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風の谷〜泰阜村  
    悠々の看取り

 癌のステージ4と宣告されてから1年経過している96歳のMさん。先週の金曜日の夜、突然の大量出血が止まらなくなり、近くの県立病院に連れて行った。かかりつけの医師からは血液検査、CTを家族等に示しながら、「今日、明日ということもあり得ます。最初のお話しのとおり、延命治療はしないということなので、痛みと苦しみをできる限りとってあげましょう。大変だと思いますが、頑張ってください」というお言葉をいただいた。その夜から麻薬の鎮痛剤服用が開始された。

 それから4日、見た目には普通のお婆ちゃんに見える。夜中には独歩でトイレに行き、皆と同じ普通食を食べ、3時と10時のお茶にも出てくる。余命宣告の翌日、親戚一同がやってきた。お昼も普通食をご一緒に召し上がられ、同席の家族はいつ逝くかわからないというのに、あまりにも普通に見えるのでびっくり仰天して帰られた。

 それから、Mさんの興奮状態が収まらない。「10人もいる兄弟がみんな来てくれた。こんな嬉しいことはない。みんな年を取っているので普段でもめったに会えない兄弟に会えて、話が出来て嬉しかった、生涯でこんな嬉しいことはなかった。それに皆さんが嫌な顔もせずに迎えてくれたので嬉しかった。このご恩は忘れない」と言う。それから誰彼をつかまえてはこの興奮状態が続き、スタッフは体力の消耗を心配した。

 今日で4日目、診療所の先生が東京に出かけて月、火と二日間この村は無医村になる。家族とその時に臨終を迎えたらどうするということになった。死亡診断書の事である。このままお亡くなりになったら、救急車には死人を乗せてくれないので、「ご遺体を抱えて県立病院にお連れするしかないか」と言うことになり、誰がご遺体をお運びするかで家族が、「家ではそれは無理なので病院に入れてください。」といわれる。それを聞いた理事長「食事も普通食を取っている。独歩で歩けてしゃべれる。自分でトイレでおむつ交換ができる。服薬は自分で普通にできる人を病院は入院させません。死亡診断書を頂くために入院はできないと思いますが・・・」

 家族は、苦い顔を見合わせている。「どうしてもご家族が、ご遺体を抱いて病院にお連れするのが出来ないと言われるなら、私が抱いてお運びいたします。死亡診断書を頂いたらご家族をお呼びいたします」と告げた。診療所の医師が居なくなる時、泰阜村で看取るということは、この覚悟が家族に求められるのであろう。お住いの下条村でも最近往診がなくなったそうである。

 

 台風一過、朝一番の空に二本の虹が「悠々」の天空に掛かった。

 その夜は澄み切った空に三日月がくっきりと浮かび上がっていた。悠々のなかでは、昼夜を問わず心配げな顔でケアを続けるスタッフの顔がある。今日は理事長の賄いの日である。この激務いつまでもつか・・・

風の谷〜泰阜村    
   錦秋の風の中を悠々にも新たな風の予感

 アルプスに囲まれた伊奈谷の棚田に稲架かけ米が並んで、見事な秋が無事にやってきた。異常気象の中で、貧しい村のお年寄りたちが今年の稲の収穫を本当に心配していた。この稲刈りが終わりホットする頃矢継ぎ早にやってくるのが、村民大運動会である(先週秋晴れの中終了した)。明後日は秋祭りである。しかし近年の高齢化で、この秋まつりにやってくるのが神社部の担当者と宿六さんという下働きをする当番にあたった部落の年寄りたちのみである。昔は村で生まれた子供や孫たちのお宮参りで賑やかだった。今は伝統文化を自分の代で絶やしてはならぬと、頑張っている年寄りたちがよろよろとやっている。

 一時の賑やかさは、近くに住む山村留学の都会の子供たちが、境内に撒かれるお菓子を目当てにわぁ〜とやってきて、さぁ〜と潮の引くように消えてしまうという寂しさである。子供の姿が見えないお祭りなんて、青年たちがワッセワッセとやる姿が見えないなんて祭りか!と問いたい。

