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風の谷〜泰阜村    
  天からの慈雨のごとく

 先日、何故か胸騒ぎがして大学時代の恩師にお電話をおかけした。お声に力がなく何が起こったのかと問うと、「長年連れ添った妻を失い独りで暮らしている。自分で苦労して立ち上げた精神の授産所からも辞任を通告され、仲間を失い生きていく目的を失った。ヘルパーさんが来るけど・・・」これを聞きながら、福島在住のその方が東日本の大震災に被災され、その後始末も手つかずにいることも知り(蔵書が部屋中に散らばり積み重なっているらしい)、お見舞いに行かねばと心した。

 時期を同じくして大学時代の我が秘蔵子ゼミ生からも電話を受け「会いたい」と言う。この子も(もう30代半ばだが)東日本大震災被災者である。共に大学時代の恩師を見舞いに行くことになった。私は朝4時半起きでの福島行である。

 その突然の思い付きが元学生たちの間にラインでまわり、何故か元老教員二人を慰労する会に発展した。福島の老舗温泉旅館に連れて行ってくれるという。据え膳盛飯とはこうゆうことを言うのか、子供たちに囲まれて「温泉」に入るってこんなに心も体も休まるのかと、思い出してもこんなに幸せな事を経験したことがなかった。

 老恩師と私(共に後期高齢者)は、いつの間にか立派に育った(福祉分野ではそれぞれの場で中堅管理職に就いていた)子らにケアされ、「本当に幸せだね〜、生きていてよかったね〜」と言い合った。

 その夜は、女子部屋で2次会となった。飲むこと飲むこと、へェ〜あの時の心細そうな子供たちがイッチョ前のおばさん、おじさんになってしまって、それぞれの福祉現場で悪戦苦闘している状況の打開策について検討会+共感となっていた。脇でそのディスカッションを聞きながら、ますます福祉現場から人間の良心が失われていく現実と悪戦苦闘している子供たちをみて、このように育った次世代の子等に出会えたことを心から天恵と感じた。山の奥深くで孤軍奮闘していると思っていたが、この子らが日本中に散らばって戦っているのだと知った。

 「先生のブログ見てますよ!」と口々に言う。「卒業して10年経って、よく考えてみると大学時代に先生が言っていたこと、やって見せてくれたことを、自分もやってるじゃんと気が付いたの。先生これって先生がいつもやっていたことですよね。」うんうんと頷きながら涙がこぼれそうになった。

 実習巡回に行くと、泣きながら「もうこんなの人間のやることじゃありません。虐待です。それを実習指導担当者からやれと命令されたり脅されたりするんです。私はもう福祉は向いていないと思います」と言われたことを思い出した。介護保険の経済的締め付け10年前よりももっと厳しくなったこの時期に、この子らが雄々しくも優しい心を失わずに、日々の実践の中で「基本的人権」のために、心と知恵を尽くして戦っているのを見た。

 天からの慈雨を浴びていると感じていた。

私も、置かれた場所で死ぬまで、力を尽くして「基本的人権」のために闘おうともう一度心に誓った。

 

 毎年縦ゼミ会(教え子1年から4年生まで約600人?)を持ち回りで開くことに決まったらしい。来年は日光だとか・・・

 元気でいなくちゃ!理事長!

 

 有難う!有難う!嬉しいよ!こんな嬉しいこと教師冥利に尽きると言うそうだ。本当に有難う、みんな元気で頑張れ!

