送り

7月19日泰阜村の村人たちは
 95歳のおばあちゃんを見送った.
 おばあちゃんを知る村人の多くが、
 その温かで穏やかな人柄にひかれ「いい人だった」と口にした。

泰阜の村に生まれ、泰阜の尋常小学校へ通い 
 泰阜の家にお嫁に行ったおばあちゃんが
 95年の長い人生を終えて 彼岸に旅立った

その生涯はこの年の山村に生きる女性のすべてがそうであったように、
  貧しさとの厳しい戦いの日々にあっても、愚痴一つこぼさず
  働き、愛し、楽しんでいたことがこの日わかった。

戦前の泰阜の主産業であった製糸工場に30年間勤め、
  永年勤続表彰を受けた女性の一生は
  たくさんの子供を生み育てながら、家事と野良仕事をこなし
  工場で働いた日々であったという.

脳梗塞で倒れる瞬間まで、宅老所「マーキ」の仲間に囲まれて過ごされて
 たった40日間病院のベッドの中で、
  多くの友人との別れを惜しまれた。
 意識はないけれど、
  親しい友人の声かけに体を動かし声をあげられたとか・・・

N.K.おばあちゃん 長い間お疲れ様でした。
 日本の大変な時代に私たちの日本を守ってくださった
 本当に心からの感謝と哀悼の気持ちを捧げます。

ありがとう、おばあちゃん。
 残された泰阜の子供たちを見守っていて下さい。


 

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風の谷泰阜
 梅雨の終わり

7月に突入してしまった。
6月の初めからつい先週にかけて 裏山の薄暗がりは
 十数本のピンクの笹百合の芳香に包まれていたのに
 
もう今朝は 足もとの水路にピンクのホタルブクロが数本
 道端の草むらに黄花コスモスの残り花
       濃い桃色の野あざみがチラホラ
       
 あたりは一層深くなった緑の森が広がった

コロコロに太った子狸が道路の真中で仲間と遊び転げ
 車が近づくまで夢中
 家の前の畑に猿が1頭出現し 
 家の周りは加速度的に自然に戻りつつある気配を感じる

隣の家が無住になってもう10年以上経って 
 伸び放題の蔓や草の中に家屋が沈んでしまった
 耕作放棄された田畑にはススキや偽アカシヤの木が繁茂
 収穫されることのない梅林とキウイの棚には
 目に余るほどの竹が繁殖している

限界集落はこうやって
 無責任な都会に移住していった子供たちの手によって
 管理放棄され
森に戻っていくのだろうか

 取り残された 泰阜大好住民たちは 
「今年も里に熊が出るか」と
 不安そうに山や森を見上げているけれど
 土蔵荒らしの汚名を浴びた村民たちは誰もその屋敷に近ずかない

 都会に出ていった村民とその子供たちに
 自分たちの村が荒廃していく様をどのように感じるのか 

 聞いてみたい!





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風の谷泰阜
  泰阜村に春が来た

泰阜村に春が来た

棚田に水が張られ 元気な苗たちが田植えを待っている
遠いアルプスの山の頂きには白い残雪が望めるけれど
泰阜の里山は満開の桜でピンク色

泰阜の人々がどれほど花が好きか 
この村の桜は「桜守人」たちが守っているなどとは ついぞ知らなかった
 昨年の冬の小雪のちらつく中を、一群の古老たちの姿を見て
 何が始まるのかと伺うと
 桜の手入れをするのだという
 病虫害にやられた枝を剪定し、
 その根本にしっかりと肥料を施すのだという

そんな隠れた桜を愛するお年寄りたちに見守られ育まれて
今 泰阜村の桜は1本1本が元気で 見事な盛りを誇っている

人口2000人を切った観光地でもない泰阜の
  何人の人々がこの桜を愛でるのか だれも数えたことはないけれど
ひょいとこの村を訪ねた訪問者が その贅沢さに圧倒されることだろう

泰阜村には今も桜守人が居て
 ほんの一握りの人たちのために
   雪の中を 桜を守っていることを

私は 誇りに思う

後期高齢者医療制度が始まる。
 泰阜村の3万円の国民健康保険遺族年金で暮らしている
 多くのお年寄りたちは
21世紀の日本で
 貧しさのために医療を受けることもなく
 死んで行かなくてはならない

このように誠実に一生懸命生きてきた
自分たちの大切な親や祖父母たちを見殺しにするような

このような恥知らずの日本に一体だれがしたのか 聞きたい





 

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風の谷泰阜
 泰阜の春

昨日 第4回交流事業が終わりました.