 さて、それでも泰阜の伊那谷の秋の風情の美しさは何物にも代えがたい美しさがある。その中を吹き渡る風の芳しさはこれまた口に言えない。

 その中にあって、最近悠々にも新しい風が吹く気配を感じるようになった。毎日のように入居のお問い合わせを頂くようになったのである。問い合わせの条件がこれも皆一応に決まっていて、まず/涜欧鬚い蹐鵑覆海函壁袖い虜歸)で呼び出さない事、△金は定額の税込17万円から請求しない事、F居は特養の順番が決まるまでの期間 ということである。

 「つまりは、手間のかかる年寄りを捨てたいということか?」とじっと目を見ながら聞いてみた。すると大慌てで「いえいえそんな気持ちはかけらもありません。一生しっかりと面倒を見るつもりです。しかしこの人を施設に入れたら、私は女中のような仕事から解放されたい。この人が駄目になってしまったのでお金はやっと自分の自由になった。私も人生を楽しみたい・・・」と言われた。

 気持ちはわかる。そうだろうと思う。女は楽しむ暇もなく奴隷のように男の暴力的な言動に振り回されてきたものだ。

しかし、気持ちはわかるが、我が悠々のスタッフをその代理としてお引き受けすることはできない、とは理事長の堅い決意である。

 

毎日のようにお問い合わせ頂く方が、揃いも揃って「男性・認知症要介護3」80代後半〜90代の方の介護者からの悲鳴である。その上今小規模多機能を利用しているが、「もう看れないと言われた。特養の順番が回ってくるまでのショートで・・・」という事である。「どうして小規模多機能で認知症要介護3の方がお断りされるのでしょうか」と問うと、夜間の問題行動を管理するケア担当者を確保できない(人材的にも・経営的にも)ということである。

 悠々はでは、当直のボランティアさん(男性)を願いしている。ケア担当者ではないので、夜中に問題が起こったら即座にスタッフを呼び出す仕組みになっている。スタッフは悠々の近隣5分以内の在住者である。

 そして経営的には、この二人のボランティアさんの手当てを捻出するため、この10年間の理事長の報酬は無給である。

悠々にも新しい風が吹いてきた予感!しかし悠々は、お年寄りをゴミを捨てるように放り出される場ではない!近隣のお年寄りたちと家族のように暮らしている「地域のコミュニティーセンター+食堂+ケア付き民宿」である。したがって永住入居者の専用施設ではないので、あらためてご紹介を!

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々の決算と総会を前にして

 10月に入った泰阜村の里山の秋模様の美しさはひと際の輝きがある。秋日和の中で「何故かな〜」としばし立ち止まって考える。何時にもなく曼殊沙華の赤が田の畔に美しい。山際の村道には山栗の実が至る所に零れ落ちている。奥山では松茸が豊作らしい・・・(山持に聞くと、「いや、まだまだ家とこは見かけねぇな〜」と逃げられるが、私は里山の尾根沿いの村道でいくち茸の群生を発見、ビニール袋いっぱいの収穫を得て、昨夜は我が家の栗ご飯と茸ののっぺい汁を堪能した。

 何かがおかしい、過疎の村の山の恵みが何年に一度異常な恵みをもたらすことは耳にするが、別段観光地でもない過疎山村の山の幸の豊作に不安を感じる。今年の冬は大雪の予報も耳にし厳しそうだ・・・。

 さて、悠々では9月決算月を越して10月に入り、会計士さんに驚き顔で「去年よりいいね、何があったんだ」と言われたが、それには以下に上げる事業が村民の口コミで広まり利用者が増加したことで、10年近くを経て事業が実を結んできたことが要因の一つとしてあげられるかもしれない。

 その一つ〕々が「食堂」だったという事実が驚きをもって口コミで広がり、近隣のお年寄りが「突然友達が訪ねてきたのでランチをお願いしたいがいいかな」とか、「突然、孫を預けられてしまったので昼を悠々で貰えるかな」、「今日は朝づくりで疲れてしまったので、たまにはおじいさんと悠々で昼を貰いたいんだがいいかな」という嬉しい悲鳴である。その上これらのお年寄りたちが、「悠々ランチがこれまたえらく美味しい。これで500円とは安いもんだ」とあちこちで評判を巻き起こしているらしい。