 

 

風の谷〜泰阜村   
   悠々8年半の活動報告     

 先日国土交通省にお邪魔し、10年前に頂いた補助金「まちづくり交付金」第1号の活動報告をさせていただいた。特別養護老人ホームとの違い、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅との違い等具体例を示しながらお話した。ほんの一部の金持ちを除く大部分が、生活保護以下の年金生活を送っている過疎山村の住民実態調査(高齢化率39%、高齢者の村民税非課税率82%)からは、「悠々方式」こそが住民にとって「安心して住み慣れた地で暮らし続ける」ための方法として有効であると思うと伝えた。「悠々」の指定管理者として残すところ1年余りとなり、やがては高齢化率が4割に迫ろうとする日本社会にあって、年寄りたちがどのように老いていくのが幸せなのかを、様々な具体例を通してお伝えした。

 2007年の悉皆訪問調査および2014年の高齢者追跡訪問調査からは、3世代同居の高齢者が必ずしも幸せとは限らない⇒子供世代は皆働いているので、日中独居がほとんどであること。このため高齢になると家族による行動制限があり、ベッドでTV+お昼はペットボトルのお茶とおにぎりorコンビニ弁当が多いこと。∀敬徂慇ぢ咾埜亀い任い觧か、独居でも車の運転が可能で、年を取っても人生のライフスタイルが継続できる事が幸せの条件であることなどが明らかになったことをお伝えした。以下悠々のサービスの特徴をあげ、これこそが今後日本の貧しい中山間地域のお年寄りの、真のニーズに応えるものになるのではないかと示したものである。その第一は、基本的な事業は永住入居(施設)ではなく、介護認定関係なしに誰でも泊まれる「ケア付き民宿1泊5千円」である。(ex:八ヶ岳山麓から90代の御婆ちゃんと国の天然記念物である甲斐犬同伴で2泊3日⇒ペットトレーナー修行中の青年による犬のお散歩付き/1日2回/時給千円)(ex:癌の末期と入院中に宣告され、「悠々で死にたい」と言って介護タクシーで病院から直行した60代の男性が、悠々のリハビリ専門医の指導や栄養管理、のんびりした普通の生活の中で活力を取り戻し、3か月後に電車に乗って自宅復帰、独りで入浴可となった)等上げればきりがない。現在は癌の治療中の後期高齢者が、抗がん剤治療の合間の自宅療養を「悠々民宿」で乗り切ろうとしている。最近は特に在院日数の短縮化で自宅に返されるが、自宅にはおろおろした老伴侶が待っているばかりor単身独居である。悠々では、役員のリハ専門医ならびに看護師によりる医療的管理と、能力にあったリハビリ指導が受けられ、悠々食堂の手作りの栄養に配慮された食事が供されることにより、体力の維持強化が図られることが難病に効果があるのではないかと評判である。また、悠々には様々な地域住民に向けた催事や悠々食堂を利用するご近所さんの出入りが日常的にあり、地域に開かれているところが「普通の暮らし」を醸し出しているのではと思われる。

 ただし、難点はこの横出しサービス(急な発病による通院介助等)には補助金が付かず、深刻な人出不足が永遠の課題である。

国交省の方には、研修生をお一人出して頂けないかと厚いお願いをして辞去した。もちろん最後に泰阜村が多額の補助金でサポートし続けていただけること、大自然の懐に包まれてある癒しの力が「悠々」の癒しの本体であることを付け加えることを忘れなかった。

 指定管理者残すところ1年と少し、ご苦労を掛けた役員も年老いてきた。みな最後は悠々でと口々に言う。

人は「理事長の変わりはいないでしょ。死ぬまでやるんだよ。」と口々に言われるが、このところ体のあちこちにガタが来て、病院通いが多くなった。さてどうするか・・・理事長!

 

風の谷〜泰阜村
山里の梅雨景色

 昨今の気候変動の中で、山里のお年寄りたちの頭の中は、いつものように梅雨には雨がしとしと降り、夏が来たらカァ〜と暑いお日様が照ってくれるのだろうかとの不安でいっぱいである。昨日梅雨入り宣言をニュースで知り、「あ〜やっと今年も梅雨に入ったか」と誰ともなしに安堵のつぶやきを口にする。昨日から降り続いた雨に、田畑が森が、しっとりと緑色を濃くして大きく息をしている気配がする。花の村泰阜は、道端沿いにキバナコスモスが一斉に顔を並べ、垣根越しにはに花菖蒲の色鮮やかな紫が見える。緑の森の中では、ヤマボウシが白色の清楚な花をひっそりと散らばせ、ヤマユリたちが一斉にピンク色の蕾を膨らませた。「栴檀は双葉より芳し」と歌に詠まれた栴檀の小さな紫色の花に包まれたことがあるだろうか。

