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風の谷〜泰阜村  
 ひたひたと新たな風が起こって・・・

 泰阜村の里山が色とりどりの秋の七草に彩られ(観光客はどこにも見あたらないが)、無事にこの気象変動を乗り越えた山間の棚田が黄金色の稲穂で埋まった。ススキの銀波の間をくねくねと走る野道を車で走りながら幸せで心が満たされる。世間でどのようなことが起こっても、季節は巡り今年も秋祭りが近づいた。

 悠々の人気者であったペットのパピオンちゃんの急性膵炎も危機的状況を脱出し、老犬の最後を年寄りたちとともによろよろと、残された余生を過ごせそうだ。

 この間の人出不足を、残された少ないスタッフが死に物狂いで乗り越えている間に、お一人の非常勤スタッフが健康を取り戻し戻ってきてくれそうだ。マムシにかまれて入院した山男も元気に当直をこなせるようになり、理事長の胃の痛みもほっと一息つけそうだ。 

 その上に思わぬところから人出不足の悠々に援助者が現れた。入居者の縁者にあたる方たちが走り回って、「悠々」を潰してはならぬと、足りないスタッフを探し回っていてくれたとは、知らなかった。

 その上地元入居者の家族のお一人が、「娘たちも、第二の故郷にしたいからお母さん泰阜に帰ろうよと言ってくれるので、定年になったら東京から帰ろうかな、悠々を手伝おうかな、パソコンしかやったことないけど、一応ヘルパーの資格も持っているんだけど、何かできることあるのかな〜」と言う。

 あ〜、天は見放さなかったのだ!あの日照りのようなスタッフ不足の苦しみはどこに行ったのか。辛抱してよかった。世の中やっぱり辛抱が肝心とはよく言ったものだ。

 9月は決算日。11月に迎える総会を前にして、「悠々」に新しい風の復活の予感を報告できそうで嬉しい。

風の谷〜泰阜村
    理事長の後継ぎ現る?

 近年、台風の被害が甚大になった。昔から地震・雷・家事・親父と恐れらていたことが耳に残っているが、最近の地震の壊滅的な事、台風被害の目を覆うばかりの甚大な被害、それがいつ起こっても不思議はない地に住んでいるのだと改めて思い知ることが、すぐ近くに迫っていることを皆口にするようになった。戦争は人の手によるものである。だから人が食い止めねばならぬものではないか?と思う。しかしこの自然の脅威はもっと恐れるべきではないのか?世界の中でも小さな国の中に入るこの日本が・・・そして平和で豊かな国日本が、一瞬で壊滅的な被害を受けることから人はどのように備えればよいのかを思う。

 秋風が吹き、ススキの穂が揺れ、山百合が道端の崖に真っ白な花を一斉に咲かせ、萩、女郎花が山里を彩る時が来た。悠々の庭にもコスモスの花が咲き乱れ、赤とんぼの群れが真っ青な空いっぱいに群れ飛ぶ最も美しい時を迎えた。

 そして嬉しいニュースが一つもたらされた。

 泰阜村のこの小さな村の宝物である泰阜中学校2年生が、毎年村の各種職場で職場体験をする恒例の「キャリアデー(3日間)」がある。我が悠々にも、朝9時から午後4時半までの時間スタッフとともにお年寄りたちのお世話をするのだが、この時を悠々のお年寄りがどれほど待ち望んでいるかをその目で見て、スタッフは驚異の顔を見合わせる。

 慣れぬ手で髭剃りをしてもらう時のあのおじいちゃまのトロリンとした顔、お茶の時間に重度認知症のおばあちゃまたち(複数いるので)の争うように語る(2分と持たない)昔ばなし(自慢が多い)を、飽きることなく不思議なものを見るような顔をして聞いてくれる子供たちを、どれほど喜びをもって愛おしいと感じるしぐさを見せるか・・・、私たちスタッフが到底真似できない技である。

