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風の谷〜泰阜村
 「地域交流センター悠々」開設10周年記念式典ご案内

 泰阜村の里山に一度に春が来て、浅黄色に燃え出した木々の間から満開の桜が色を添えている。花の好きな村人の家々の庭には一斉に色とりどりの花が咲き誇っている。泰阜村が最も美しいと言われる時が来た。いつものように悠々にはツバメも姿を現して、巣作りに精を出している。我が家の里山にも一斉に紫色の可憐なカタクリの花が咲き始めた。山歩きの古老たちに相談し、腰ベルトに鉈と鎌と折り畳みのこぎりを指し、地下足袋を注文した。毎日朝いちばんにカタクリの花を見に森に入るのが一番の楽しみである。冬の厳しい環境の中から誰に見られるためでもなく、ひっそりと咲くカタクリの花が愛おしく汗を流して・・・泰阜の山の民となるのだろう。

 さて、この春の最中に悠々では、開設10周年記念式典を迎えることになった。この10年間でこの悠々を訪れたすべての人に、そして全村民にご招待状を出した。悠々を懐かしいと思ってくださる方々とお会い出来たら嬉しいと思ったからである。

 もちろん超が付くほどご多忙の方々は、御縁を結ぶことはできなかったが、悠々に行きたいが歳を取り不自由な体を抱えた身では行けないとの、切々としたお声も届いた。人手でさえあったらお迎えに上がったのにとも思う。(三重県の賢島在住という)もうお一方はご主人の心臓の手術を抱えその上自身は難病にかかって旅行どころではないとのお声も届いた。

 悠々が年を取ったように、この東京から最も遠い島と揶揄される泰阜村への大旅行は、御縁がある人しかたどり着けないらしい。でもでもみんな御縁で結ばれた家族なのだから、いつでも声をかけてくださいね。必ず飛んでお迎えに行きますからね‼

 

 冬が終わってこれからは満開の春、5月13日(日)には満開の花々に包まれて過ごす一日を用意して皆様をお待ちいたしております。春の山菜料理もね‼お楽しみに!

 

  

風の谷〜泰阜村  
  悠々の新しい形のお客様

 雪解けの進んだ我が家の庭先にもチューリップ、水仙、クロッカス等の緑色の芽が顔を出した。春が山奥の庭にもやってきた。森の中にはまだ枯れ枝色をしている木々の間を小鳥たちがチュッチュッと囀りを響かせている。

 あたり一面の春の輝きに満たされて、悠々にも春がやってきた気配。新しいお客様である。

 昨日その若いお母さんの訪問を受けた。協力隊でこの下伊那地域にいらっしゃった女性、お隣町でコーヒーがヤケにおいしいと評判の小さなカフェを開いていらっしゃる。お腹には5か月の赤ちゃんを抱えていた。この悠々のひろく暖かな交流センターに一歩入って気に入られたという。それほどでもないが豆から挽いたコーヒーをスタッフに勧められ、落ち着かれたようだった。

 彼女の呟き・・・「こんなところにちょっと立ち寄って休みに来てもいいのかな〜」

理事長「はいはいもちろんです。そのための住民のための交流センターですから、特別な用事がなくても、誰もが好きな時にきて好きなことをしているためにこの悠々は作られたんですから、どうぞゆっくりとしていってください」

 彼女「もう少ししたら出産なんですけど、それまで時々ここで休ませてもらっていいですか?」

理事長「もちろんです。そうやってお役に立てたら嬉しいです。ひょっとして出産後の御里帰りをこの悠々で1か月ほどお世話をさせていただくと言うのはどうですか?」

 彼女「え〜‼本当にいいんですか?里に帰ってもあまり助けてもらえるような事情ではないので、そんなことがお願いできたら嬉しい‼」

理事長「こちらのスタッフは常勤3人・非常勤2人(看護師3人、乳児保育の経験豊富な保育士さん1人、賄い1人)です。安心してお預かり頂けると思います」

 彼女「友達もいて、経験豊富なスタッフがいるなら、安心して出産後の療養が出来そうです。夫と相談して・・・」とお帰りになられた。

 この日をどれほど待っていたか。この事業は、地域のお年寄りばかりではなく、子供たちのためにも、働くお父さんやお母さんたちのための「ちょこっとだけお手伝い」をしたいとはじめられたものだから。

10年経って、やっと初期の思いが地域の人々のお傍に届き始めた予感がする。途中であきらめなくてよかった。待って待って待ち続けてよかったと心から思う春。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村    
    残雪が消えて我が家に春の気配!