 泰阜の山里が四季折々の花で包まれる花の里であることを、住民はあまりにも当たり前でたいして感動もしないが、都会育ちのものにとってここは秘境そのものである。

 昨日は、知り合いの方から「梅畑の梅を取りにおいで」とお声をかけていただき、我がスタッフが収穫前の立派な小梅を捥ぎにいった。20kgも採ってきて、双袋の重そうな米袋を食堂のテーブルに広げ早速、入居者のお年寄り、スタッフ、デイサロンのお年寄りたちが、「この小梅を塩漬けにしようか」、「砂糖づけにしてカリカリと食べたいね」、「大梅が取れたら梅肉エキスを作ろうか」、「いやいやあれは、土鍋で何日もかけてとろとろとつきっきりで炊かんといかんから、大変だぞ〜」「あれはどこの家でもかならず作っとったで〜」「昔は腹が減っとったで、子供らは皆青梅をちぎってポケットに入れておやつに食べとったもんだ」と喧々諤々のおしゃべりに花が咲いていた。

 

 

 この村の昔の暮らしがいかに貧しかったか、それをどのように搔い潜って生きてきたかを垣間見た瞬間であった。

そのおしゃべりを大切に心に留めながら、この村の人々たちは、この大自然の寶物さえあれば、どんな災害が起こっても生き残ることができると密やかに確信した。

風の谷〜泰阜村    
   お手玉の効果!

昨日、愛知県の刈谷市から素敵なお年寄り軍団の視察・見学を得た。お土産に、手作りの小豆や稗や何かわからない豆類の入ったお手玉と、雑巾を頂いた。83歳、86歳、90歳等妙齢のお年寄りたちがやってきた。運転手は90歳の一昔前の青年のようなエネリギッシュな方が3人のお仲間を乗せて来たのだという。「ボランティアで自分たちで身を寄せ合う場を作ったんだ」、「こっちでは肩がぶつかっても口もきかん」とおっしゃて、関わりの薄さを嘆いておられた。

 「過疎山村のこの村では、肩がぶつかるほど近くには人がおらんでね〜。我が家のお隣は一山ぐるりと回った反対側の山中に住んでいるし・・・。でも人恋しくて、たまに出会うと、みんな笑顔で挨拶や立ち話をちょこっとするよ」と紹介する。

 町の喧騒の中に取り残されるお年寄りたちはさみしくてたまらないのだろうか。これをどうにかしたいと、自分たちで「寄合場を造ったのだ」という。世に言うデイサロンの事であろうか、昔は宅老所というのがあったが。「食事代は400円、ヘルパーを頼むので人件費にとられて、私はあんたと同じ無給です」とやっぱり赤字を嘆いていた。

 そこでやっていることがすごい!東日本の震災の時から始めた雑巾つくりと、お手玉つくり。施設をやっていると、やっているものにしかわからないが、本当に欲しいものの筆頭にぼろ雑巾が上がるのだが、それを今も作って被災地に送り続けているという。それがデイサロンの仕事なのだ!すごいと思う。年を取り身を寄せ合って集まった人々が、世の片隅で何か他の人々の役に立つことをしよう!という発想をコツコツと実行し続けているというのだ。その世話人は、83歳であった。後期高齢者の真っただ中にいらっしゃる。

悠々でもまだ手先の動く方には雑巾を作っていただいているし。豆の種だしもするし、夏ミカンの皮むきもしているが、世のため、人のためにする余裕がないところが違うと思わされた。

 そしてお手玉!92歳のあの俯きがちの寡婦が、頂いたお手玉に夢中になった。「こんなのが出来んくなった。あ〜残念!これも、あれも出来たはずなのに・・・」と夢中になって老女3人と若年50代〜70代の我がスタッフも挑戦する。昔取った杵柄が、心を活性化して、久しぶりに悠々に笑い声が弾けた。感謝です!