 その子供たちの一人が「僕は悠々に就職したい」と言って、高校の福祉コースに進んだと聞いていたが、この度N福祉大学に入学したと村の職員から伺って仰天した。この悠々が子供たちの心をつかんだのだ。この理事長、キャリアデーの最後には必ず「在宅福祉の村泰阜に帰ってきてね。もし気に入ったら理事長として迎えるから、この悠々に帰ってきてね!」

 かなわぬ願いと知りながら、そう繰り返して送り出したことを思い出した。

3K職場と揶揄される福祉現場に、あの子たちが帰ってきたとき、福祉の仕事が誇りをもって迎えられるように精進しなければと心したことであった。あと何年待つのか・・・大学4年、それまでちゃんとした給料で迎えられるようにと祈るような思いである。

 もう一つ、大学時代の教え子が「年老いた両親を連れて泰阜村に移住しようかな」「悠々でやりがいのある福祉の仕事に就きたいな」という。やりがいのある仕事・・・ともに暮らす家族のようなお年寄りの笑顔に包まれて働きたいとその方々は言う。

これ以上嬉しい報いがこの世にあるのだろうか。たとえ無給でも私がやってきたことは有り余るほどの報いを受けている。

 返すに「感謝!」以外にはないが・・・

  

風の谷〜泰阜村    
ひたひたと奇跡が起こって・・・

 昨日,とうとう泰阜村にも豪雨が到来した!バケツをひっくり返したような大雨に,年寄りたちは食堂に身を寄せ合って,互いの声も聞こえないぐらいの雨音に怯えた.「昔この裏の沢が決壊して,この辺は水浸しになったんだよ.この上の裏山は家のもんだが,崩れやせんだか・・・」と心配する.丁度お茶の時間だった。10時半,停電が起こり薄暗くなったテーブルの上に,早速スタッフがありったけのランタンを点けて置いた。「山小屋のようだね.キャンプしているようじゃん」と年寄りたちの不安を少しでも消そうと走り回る.  

 おりしも昼食の支度の真っ最中.「ご飯は炊けている?どんな具合?」ひょっと台所を覗くと、賄いスタッフがすし桶に炊きあがったご飯を団扇で扇いでいる.「あ〜今日はお寿司なのね.よかった.なんとタイミングがよいこと.あとは卓上コンロで何とか間に合いそうかな?」「いいっすよ.卓上コンロで間に合います.」薄暗くなった厨房から料理長の落ち着いた声が答える.

 浴室からは「お湯が出ません!Mさんが丁度上がったところでよかったです.つぎのSさん,停電でお湯が出なくなったで今日は風呂のお湯を被っておしまいにするかね」と言っているところで、電気が点いた.「よかったね〜.さあ今のうちに入ろう,入ろう」

 常に準備をしているとはいえ,風呂のリフターが停電で使えないとは思いつかなかった.浴槽のお湯を汲むにしてもバケツで汲み上げるしかないか・・・う〜ん,この暑い夏,週に2回ぐらい汗を流してあげたい・・・.理事長の知恵の絞り具合がまた試される。

 

 この暑さの中で,スタッフが次々と倒れ,とうとう広大な芝の庭や裏のボタという急坂な法面に雑草が生い茂り,盆だというのに誰も手入れする人が居なくなって,「悠々はいよいよ潰れるらしい・・・」との巷の噂が耳に入った。何を言うか,雑草ぐらい私が・・・とはいかないほど広大で1500坪あるので,理事長の鎌一本では間に合わなかった。素人が空いた時間で刈っても刈っても、後ろを見るとあっと言う間に元通りに生え揃っているのをみて、泰阜の男手の凄さを思い知ったことであった。

 ところが、ところが、これが泰阜村の凄さで、脳梗塞を患ってご不自由な体を抱えたひとりの70代の男性(Kさん)がひょこっと事務所に現れ、「悠々の草を刈らしてくれ」という.「この炎天下に草刈り等ご無理をなされたら,熱中症になったら困ります.お気持ちだけは嬉しく有難く頂きますが,あなたにだけはやらせたくない.心配でたまらないのです.」