 今回のメインイベントは、
  東京江東区からお招きした田中秀樹さん
  ・江東区障害者・児の生活を豊かにする事業団体連絡会 会長/
  ・社会福祉法人ゆめグループ福祉会 理事 ほか多数
 講演のテーマは
 「いろんな障害があっても、住み慣れた地域で働き、
       生活したいという願いを実現するために」
 
 
聴講した参加者は、お話が終わっても田中さんの傍を離れず、熱心に質問をしていました。その一つ一つに丁寧に答えられて示唆と希望を与えてくださったことに、心から感謝申し上げます。

今回の参加者は
 ・飯田/下伊那地区の障害児を抱えたお母さんとお父さん
  そして元気な子供たちと
  +泰阜までの曲がりくねった山道で体調を崩した子供たち
  この人たちは泰阜福祉塾の力強いリピーター
 ・それからこのお母さんたちをいつも応援しているおばあちゃん2名

 ・今回もこの会に華を添えてくれた
    飯田女子短期大学看護学科の美女たち4人
 ・はるばる泊まりがけで様子を見に来てくれた私の恩師ご夫妻
 ・泰阜出身で近じかUターンして山林再生プロジェクトを計画中の紳士
 ・箕輪町で地域再生のために活躍中の紳士
 ・飯田市の高校教師
 
 学園の利用者さんたちの手工芸作品を特別出店してくださった
 ・阿南学園の職員さんと利用者さん

 そしてなによりもこの事業の成功を、陰でサポートしてくださった
  ・高齢者協同企業組合の理事の皆様とその奥様達

 休日返上でかけずりまわって準備してくださった
  ・役場職員のIさん、Sさん
  ・会場のあさぎり館の管理人さん
 
  ・泰阜村の若者応援団第一号のHさん
   Hさんに共鳴し泊まりがけで天竜村から駆けつけてくれた
   若者2名

  最後に休日をすべて費やし
  22日夜の医療相談会に遅くまで参加してくれた夫に

これらの参加者とお手伝いくださったスタッフのすべての皆様に
  心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

交流事業を重ねるたびに、私の小ささと至らなさを実感させられます。
  そしてあまりにも多くの人々の善意に支えられて(凝縮して)
  ひとつの交流事業が実現する過程のすごさに
  圧倒されています。

高齢者共同住宅の完成と事業の開設まで1年を切りました。

これからどれほど多くの人々の善意のお気持ちが集まるのか
                     想像もできませんが、
その日まで、
 事業の準備を無事に果たせますよう祈り続けたいと思います。