 帰りに「こんな悠々に私は絶対にお世話になりたい。また来ます。」と言って帰られたが、泰阜に来ていただけたら嬉しいが、このような方たちは、その刈谷の町にこそ必要なのに!と思う。刈谷市の行政の皆様、この宝物を早く発見してください!どこかの施設に持ち去られてしまいますよ! 

 

風の谷〜泰阜村     
    〜浅黄色の森の中で〜

 泰阜村が浅黄色の美しい衣を纏って、ひっそりと佇む季節が来た。一年で最も美しい季節。「泰阜村のどこがいいのか」と例外なく視察者に尋ねられる。その質問を受けていつも私の脳裏に浮かぶのが、この全山浅黄色を纏った里山の風景である。命の迸りをはじけさせて、農作業に勤しむ村の年寄り達を包む。今一つわが村の知る人ぞ知る県立公園万古渓谷には、あふれるほどの水流を迸らせる渓谷沿いの燃え上がる新緑の光のシャワーを浴びて一日をゆっくり過ごす隠れ場所がある。多くの訪問客は感動のあまり言葉を失う。迸る水の音を耳に、愛らしい小鳥たちの姿を目で追い、そのさえずりに耳を傾けながら眠りに落ちる。森の発するフィトンチップの甘い空気を吸って、心も体も癒され大都会の喧騒の中に戻っていく。

 視察に訪れる訪問客をご案内すると、自分たちが何に疲れているのかがわかると言う。都会の人工音が吐き出す騒音と振動、排気ガス、夜中までまぶしく光る看板とイルミネーション・・・。それらが人間から生きるエネルギーを知らず知らずのうちに奪っていることを知ると言う。

 人は大自然のいのちの中で、いのちに支えられて・・・頑張らなくても生きていけるのであろう。

夜には満天の星が降り、満月にはその明かりで懐中電灯無しで歩けると知っていますか?幾重にも重なる山々の果ての遠いアルプスの稜線に落ちる夕日が天空全体を真っ赤に染め、小さな山村とそこに住む人々をも朱色に染めて一服の名画と化すのを知っていますか。

 桜が散り山吹の黄色が消えて、今は紫色の藤の花が里山のあちこちを彩っている。もうすぐ森の木漏れ日のなかに笹百合のやさしい群生が見ごろだ。

 悠々の庭も芝刈りを終えて、花壇には春の花が植え込まれ、小さな畑に春野菜の苗が植えられる。

悲しみを乗り超えて、独りの寡婦が少し元気になったか・・・。日々の小さな出来事に笑顔を見せるようになった。

 その笑顔を見て、スタッフ一同そっと安堵の息を吐く。今日は恒例の悠々の「生活リハビリ教室」でたくさんのお客様が来る。さあ〜、おいしいご馳走を造るぞ!がんばれ理事長!

 

 

風の谷〜泰阜村   
   田本神社・春の大祭

  泰阜村に春の花々が咲き乱れ、晴れ上がった空に小鳥の囀りが響きわたる集落の真ん中にある田本神社で、今年も春の大祭が執り行われた。我が部落に祭りの宿六の大役が回ってきて、早朝から男も女も祭りの準備に駆り出された。この神社は本殿2棟、棟札2枚、神寶類16点、石造物10点が村指定有形文化財に指定されているものだ。神社の真向かいには大峰山の山城が聳え立ち、水張の始まった棚田を見守っているのが伺える。地元のもう年よりしかいなくなった集落だが、春と秋の例大祭には、今年生まれた孫たちのお宮参りが行われ、村人たちに披露されわが村の宝物のように祝福されるものだ。今年はその孫たちのお宮参りが一人もなく、寂しさが募った。祭りの後の直会(なおらい)の席の話題は、自然に「次の秋の祭りにはどこの嫁さんの腹の中の子が見られるかの〜」とのお年寄りからの切実な声が聞かれた。若い命の誕生は、我が集落にとって何物にも代えがたい寶なのだと思い知った祭りであった。