 小さな収入だが1年溜まれば無視できない大きさである。それよりも何よりも、悠々の一つの事業がお年寄りたちに少しでも役にたっているのが嬉しい。

 二つ目は、入居利用者が増えたことである。近隣の村からも問い合わせが入り、介護保険の補完的事業がこれも口コミで広まっているらしい。まず永住入居者のお年寄りの例は、サービス付き高齢者住宅から逃げ出して助けを求められたご夫婦である。要介護度が軽いので特養には入居できないが、家庭の事情(同居の長男が中国に単身赴任中で、急坂な山の崖の上に立つ隠居所の老夫婦(90代)を、一人残された嫁独りでは介護が困難)でお引き受けすることになった。悠々に移ってきた一番大きな理由として、サービス付き高齢者住宅では、常駐の管理者が居ないこと、とくに夜誰もいなくなってから認知症の入居者が部屋に侵入し、その世話を要支援の入居者がしなければならないことに疲れ果て、悠々に逃げてきたそうである。

 入居後、「悠々は高いという評判であったが、電気代も水道代の公共料金も込み、掃除洗濯もやってもらえる、食事代も込み、その上調子が悪くなった時にはいつでも駆けつけてくれるスタッフがいる。病院に付き添って連れて行ってくれるのも込みで155,000(税抜き実費)は安すぎる」と口コミで、その実態がひたひたと広まってきている。

 三つめは、人生最後の時を、家族のような見守りを受けながら、自分のしたいようにゆっくりと生きていることができる事だという。朝方や午後の涼しい時に悠々の広い芝生の庭を、泰阜の景色を楽しみながらゆっくりと散歩する。悠々食堂にやってくるご近所さんたちから最近の話題を聞く。時々頂く珍しいお土産をお茶の時間に堪能する。季節の美味しいご飯を頂く。いつもいつも寄り添ってくれるスタッフがいて、幸せだという。

 四つ目は、がんの治療中の方を年齢に関係なく受け入れ、県立病院、市立病院への定期的な通院介助、医師との緊密な連携のもとにターミナルを看取っていることである。かかりつけ医からは携帯の電話番号も知らされている。「痛みと苦しみだけは取り除いてください。あとは悠々が引き受けます」とお願いしている。今はご夫婦で入居中である。ご家族の不安、大変さへの支援も大切にしている。

 五つ目は、ぢ拮貘射々「生活リハビリ教室」事業を開催し、無料で健康相談(理事のリハビリ専門医の診察も含む)をし、理学療法士による個々人に合った装具の相談や腰痛体操の指導等が加わる。この生活相談によって近隣のお年寄りは、この1年で見違えるように元気になった。参加費は悠々ランチの500円のみである。このランチが好評で参加希望者の問い合わせに悲鳴が上がる。

 スタッフは総出で低賃金で頑張っている。それなのに優しい!これに勝るものがどこかにあるのか・・・聞きたい。

 

風の谷〜泰阜村  
 ひたひたと新たな風が起こって・・・

 泰阜村の里山が色とりどりの秋の七草に彩られ(観光客はどこにも見あたらないが)、無事にこの気象変動を乗り越えた山間の棚田が黄金色の稲穂で埋まった。ススキの銀波の間をくねくねと走る野道を車で走りながら幸せで心が満たされる。世間でどのようなことが起こっても、季節は巡り今年も秋祭りが近づいた。

 悠々の人気者であったペットのパピオンちゃんの急性膵炎も危機的状況を脱出し、老犬の最後を年寄りたちとともによろよろと、残された余生を過ごせそうだ。

 この間の人出不足を、残された少ないスタッフが死に物狂いで乗り越えている間に、お一人の非常勤スタッフが健康を取り戻し戻ってきてくれそうだ。マムシにかまれて入院した山男も元気に当直をこなせるようになり、理事長の胃の痛みもほっと一息つけそうだ。 