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風の谷泰阜村から
高齢者協同企業組合許認可下りる

今朝 電話で朗報が入った。



高齢者のための共同住宅を泰阜村の南地区につくりたい と言う願いが 4年がかりで叶った。



この願いは、20年ほど前藤田保健衛生大学リハビリテーション科での7年間と、

それに続く東京都リハビリ病院での3年間の医療ソーシャルワーカーとしての臨床経験から、

「介護保険では、ご不自由をかかえた障害者を在宅には戻せない」という確信につき動かされたからである。



では今、何が足りないのか。



患者さんたちが共通して願うのは、まず第一に、食事とトイレは自分でしたいということである。そして普通の暮らしをしたいことである。

それを叶えるには、地域の仲間たちの支えと生活の中に継続したリハビリが必要である。



 普通の健常者は皆知らないが、ある老人介護施設で起っていることである。

食事の時間になると、たとえ自分で手が使えても、一人で食べることは許されない。

 ぼろぼろこぼし汚くて、時間がかかるからである。

 一人の介助者の前に、4~5人の入所者が並ばされ、それぞれの前に置かれたどんぶりからスプーンですくって自分の口に放り込まれるのを 順番に口をあけて食べる。

どんぶりに入っているのは、その日のご飯と汁物とおかずと漬物が混ぜ合わされ、粉くすりがかけてある。

 勇気ある一人の入所者がそれを吐き出したところ、はきだされたものをもう一度すくって口の中に放り込まれたそうである。その施設に働く人たちの中には、それが間違っていると知っているものもいるのだが、だれも入所者のために声を上げるものはいなかった。



 それに似たようなことが重なって、なんとかしたいと思った私は、結果としていま泰阜村にいることになった。

 

泰阜村に集う人たちには、どんなに障害があっても、そして貧しくても、笑顔と笑い声が聞こえる場所にしたい。



これが、私の唯一つの願いである。



私は今日、このことをもう一度こころに誓った。


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風の谷泰阜村から
過疎の村の老人の 安らかな死のために

長野県は長寿で知られている

 その中でも、泰阜村は元気なお年寄りが多い.

80歳、90歳はまだまだ現役で、

 村の道路や水路等 山林を守る共同作業は彼らが陣頭指揮を取っている.



そのお年寄りが最後に脳卒中や事故によって倒れたとき、

 どうするかが この21世紀の医療に問われている.



大都会からやってきた一人の青年医師は

 90歳をとっくに過ぎた意識障害のあるお年寄りたちに、

 胃に管を通して高カロリーの栄養を与える手術や

 延命のための手厚い手術を、惜しげもなく投入することに

  疑問を感じていたと言う・・・・



今その80代、90代のお年寄りの人生はどのようであったかに想いを馳せれば、

 人として どのようにあるべきかが見えてくる



 戦後60年たった今でこそ、過疎の村の年寄りたちも

  救急車で病院に運んでもらえるようになった.



それまで多くの貧しい山村では、

 お医者様に最後の脈を取ってもらえずに死んでいく身内を

 少なからず持っているものだった.



その彼らが、戦後日本の復興のために働いて働いて一生を終えようとするとき、

 年だからというそれだけの理由で

  21世紀の現代の医療の恩恵を、 

 受けられずに死んでいかなくてならないのかを 考えたい.



現代医療の総力を挙げて、それでも適わぬと知ったとき

 そのときこそ、安らかに 自分の寿命を受け入れることが出来る



自分のために尽くされた医療とスタッフの尽力に感謝を込めて

 「もう充分だ」と 自らいえる気骨を持つ人々であることを 信じてほしい.



医療に携わる人々に、

 これらのお年寄り達が この日本繁栄の底力であったことに想いを馳せてほしい。

 若い世代のひとびともやがて 年を取る



この老人達を、いかに安らかに見送る事が出来るか

 その心映えが 今医療に問われていると思う.







 

 
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風の谷泰阜村から 
   医療過疎地ということ

泰阜村は冬支度を急ぐ山里の紅の盛りの中で

 50歳と4ヶ月の働き盛りの男性を見送った

 20代になったばかりの二人の息子の父親であった

 

 150人を超える参列者たちの誰もが、そのあまりの若さを心底から惜しんだ

 肺がんの転移による死は、発見されるまでに5年経過していたという.

 21世紀のこの時代に、何時までもなおらぬ咳をまわりから指摘されても

 主治医を信頼して最後まで着いていったという・・・

   

 

 その律儀さでだれからも愛された彼の死に

 参列者のだれもが「残念で、残念でたまらない」気持ちであった

 

 過疎の村泰阜、人口の38%が老人というこの村にとって

 50代が始まったばかりの彼は

 「大切な宝」であった



 医療過疎とは、医者がいないことではない.

  最新の医療に関する正しい情報を

  医者も、家族も、本人も持ち得なかったことであると

 この日、思い知った.



 



 
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