 「大丈夫だから,家でもやっているのだから大丈夫.あの急坂なボタは、ガードレールに綱を引掛けて体に縛ってやるから大丈夫.それに、こんな私でも残された人生,何か人様の役に立つことをやりたいんです.やらせてもらえんかな」

 しばしこの言葉に心が揺れた.障害を持った人々が社会から疎外され苦しむのを、MSWのころに共に苦しんだことが心によみがえった.「じゃあ,くれぐれもお気をつけてやってください.こんな嬉しいことはありません。悠々にとって誰も出来なかった事でした。有難うございます。助かります。ただし日中の暑い炎天下での作業はやめてください。もちろん雨のすべりやすい時はやめてくださいね.もしも事故が起きてお怪我をされたら、理事長の私が警察に曳かれていくことになりますからね。」

 「大丈夫です。必ず守ります!」と言われた。「悠々の草刈りは私と仲間もおりますから、任せてください」

 でも、翌日から彼はやってきた.ほんの2,3時間でアッとゆう間にきれいに刈り上げられた庭を見て、涙がこぼれそうになった.

でも、夢中になった彼は、やっぱり雨の中をずぶぬれになりながら止めなかった.飛んで行って「雨の中は危ないので止めてください!」と叫んだが,「わかりました」というが,気のすむところまで続けておられた。

 スタッフたちが苦い顔をして「もしもの事が起こったらどうするんです!」という.「もしもの事が起こったら、私が責任を負います.あの方のご家族は私を訴えるような方たちではないし,お怪我は傷害保険でできるだけのことをしましょう」

 この世から役立たずという烙印を押されて、独り不自由な体を抱えて生きていくほど苦しいことはないと、私は知っている。

そのお一人お一人に何か一つでもお役に立てたのだったら嬉しいと思う.

突如現れたボランティアである.これを天恵と言わずして何と言おう.

風の谷〜泰阜村
 やっぱり奇跡は起こるのですね   

 泰阜村の朝夕の涼しさはもう初秋の気配がする。山百合の盛りがすぎ秋の七草(萩、ススキ、桔梗、撫子、女郎花・・・)がもう咲き始め、その可憐な立ち姿にふと立ち止りたくなる。森の中からかしましいほど響き渡る小鳥たちの声に目覚め、朝支度に起き上がる。泰阜の民にとってあまりにも当たり前の季節の風情だが、都会からこの村を訪れる方々にとって、どうも驚異らしい。

 先日、泰阜村婚活事業でカップルにたどり着いた方々の再来村の機会があり、「ケア付き民宿・悠々」にその4組の方々をお迎えする機会を頂いた。遠路はるばる神奈川から来たという方々は、田舎の夏祭りの後の喧騒から逃れるように、シーンと静まり返った「悠々」に落ち着かれて、理事長の手作り巻きずしやおにぎり、撥ねきゅうりの浅漬けや、農家の畑で完熟した冷たいトマト、りんごジュース等々・・・(お夜食と言われていたので・・・)を口にしながら、悠々の広々としたリビングダイニングに、実家に帰ったようだと寛がれた。

 順番に入られた浴室の湯船の大きさにまたまた驚かれ、「家ではこんなことできないね。足を延ばしてたっぷりの湯に肩まで浸かって、本当にのんびりできました」という。

 3組のシングルマザーの方とお一人の若者だったが、皆とてもよい方々達で、(涎が出そうなほど来ていただきたい方々達)つい、「悠々でもヘルパーさん・賄いさん・事務員さんを募集しています。家賃5千円から村営住宅あります」等々勧誘してしまった。

「ここは、私たち普通の人でも泊まれるんですか?」当然のように質問されたので、「はい空き室はすべて民宿登録してありますので誰でも泊まれます」とお伝えした。皆びっくり仰天して「エェッ、その上ケアもついているんですか?」という。「はい、八ヶ岳から甲斐犬と92歳の御ばあちゃまを連れたご一行が泊まられましたよ」と伝えると、「家のおばあちゃんもここに入れるのでしょうか」と続いた。神奈川では同居家族がいると介護保険のショートステイ等も利用出来ない事情があると言われる。「それぞれのお宅の一切の事情に関係なく、空き室があればだれでもご利用可能です。そのような施設が各地に出来ればいいなと、この悠々をモデルとして作ったのです」と宣伝してしまった。本当は、泰阜の住民の方々に利用してもらいたかったのだが・・・。全国展開してしまいそうだ。