 その上に思わぬところから人出不足の悠々に援助者が現れた。入居者の縁者にあたる方たちが走り回って、「悠々」を潰してはならぬと、足りないスタッフを探し回っていてくれたとは、知らなかった。

 その上地元入居者の家族のお一人が、「娘たちも、第二の故郷にしたいからお母さん泰阜に帰ろうよと言ってくれるので、定年になったら東京から帰ろうかな、悠々を手伝おうかな、パソコンしかやったことないけど、一応ヘルパーの資格も持っているんだけど、何かできることあるのかな〜」と言う。

 あ〜、天は見放さなかったのだ!あの日照りのようなスタッフ不足の苦しみはどこに行ったのか。辛抱してよかった。世の中やっぱり辛抱が肝心とはよく言ったものだ。

 9月は決算日。11月に迎える総会を前にして、「悠々」に新しい風の復活の予感を報告できそうで嬉しい。

風の谷〜泰阜村
    理事長の後継ぎ現る?

 近年、台風の被害が甚大になった。昔から地震・雷・家事・親父と恐れらていたことが耳に残っているが、最近の地震の壊滅的な事、台風被害の目を覆うばかりの甚大な被害、それがいつ起こっても不思議はない地に住んでいるのだと改めて思い知ることが、すぐ近くに迫っていることを皆口にするようになった。戦争は人の手によるものである。だから人が食い止めねばならぬものではないか?と思う。しかしこの自然の脅威はもっと恐れるべきではないのか?世界の中でも小さな国の中に入るこの日本が・・・そして平和で豊かな国日本が、一瞬で壊滅的な被害を受けることから人はどのように備えればよいのかを思う。

 秋風が吹き、ススキの穂が揺れ、山百合が道端の崖に真っ白な花を一斉に咲かせ、萩、女郎花が山里を彩る時が来た。悠々の庭にもコスモスの花が咲き乱れ、赤とんぼの群れが真っ青な空いっぱいに群れ飛ぶ最も美しい時を迎えた。

 そして嬉しいニュースが一つもたらされた。

 泰阜村のこの小さな村の宝物である泰阜中学校2年生が、毎年村の各種職場で職場体験をする恒例の「キャリアデー(3日間)」がある。我が悠々にも、朝9時から午後4時半までの時間スタッフとともにお年寄りたちのお世話をするのだが、この時を悠々のお年寄りがどれほど待ち望んでいるかをその目で見て、スタッフは驚異の顔を見合わせる。

 慣れぬ手で髭剃りをしてもらう時のあのおじいちゃまのトロリンとした顔、お茶の時間に重度認知症のおばあちゃまたち(複数いるので)の争うように語る(2分と持たない)昔ばなし(自慢が多い)を、飽きることなく不思議なものを見るような顔をして聞いてくれる子供たちを、どれほど喜びをもって愛おしいと感じるしぐさを見せるか・・・、私たちスタッフが到底真似できない技である。

 その子供たちの一人が「僕は悠々に就職したい」と言って、高校の福祉コースに進んだと聞いていたが、この度N福祉大学に入学したと村の職員から伺って仰天した。この悠々が子供たちの心をつかんだのだ。この理事長、キャリアデーの最後には必ず「在宅福祉の村泰阜に帰ってきてね。もし気に入ったら理事長として迎えるから、この悠々に帰ってきてね!」

 かなわぬ願いと知りながら、そう繰り返して送り出したことを思い出した。

3K職場と揶揄される福祉現場に、あの子たちが帰ってきたとき、福祉の仕事が誇りをもって迎えられるように精進しなければと心したことであった。あと何年待つのか・・・大学4年、それまでちゃんとした給料で迎えられるようにと祈るような思いである。

 もう一つ、大学時代の教え子が「年老いた両親を連れて泰阜村に移住しようかな」「悠々でやりがいのある福祉の仕事に就きたいな」という。やりがいのある仕事・・・ともに暮らす家族のようなお年寄りの笑顔に包まれて働きたいとその方々は言う。

これ以上嬉しい報いがこの世にあるのだろうか。たとえ無給でも私がやってきたことは有り余るほどの報いを受けている。

 返すに「感謝!」以外にはないが・・・

  


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