 朝まで3センチも雪が積もっていた我が家の庭に、たまたま見つけた夫が「花が咲いてるよ!春だ、春が来たね」と指さしたその先にピンクの椿の花が4,5輪咲いていた。その日は25年間泰阜村の大自然に惚れて通い続け、「ここを終の棲家にしたいからお願い!」と頼み込んで自宅敷地を分けていただいてから15年、やっと熱い念願がかなって、カタクリと笹百合、春蘭などの山野草の宝庫・群生地であったという山林2ヘクタールを譲っていただくことになった。

 二人の村の重鎮が私と大山持ち氏との間を取り持っていただき、保証人までお引き受けくださり、私たち二人が少しばかりの山の斜面を手に入れることになった。なんだかやっと山の民の一員として受け入れていただいた気持がして嬉しかった。足が地面についたという安心感である。

 どんなに嬉しいか、嬉しさがジーンと胸の奥まで染みわたってこの年寄りの命に大自然の息吹を吹き込まれた気がして、私たち夫婦は、早速自分のものになるという森の中を、長靴を履いて歩きまわった・・・。しかし山歩きになれない都会人の二人は、落ち葉が堆積し蔦がテグスのように張り巡らした森の中を歩けずその周囲を歩き回り、外からのぞき込むばかりであった。

 元の木より太い蔦に搾り上げられて殆ど枯れかかっている広葉樹を発見し、助けてやりたくなったが、道具をまず買わなければ・・とこれからの生きがいが見つかってわくわくした。そして足元に若草色の蕗の薹が両手にいっぱい!

 今晩の夕食は春の山菜のてんぷらと決まった。

風の谷〜泰阜村   
  パートナーの覚悟〜終の棲家を決めるまで

 雪のアルプスの真ん中を突っ切るように走る中央高速道路を南に下って飯田山本ICを出ると、そこに広がる風景は天竜峡の船下りで知られた小さな商店街の並ぶ昔の街である。そこはJR飯田線の特急が止る「天竜峡駅」下伊那の観光地でもある。我が泰阜村は、そこをさっさと通り抜けて県道一号線を南にまっすぐ下り飯田市と泰阜村の境界にかかる千泰大橋(ちたいおおはし)を渡った先にある。  

 この大橋は、この世の経済を中心とした行政区と、神秘的な深い緑に包まれた日本の昔の故郷はこうであったかと思わせる懐かしい山里に入る境界でもある。

 この度悠々が10年を迎えることになって、理事長もその伴侶である夫も歳を取り、「人生の最後をどこでどのように迎えるか」について真剣に話し合う機会が多くなった。その話し合いは、家族としては「もういい加減に、苦労のわりにこれと言った成果が目に見えない趣味を止めて、今まで根拠地としていた〇〇市の都会ライフに戻ろう‼」と言うものであった。

 ぎょぎょぎょ!「この方は根っからの都会人であったか」とまたまた改めてその根本的な生き方の違いを思った。ネオンが好き、赤提灯が好き、スポーツクラブで汗をかくのが好き、そして自由時間の殆どを書斎にこもって新たな研究に没頭するのが生きがい・・・。一方私はと言えば、緑の森が好き、花が好き、お年寄りたちとお茶をするのが好き、四季折々の大自然に囲まれてその自然の中で汗をかくのが好き!う〜ん・・・この折り合いをどうするかで行き詰まっている。我が伴侶はこの私の我儘に付き合って、もう2年も単身赴任を耐えてきた。週末ごとに6時間かけて勤務先の病院から山奥の我が家に帰ってくる。彼には〇〇市の閑静な住宅地に広くて日当たり良好なマンションがある。定年後をどちらで住むか、終の棲家をどこにするかの問題で、激論を戦わしたこともある。

 私が出した検討課題はこうである

定年後「心を打ち明けて相談できる人は居るか?」

 彼:関東地方に済む大学時代の同級生が4,5人(病気の時助けてもらう /泰阜村のご近所さん2,3人(日々の困りごと心配事の際駆け付けてくれる)