 お風呂から上がった方々に、リビングのマッサージ機をおすすめした。「あぁ〜、眠ってしまいそう」という。「いびきもご遠慮なくどうぞ」笑顔がはじけた。

 その横で4歳のちびちゃんが浴衣を着て泣きわめき、大騒ぎをして困り果てているママに、「この暑さできっとあせもがかゆいのかもしれない」と浴衣を脱がせ遠くから扇風機を当てながら「お熱があるかもしれないから、お熱を計ってみましょうか」と声をかけると「うん」と小さな声で言う「36度3分、お熱がないから大丈夫だったね〜。のどが渇いたでしょ、りんごジュース持ってこようか?」「うん」お部屋にりんごジュースと手巻き寿司をお皿にのせて覗くと・・・床の上でコトンと寝てしまっていた。ホォーと吐息をついたママと顔を見合わせ、「さあ、この間にママはお風呂に入って汗を流していらっしゃい」・・・

 これって実家に帰ったら、おばあちゃんがやってくれることかもしれない。

「悠々」にある、子育てママたちへの特別ケアサービスである。

  

風の谷〜泰阜村    
悠々の危機を誰が救うか!

 TVに映し出される大雨被害の悲惨な人々、猛暑で搬送される熱中症の人々、火蟻上陸と日本列島が荒れ狂う自然の脅威の最中にあって、泰阜の山里はひっそりと初秋の気配を漂わせている。穏やかに何もないかのようにいつもの盆支度に汗をかいている。

 朝晩の涼しさに戸を立てて薄掛けをかけ、森に響き渡る小鳥たちの声で目覚める。

しかし悠々は設立10年という節目を迎えて、中の住民たちは明日をも知れぬ身体状況になり介護が重くなった。ぎりぎりのスタッフで支えて来たが、そのスタッフたちも年を取り、独り二人と歯が抜けていくように病に倒れていく。捜しても捜してもこの村には働く余力の残っている人はいないことが分かった。

 ふと、悠々のモデルでもあったスウェーデンの「高齢者協同組合」のことが頭をよぎる。かの地も人口67人という超過疎地であった。その地の年寄りを遠く離れた知る人もいない施設で逝かせることに忍びなく、若い二人の女性が立ち上がって「高齢者協同組合」を造ったのであった。しかしそこもかの地に広がりを見せることはなく、10年を経た後閉鎖されたとの事であった。

 スウェーデンの消費税は25%である。福祉の充実は世界のモデルとなった。しかしだからこそなのか、人々は老後は国が見るのが当たり前という思想で、ボランティアで年寄りの最後を幸せにというのは普及しなかったのであった。

 ましてこの泰阜村では、乏しい予算の大半を公共事業(大規模ながけ崩れは日常茶飯事)が占め、それを補うために高齢化率37%の高齢住民の労役が村の道路と水を守っている。わずかな若者(60代も含む)は残らず皆働いている。

 悠々を始めた時、組合員の主力メンバーは50代60代だった。10年を経て主力メンバーは70代となり、ましてや肝心の入居希望者が本格的に増えてきたとき、それを支える肝心な理事とスタッフが年老いて病に倒れ、悠々の利用者となり始めてきた。

 悠々スタッフの一日の構成人員は5人、事務総務接客を兼ねる理事長+早番スタッフ1名+遅番スタッフ1名+賄い1名+夜勤の当直1名のみである。このスタッフを週休2日で休ませる交代要員(非常勤)が倒れて、理事長がそれを補うことになった。無理がたたって体が悲鳴を上げ病院通いが深刻になってきた。

