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風の谷〜泰阜村   
 立春〜悠々の新しい入居者たち

 立春 まるで昨日までの雪の日々が嘘のように、今朝のこの暖かさは何だろう。雪の下からもう黄緑の小さな芽が枯れ葉の下から覗いている。もう春が来たのだと実感する。悠々もこのところ「春が来るまで」とショートステイのお年寄りを二人お迎えしていたが、今日はまた新たな永住入居のお年寄りをお迎えすることになった。

 ずっと独居で頑張ってきたお年寄りが、インフルエンザになり気を失っていたところをご近所さんに発見され、緊急入院したあとの療養をと頼まれてお引き受けした。悠々では近年一人もインフルエンザに罹ったお年寄りが居ない。きめ細やかな栄養管理と、往診をお願いしているかかりつけ医との連携で、皆揃って元気であることが一つの自慢である。

 優秀なケアスタッフの退職という難問を抱えたままであるが、取り合えず春からは4人の永住入居のお年寄りの面倒を基本的には私が看ると腹を据えて・・・(目が据わっているかも)いる。

 10年前開所当時は凄まじい状態(介護スタッフ0人に対し、ショートステイや、療養入居数人を、賄いも含めて理事長一人で乗り切る)でオープンしたものであったが、その時のことを思うと、まず私自身がすべての作業に慣れている。賄いのお兄さんがとりあえず一人いる(しかし、週2日は休日)ので、随分助かることになる。追加で週1の悠々91坪の施設内清掃を空き時間?(おそらく私の休憩時間)に実施!・・・やれるだろうか、やらねばなるまい。大切なお年寄りたちが、「こんな幸せでいいのだろうか、私は生まれてきて初めてこんな幸せを頂いた!」と私の目をじっと見て言うお年寄りを抱えて、やらねばなるまい。

 ご縁で4人の家族を抱えて嫁が(ちょっと年寄りだけど・・・)やらねばなるまいと思った立春の日でした。

以上、近況報告。(3月末までは最高のスタッフが健在です)

風の谷〜泰阜村   
    新しい入居者

 松飾りが取れた新年の玄関から、悠々にとっては久しぶりの男性入居者が現れた。お優しい妹たち二人にお世話をされ、脳梗塞の後遺症で軽い右片麻痺のお体をゆっくりと運ばれ、暖かな悠々の東のお部屋に入られた。妹たちにすべての荷物の片づけを任せ、ゆったりと指示を出している姿を拝見しながら、「はぁ、大変なお殿様をお引き受けしてしまったな〜」と感じた。その晩の夕食の席で、長い間の独居生活を問わず語りに話されたところによると、「若かかったころは東京や大阪、名古屋で、酒と女と博打三昧だった・・・etc.」その結果30年以上も糖尿病を患っているのだという。

 さて、今のところ悠々は、スタッフも含めて女ばかりである。しかも入居の婆様たちは90代(母親世代)、スタッフも70代(兄弟・姉妹世代)、60代、40代(子供世代)と、見知った家族構成であった。

 それもあるのか、ご性格なのか、お茶の時間、お食事の時間、まるでずっと前からお仲間だったようにおしゃべりに溶け込んでいる。若かったころの放蕩三昧のお話がでてくると、「ホンにおまさんはバカ息子だったなぁ。」と94歳の隣席の婆様に叱られると、「本当だな」と反省する。そのやりとりを見て、みんな笑顔になる。昨夕の食事の席で94歳の婆様が、手付かずのエビフライ2匹をそとすすめながら、「おまえさんが良ければ、手を付けておらんでこれも食え」と皿をそっとすすめられると私たちスタッフの顔を見ながら「よかったらどうぞ」と言われ、「エビフライは大好きなんだ」といってぺろりと食べたが・・・。問題はそれから起こった。「ばあさん、部屋にいっぱいあるパンをやるから食うかね」と言い出して、スタッフをギョギョギョとさせた。

「え〜!お部屋にパンがしまってあるのですか?それをお食事の合間に食べているの?」「・・・・・、家ではいつもパンを食べていたので持ってきた。クロワッサンの美味しいやつ」「ちょっと待ってくださいね。この悠々では、三度のお食事と10時と3時のおやつ以外はだれも食べ物を口には入れないことになっているの。その理由は、どの食材をどのくらい食べたかをチェックして、健康管理に気を付けています。だからお部屋で自分勝手にお食事の追加をすることは、原則的に禁じられています。いいでしょうか?その持参してきたパンは、こちらに出してくださいね。パンが欲しかったら、ご飯をやめてパンにしましょうか?」

「いいや、ここのご飯はおいしいからごはんでいい」となって一件落着となった。

 彼は30年以上も糖尿病を患い、インシュリン自己注を10年間も続けているという。

 脳梗塞を患ったのもこの好き勝手な食生活にあるのかもしれない。これから食事管理を彼に納得してもらいながら気を付けなければ・・・とあらたな課題を背負った次第であった。

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々の御年取り

 今年の大晦日の恒例の御年取り行事は、年寄り達が「ここでみんなと一緒が良い」と言って、家族の元には帰らないことになった。ぽっかりと空いた12月31日大晦日の賄いと宿直+元日の賄いシフト。元旦の賄いは、夫(医師)と共に新しくセンター長となった本田が、御年取りと元旦祭をご一緒することになった。「どうせ二人でやるはずだったのだから、悠々のお年寄りとご一緒でにぎやかでいいね」ということになって、奇妙な家族が下伊那伝統の御年取りと新年の行事を(インターネットで調査・・・)共にすることになった。