 私:「悠々」のスタッフ3人(いつも心配してくれて非常時には飛んできてくれる+愚痴の相手・家族同然)+集落のご近所さん達4,5人(集落の問題を汗をかきながら守っている絆がある)/大学時代の教え子10数名(「理事長の健康と「悠々」の将来の事を心配してくれる)

⊆家用車を利用できなくなったらどうやって生きていくか

 :ノルデック・ウォークで「悠々」まで歩いてデイサロンを利用し三食を確保、役に立たなくなるまで医師として誰かの役に立つ仕事をしていたい。要介護認定されるまでは家事は自分で頑張る。/最後は「悠々」で悠々自適に暮らしたい。

 私:「悠々」の後継ぎが現れるまで頑張る+ショップライダー(電動四輪駆動車)で通勤/重度の要介護状態になったら「悠々」で悠々自適に暮らしたい。

 

パートナーの結論:都会生活を捨てて、皆に助けられながら暖かい人たちの中で悠々自適に暮らそう‼

 

 

風の谷〜泰阜村    
 時代の先駆けY市長にお会いして

 早朝、いまだ雪と氷と化している我が家の駐車場を何とか脱出し、愛知県N市のY市長を表敬訪問するという願いが叶った。当時この方は、福祉分野では全国に名を知られていた「ゴ〇カ〇村」の経営者で、その発想の基点が福祉の原点である「すべて人は人間らしく(健康で文化的な暮らしを)生きることができる」を実践しようと人生をかけておられるとお見受けした方であった。当時悠々は建設中(10年以上前)で、たまたま視察で泰阜村村長を訪れていらっしゃったとき、村長からこの名も知れぬ変わり者のことを耳にし、興味を持たれて「会いたい」と望まれ、私が役場に呼ばれたという経緯がある。その時は怖いもの知らずであった私が、鋭いご質問に答えお帰りの際に「あんたは本当に人が好きなんだね。今日はいい人に会った」と、意味深長なお言葉を賜ったものだった。

 それから、何年かしてN町の町長選に初当選され(現在はN市長)、今回「悠々」も10年経過し、当初困難にぶつかるたびによろよろと「ゴ〇カ〇村」を訪ね、暖かくもてなしていただきそのお人柄に触れて、もう一度立ち上がる力を頂いたお礼とご報告を兼ねて、面会を申し入れたものであった。

 10年前のN町はN市として幾数倍も拡大し、近年若者から「最も住みたい街」と熱い想いを寄せられる評判の街に格上げされていた。さすがYさんならではの発想力で行政を生まれ変わらせているのかと、期待で胸を膨らませて面会室?でお待ちしていたが、作業服姿でさっそうと現れたのは、行政マンのトップリーダーとしての責任をその背にズシリと背負われたその人であった。

 あの「ゴ〇カ〇村」の事業集団を率いていた福祉のトップリーダーであった時のお顔とは、別人のような厳しさを湛えたそのお姿と、日本の(世界の)未来を見据えて取り組まれている様々な企画が、そのどれもこれもが、やはりあの「ゴ〇カ〇村」の理事長であった時と同じ人間愛に満ちたものだと知った瞬間、このY氏の人間の大きさに撃たれ、このような方にお会いできたことを光栄に思った。ここにも自分の能力を超えていようがいまいが、目の前の人間を愛せずにはいられない、本当の意味で、ただひたすら幸せを願わずにはいられない、一人の人間が生きて自分と同じ地に存在していることに感動し、感謝せずにはいられなかった。

 ともに同じ方向を向いて、歩いている(その方は走っている)同志にお会いできたと感じて、もう一度私なりの覚悟を新たにしたのだった。正月明けに倒れて入院してから1か月、スタッフの方々にご無理をお願いしてきた。有難かった。でもいつまでも甘えて惰眠を貪っていてはならぬと言い聞かせ、週2日の賄い婦に復帰した。

 人々の幸せを願う仕事を背負って生きるリーダーには、自分を一歩後に置いて行動する覚悟を教えられた一日であった。

 Y.I.さん、貴重なお時間を私のために割いていただいて感謝でいっぱいです。有難うございました


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