 ヘルプコールに答えてくれたのは東京の組合員さんたちであった。6時間かけて深夜に到着したその方々は、疲弊困憊し、「遠いよ!助けたくても遠すぎるよ。それに私たちの周りにいる仲間たちはみな孫の塾の送迎に毎日駆り出されて、悠々のボランティアをちょこっとなんて出来ないよ!」と悲鳴が上がった。「そうだね。本当にその通りだったね。済まなかったね。でも娘たちごと村に移住して子供たちを一緒に育てるというのはできない事なのかしら・・・・」と理事長は食い下がる。

 「そうね。この朝晩の涼しさ。この大自然の癒しに包まれる安らぎは、何物にも代えがたいわね。娘と相談してみるね・・・」さてどうなるか。

 東京からの移住ボランティアを待って頑張れるか。それにしてもその方々も70代であったが・・・。

悠々の理事長が倒れたら「悠々」は無くなるかもしれない。だれもこの悠々の大胆な「横出しサービスを担う人」の代わりが居ないことを知っている。介護保険サービスがどれほど穴だらけなのか、高齢化率の激しい過疎山村の人々は知っている。

 入居者の親族の方々が死に物狂いでスタッフを探し始めていてくれるらしい。有難くて涙がこぼれる。有難くて・・・・

悠々を救い出して、さすが日本人!と世界の人々に言わせてみたい!

 それまで、がんばれ理事長!

風の谷〜泰阜村    
  天からの慈雨のごとく

 先日、何故か胸騒ぎがして大学時代の恩師にお電話をおかけした。お声に力がなく何が起こったのかと問うと、「長年連れ添った妻を失い独りで暮らしている。自分で苦労して立ち上げた精神の授産所からも辞任を通告され、仲間を失い生きていく目的を失った。ヘルパーさんが来るけど・・・」これを聞きながら、福島在住のその方が東日本の大震災に被災され、その後始末も手つかずにいることも知り(蔵書が部屋中に散らばり積み重なっているらしい)、お見舞いに行かねばと心した。

 時期を同じくして大学時代の我が秘蔵子ゼミ生からも電話を受け「会いたい」と言う。この子も(もう30代半ばだが)東日本大震災被災者である。共に大学時代の恩師を見舞いに行くことになった。私は朝4時半起きでの福島行である。

 その突然の思い付きが元学生たちの間にラインでまわり、何故か元老教員二人を慰労する会に発展した。福島の老舗温泉旅館に連れて行ってくれるという。据え膳盛飯とはこうゆうことを言うのか、子供たちに囲まれて「温泉」に入るってこんなに心も体も休まるのかと、思い出してもこんなに幸せな事を経験したことがなかった。

 老恩師と私(共に後期高齢者)は、いつの間にか立派に育った(福祉分野ではそれぞれの場で中堅管理職に就いていた)子らにケアされ、「本当に幸せだね〜、生きていてよかったね〜」と言い合った。

 その夜は、女子部屋で2次会となった。飲むこと飲むこと、へェ〜あの時の心細そうな子供たちがイッチョ前のおばさん、おじさんになってしまって、それぞれの福祉現場で悪戦苦闘している状況の打開策について検討会+共感となっていた。脇でそのディスカッションを聞きながら、ますます福祉現場から人間の良心が失われていく現実と悪戦苦闘している子供たちをみて、このように育った次世代の子等に出会えたことを心から天恵と感じた。山の奥深くで孤軍奮闘していると思っていたが、この子らが日本中に散らばって戦っているのだと知った。

 「先生のブログ見てますよ!」と口々に言う。「卒業して10年経って、よく考えてみると大学時代に先生が言っていたこと、やって見せてくれたことを、自分もやってるじゃんと気が付いたの。先生これって先生がいつもやっていたことですよね。」うんうんと頷きながら涙がこぼれそうになった。

 実習巡回に行くと、泣きながら「もうこんなの人間のやることじゃありません。虐待です。それを実習指導担当者からやれと命令されたり脅されたりするんです。私はもう福祉は向いていないと思います」と言われたことを思い出した。介護保険の経済的締め付け10年前よりももっと厳しくなったこの時期に、この子らが雄々しくも優しい心を失わずに、日々の実践の中で「基本的人権」のために、心と知恵を尽くして戦っているのを見た。

 天からの慈雨を浴びていると感じていた。

私も、置かれた場所で死ぬまで、力を尽くして「基本的人権」のために闘おうともう一度心に誓った。

 

 毎年縦ゼミ会(教え子1年から4年生まで約600人?)を持ち回りで開くことに決まったらしい。来年は日光だとか・・・

 元気でいなくちゃ!理事長!