 12月28日には高齢の元理事さんご夫婦(組合員)が、例年通り悠々の玄関と各部屋入口にしめ縄とおやすを飾り付けてくれたので万全である。30日にはインターネットで調べた「下伊那の年取り料理」コピーを片手に、買い出しであった。

 主な献立は「節米(新米)」、「年取り魚(鰤)」、「黒豆」、「田作り」、「数の子」、「しぐれ煮(貝ひも・人参・椎茸・蓮根・昆布・生姜・こんにゃくの煮物)」、「おなます(大根と人参の酢漬け)」、「汁(豆腐・里芋・大根・牛蒡・人参・こんにゃく・糸昆布)の7品を醤油で煮込んだもの」、「昆布巻き・タコ・カリンの砂糖漬け・栗きんとん・鯉の煮物」である。

 正式にはこの移住40年間でこのような正月料理を用意するのも初めて、夫と二人、悠々のお年寄りを囲んでご一緒に大晦日の夜と新年を迎えるのも初めてである。

 ホンに泰阜村の爺婆になったんだな〜と実感である。御縁で集められてご一緒にこの年越しを迎えられるのはちょっとドキドキする。大晦日の当直のお泊り一式と元旦の余所行きをバッグに詰め込んで、さぁ〜頑張るぞ‼

 

風の谷〜泰阜村
悠々・新体制発足   激震走る!   

 凍り付いたような真っ暗な冬の夜空に「スバル星、オリオン座が美しいよ」と毎週金曜の夜中に帰省する夫が感嘆する。本格的な冬を迎えて雪かき用スコップと暖仕様の長靴、雪に濡れない手袋を新調した。

 去る11月24日の総会で「理事長は、この10年間の赤字経営の責任をどうとるか」と組合員に経営手腕の反省を責まられ、その通りと感じいり、自らの経営能力の無力さの責任を取って引責辞任した。その後12月11日には、我が悠々に2年余り家族同然に暮らしていた大切な翁の最後を看取り、寂しくなった。その寂しさの余韻に浸る間もなく、ひとりの優秀なスタッフが辞職願を出した。

 9年間もこの赤字経営の余波を喰って、保育士の国家資格を持ち乳児保育のベテランとしての勤務経験をもちながら、ヘルパー資格を取ってご存知、巷の半分という安給料で勤め上げた方であった。その人柄の優しさは、この悠々にとって何物にも代えがたい宝であった。ケアスタッフ常勤2人と言う悠々において、片腕を捥がれた感がある。

 ケアする者もプロとしての誇りがある。私がいつも何事かトラブルが起きるたびに、利用者に言うことがある。「大変申し訳ないが、悠々のスタッフはあなたの下男下女ではありませんので、ご自分でできることは頑張ってやってみましょうか?出来ないことはすぐにお助けしますので、さあやってみましょう」といってご本人の自律を促すケアのすすめは、結局はスタッフたちの優しいケアを支えているのだという元理事長の信念があった。

 その保証が無くなるかもしれない。いやできるはずがないというのだった。お金のために、自分をそこまで陥れられない・・・。

これまでの悠々の優しく人間的で、家庭的なケアは、実はこの管理者の「真の人間の尊厳に寄り添うケアとは、管理者がスタッフの人間としての尊厳を大切にするということなのではないか」との信念に支えられるものであった。悠々を訪れるものは誰でも、このしっかりと守られた入居者とスタッフの和気あいあいとした和やかな雰囲気に感動するのであろう。

 さて、そんなことが起こって、新体制の理事たちの真の福祉の実現への挑戦が問われている。ご期待あれ!

元理事長は相変わらず週2回の賄い、すべての会計総務事務が降りかかってきた。そして入居者のケアもやるしかないか!要介護4のM.A.さん、至らぬ私のケアでよいのかのう?

 

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々の翁の看取り

 南信州に雪の便りが聞かれるようになって、村道にはふかふかの落ち葉が敷き詰められ里山の雑木林は奥まで木漏れ日が差し込み明るい光が届くようになった。しかし一方で最近の異常気象による寒暖の差で体調を崩しお亡くなりになるお年寄りが増えた。

 悠々でも要介護5の92歳の翁が昨日逝かれた。脳卒中の後遺症に苦しみ寝たきりで重度の嚥下障害を抱えながら9か月もの時を生き切った。JAの組合長も務められ、村長選を闘い、村会議長を務め村ではその名を知らぬものがないほどの功労者であった。病院で「あなたのご趣味は?」と聞かれ、「政治かな・・・」としか答えられぬほどの生涯であった。

 入浴時ゆったりと湯につかりながら、零れ落ちる昔話はケアスタッフを感心させた。こんな愛すべき人柄を身近な家族は知らないのかもしれない。このM翁はケアスタッフにとても愛されそのやり取りは聞いていて思わずこちらも笑顔になるほどの魅力があった。食事を拒否するようになってから1週間、水分摂取を嫌がるようになって4日ほど、肺炎と脱水症が進み、予測される最後が主治医の東京出張時に重なるということで、水分補給の点滴をお願いした。先生のお帰りまで最後の息を引き取る瞬間をできるだけもたせたい、中国にいる長男の帰国に間に合わせたいとの理由からであった。

 その点滴が切れ、その日の夜中には主治医が駆け付けるという日に、大きな息を一つして、それが最後の息となった。穏やかなお顔は威厳に包まれ、偉大な一つの魂がこの村から消えた。この時代の変化は、こうして偉大な志をもった重鎮が一人、二人と消えていくことで泰阜村のあの「人を思いやる優しさ」が消えていくのだと感じる。大きな声で自己主張をする若い人が力を握り、貧しく力なき弱い者が守られてきたこの村の宝は、人間力であったかと思い知らされることであった。 


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