 

 有難う!有難う!嬉しいよ!こんな嬉しいこと教師冥利に尽きると言うそうだ。本当に有難う、みんな元気で頑張れ!

 

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々8年半の活動報告     

 先日国土交通省にお邪魔し、10年前に頂いた補助金「まちづくり交付金」第1号の活動報告をさせていただいた。特別養護老人ホームとの違い、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅との違い等具体例を示しながらお話した。ほんの一部の金持ちを除く大部分が、生活保護以下の年金生活を送っている過疎山村の住民実態調査(高齢化率39%、高齢者の村民税非課税率82%)からは、「悠々方式」こそが住民にとって「安心して住み慣れた地で暮らし続ける」ための方法として有効であると思うと伝えた。「悠々」の指定管理者として残すところ1年余りとなり、やがては高齢化率が4割に迫ろうとする日本社会にあって、年寄りたちがどのように老いていくのが幸せなのかを、様々な具体例を通してお伝えした。

 2007年の悉皆訪問調査および2014年の高齢者追跡訪問調査からは、3世代同居の高齢者が必ずしも幸せとは限らない⇒子供世代は皆働いているので、日中独居がほとんどであること。このため高齢になると家族による行動制限があり、ベッドでTV+お昼はペットボトルのお茶とおにぎりorコンビニ弁当が多いこと。∀敬徂慇ぢ咾埜亀い任い觧か、独居でも車の運転が可能で、年を取っても人生のライフスタイルが継続できる事が幸せの条件であることなどが明らかになったことをお伝えした。以下悠々のサービスの特徴をあげ、これこそが今後日本の貧しい中山間地域のお年寄りの、真のニーズに応えるものになるのではないかと示したものである。その第一は、基本的な事業は永住入居(施設)ではなく、介護認定関係なしに誰でも泊まれる「ケア付き民宿1泊5千円」である。(ex:八ヶ岳山麓から90代の御婆ちゃんと国の天然記念物である甲斐犬同伴で2泊3日⇒ペットトレーナー修行中の青年による犬のお散歩付き/1日2回/時給千円)(ex:癌の末期と入院中に宣告され、「悠々で死にたい」と言って介護タクシーで病院から直行した60代の男性が、悠々のリハビリ専門医の指導や栄養管理、のんびりした普通の生活の中で活力を取り戻し、3か月後に電車に乗って自宅復帰、独りで入浴可となった)等上げればきりがない。現在は癌の治療中の後期高齢者が、抗がん剤治療の合間の自宅療養を「悠々民宿」で乗り切ろうとしている。最近は特に在院日数の短縮化で自宅に返されるが、自宅にはおろおろした老伴侶が待っているばかりor単身独居である。悠々では、役員のリハ専門医ならびに看護師によりる医療的管理と、能力にあったリハビリ指導が受けられ、悠々食堂の手作りの栄養に配慮された食事が供されることにより、体力の維持強化が図られることが難病に効果があるのではないかと評判である。また、悠々には様々な地域住民に向けた催事や悠々食堂を利用するご近所さんの出入りが日常的にあり、地域に開かれているところが「普通の暮らし」を醸し出しているのではと思われる。

 ただし、難点はこの横出しサービス(急な発病による通院介助等)には補助金が付かず、深刻な人出不足が永遠の課題である。

国交省の方には、研修生をお一人出して頂けないかと厚いお願いをして辞去した。もちろん最後に泰阜村が多額の補助金でサポートし続けていただけること、大自然の懐に包まれてある癒しの力が「悠々」の癒しの本体であることを付け加えることを忘れなかった。

 指定管理者残すところ1年と少し、ご苦労を掛けた役員も年老いてきた。みな最後は悠々でと口々に言う。

人は「理事長の変わりはいないでしょ。死ぬまでやるんだよ。」と口々に言われるが、このところ体のあちこちにガタが来て、病院通いが多くなった。さてどうするか・・・理事長!

 

風の谷〜泰阜村
山里の梅雨景色

 昨今の気候変動の中で、山里のお年寄りたちの頭の中は、いつものように梅雨には雨がしとしと降り、夏が来たらカァ〜と暑いお日様が照ってくれるのだろうかとの不安でいっぱいである。昨日梅雨入り宣言をニュースで知り、「あ〜やっと今年も梅雨に入ったか」と誰ともなしに安堵のつぶやきを口にする。昨日から降り続いた雨に、田畑が森が、しっとりと緑色を濃くして大きく息をしている気配がする。花の村泰阜は、道端沿いにキバナコスモスが一斉に顔を並べ、垣根越しにはに花菖蒲の色鮮やかな紫が見える。緑の森の中では、ヤマボウシが白色の清楚な花をひっそりと散らばせ、ヤマユリたちが一斉にピンク色の蕾を膨らませた。「栴檀は双葉より芳し」と歌に詠まれた栴檀の小さな紫色の花に包まれたことがあるだろうか。

 泰阜の山里が四季折々の花で包まれる花の里であることを、住民はあまりにも当たり前でたいして感動もしないが、都会育ちのものにとってここは秘境そのものである。

 昨日は、知り合いの方から「梅畑の梅を取りにおいで」とお声をかけていただき、我がスタッフが収穫前の立派な小梅を捥ぎにいった。20kgも採ってきて、双袋の重そうな米袋を食堂のテーブルに広げ早速、入居者のお年寄り、スタッフ、デイサロンのお年寄りたちが、「この小梅を塩漬けにしようか」、「砂糖づけにしてカリカリと食べたいね」、「大梅が取れたら梅肉エキスを作ろうか」、「いやいやあれは、土鍋で何日もかけてとろとろとつきっきりで炊かんといかんから、大変だぞ〜」「あれはどこの家でもかならず作っとったで〜」「昔は腹が減っとったで、子供らは皆青梅をちぎってポケットに入れておやつに食べとったもんだ」と喧々諤々のおしゃべりに花が咲いていた。

 

 

 この村の昔の暮らしがいかに貧しかったか、それをどのように搔い潜って生きてきたかを垣間見た瞬間であった。

そのおしゃべりを大切に心に留めながら、この村の人々たちは、この大自然の寶物さえあれば、どんな災害が起こっても生き残ることができると密やかに確信した。

風の谷〜泰阜村    
   お手玉の効果!

昨日、愛知県の刈谷市から素敵なお年寄り軍団の視察・見学を得た。お土産に、手作りの小豆や稗や何かわからない豆類の入ったお手玉と、雑巾を頂いた。83歳、86歳、90歳等妙齢のお年寄りたちがやってきた。運転手は90歳の一昔前の青年のようなエネリギッシュな方が3人のお仲間を乗せて来たのだという。「ボランティアで自分たちで身を寄せ合う場を作ったんだ」、「こっちでは肩がぶつかっても口もきかん」とおっしゃて、関わりの薄さを嘆いておられた。

 「過疎山村のこの村では、肩がぶつかるほど近くには人がおらんでね〜。我が家のお隣は一山ぐるりと回った反対側の山中に住んでいるし・・・。でも人恋しくて、たまに出会うと、みんな笑顔で挨拶や立ち話をちょこっとするよ」と紹介する。

 町の喧騒の中に取り残されるお年寄りたちはさみしくてたまらないのだろうか。これをどうにかしたいと、自分たちで「寄合場を造ったのだ」という。世に言うデイサロンの事であろうか、昔は宅老所というのがあったが。「食事代は400円、ヘルパーを頼むので人件費にとられて、私はあんたと同じ無給です」とやっぱり赤字を嘆いていた。

 そこでやっていることがすごい!東日本の震災の時から始めた雑巾つくりと、お手玉つくり。施設をやっていると、やっているものにしかわからないが、本当に欲しいものの筆頭にぼろ雑巾が上がるのだが、それを今も作って被災地に送り続けているという。それがデイサロンの仕事なのだ!すごいと思う。年を取り身を寄せ合って集まった人々が、世の片隅で何か他の人々の役に立つことをしよう!という発想をコツコツと実行し続けているというのだ。その世話人は、83歳であった。後期高齢者の真っただ中にいらっしゃる。

悠々でもまだ手先の動く方には雑巾を作っていただいているし。豆の種だしもするし、夏ミカンの皮むきもしているが、世のため、人のためにする余裕がないところが違うと思わされた。

 そしてお手玉!92歳のあの俯きがちの寡婦が、頂いたお手玉に夢中になった。「こんなのが出来んくなった。あ〜残念!これも、あれも出来たはずなのに・・・」と夢中になって老女3人と若年50代〜70代の我がスタッフも挑戦する。昔取った杵柄が、心を活性化して、久しぶりに悠々に笑い声が弾けた。感謝です!

 帰りに「こんな悠々に私は絶対にお世話になりたい。また来ます。」と言って帰られたが、泰阜に来ていただけたら嬉しいが、このような方たちは、その刈谷の町にこそ必要なのに!と思う。刈谷市の行政の皆様、この宝物を早く発見してください!どこかの施設に持ち去られてしまいますよ! 

 

風の谷〜泰阜村     
    〜浅黄色の森の中で〜

 泰阜村が浅黄色の美しい衣を纏って、ひっそりと佇む季節が来た。一年で最も美しい季節。「泰阜村のどこがいいのか」と例外なく視察者に尋ねられる。その質問を受けていつも私の脳裏に浮かぶのが、この全山浅黄色を纏った里山の風景である。命の迸りをはじけさせて、農作業に勤しむ村の年寄り達を包む。今一つわが村の知る人ぞ知る県立公園万古渓谷には、あふれるほどの水流を迸らせる渓谷沿いの燃え上がる新緑の光のシャワーを浴びて一日をゆっくり過ごす隠れ場所がある。多くの訪問客は感動のあまり言葉を失う。迸る水の音を耳に、愛らしい小鳥たちの姿を目で追い、そのさえずりに耳を傾けながら眠りに落ちる。森の発するフィトンチップの甘い空気を吸って、心も体も癒され大都会の喧騒の中に戻っていく。

 視察に訪れる訪問客をご案内すると、自分たちが何に疲れているのかがわかると言う。都会の人工音が吐き出す騒音と振動、排気ガス、夜中までまぶしく光る看板とイルミネーション・・・。それらが人間から生きるエネルギーを知らず知らずのうちに奪っていることを知ると言う。

 人は大自然のいのちの中で、いのちに支えられて・・・頑張らなくても生きていけるのであろう。

夜には満天の星が降り、満月にはその明かりで懐中電灯無しで歩けると知っていますか?幾重にも重なる山々の果ての遠いアルプスの稜線に落ちる夕日が天空全体を真っ赤に染め、小さな山村とそこに住む人々をも朱色に染めて一服の名画と化すのを知っていますか。

 桜が散り山吹の黄色が消えて、今は紫色の藤の花が里山のあちこちを彩っている。もうすぐ森の木漏れ日のなかに笹百合のやさしい群生が見ごろだ。

 悠々の庭も芝刈りを終えて、花壇には春の花が植え込まれ、小さな畑に春野菜の苗が植えられる。

悲しみを乗り超えて、独りの寡婦が少し元気になったか・・・。日々の小さな出来事に笑顔を見せるようになった。

 その笑顔を見て、スタッフ一同そっと安堵の息を吐く。今日は恒例の悠々の「生活リハビリ教室」でたくさんのお客様が来る。さあ〜、おいしいご馳走を造るぞ!がんばれ理事長!

 

 


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