 その宝物が成長して小学生になった女の子は、祭りのメインイベントである「浦安の舞」の巫女さんに選ばれ、そのあどけない舞が奉納される。地域の人々はこの祭りを通して、小さな小さな集落の命の繋がりが、地元の神々に見守られていることを体験する。その祭りを通して、地域の絆を肌で感じるのかもしれない。

風の谷〜泰阜村    
    春の野に出でて来し方を想う

 92歳M翁をお送りした日はひどい雨の中だった。帰りの車内で、喪服の妻が「涙雨だよ」とつぶやく。「自分勝手にさっさと逝ってしまって・・・。私は長く生きすぎた。こんなに馬鹿になってしまって」と繰り返す。付き添いの私たちには返す言葉もない。

 悠々にたどり着くとお茶になった。入居者のお年寄りたちも他人ごとではないかのように、私たち一行の一挙手一投足を目で追っている。お一人の神経の細やかなお年寄りは、その夜半血圧が198/116に急上昇、少しバタバタ騒ぎとなった。

 それからの数日間、夜になると「誰もいなくなって、寂しい・・・」と当直のおじ様たちを悩ませるようになった。日中は出会うたびごとに目が私に訴える無言の言葉を受け止めるようにハグをする。この寂しさを慰める言葉もなく、ただ黙って受け止めるしかない。あの日から妻は食事を少ししか摂らなくなった。ご飯と汁以外には副菜に手を伸ばさなくなった。そして心配する私の顔を見上げながら、「胸が痛い」と訴える。ステージ4と宣告されたガンは、もうすでに鎮痛麻薬の服用を勧められているほどだった。体もこのようなのに、その上に重なるこの精神的な打撃には、何が効くのであろうか。

 昨晩からの春の嵐で、真っ盛りであった桜の花は、吹雪となって山里を染めた。そのあとに待ち構えたような浅黄色の新芽が顔をのぞかせている。この山里にも春の盛りはもうそこまで来ているというのに、悠々にはまだはじけるようなあの春が先送りになっているようだ。もうしばらくは、皆ともにこの哀しみの中にひっそりと暮らそうと思う。

 

風の谷〜泰阜村     
   春爛漫の夕に 翁逝く

 山裾が桜の花の薄紅色に染められた泰阜村の最も美しい夕べ、誤嚥で苦しまれたM翁が旅立たれた。覚悟はしていたものの、本人もその覚悟をなさっていると聞いてはいたけれど、この胸の苦しさは何なんだろうか。ご遺体をご家族に引き取られてしまうと、私たちには、それまで家族のように暮らしていた記憶だけが残る。そして寂しさに誰もが言葉を失う。この家の屋根の下でともに暮らしていたお仲間たちも、俯いて先に旅立たれたM翁を想う。

 入浴介助の時のおしゃべり、心不全で胸水が溜まった胸が苦しいと言われると、ベッドのギャッジアップの角度をあれこれ工夫し、クッションをあちこちに当てたよね(あんまり役に立っていたかどうかはわからないが・・・)。軟下剤を服用していても、誤嚥のために充分に食事の量が取れなくて、お雑炊と副食を少しに悠々の頂き物のおやつ+自前の栄養プリンやユンケル皇帝液等々では足りない摂取量に、日に何度も「便が出ないのが苦しい」と訴えられ、腹を温めたりマッサージしたり、摘便したり・・・やっと「出たー」と喜んでいても水様便だった。私たちはいっぱい昔語りを聞いたっけ、ともに驚き共感しその数々のご苦労に頭を下げていた。

 お姿が一瞬で目の前から消えてしまわれるのは、苦しいものだ。寂しくて、ただ共に暮らした日々の思い出だけが、繰り返し繰り返し胸に湧き上がってくるのをじっと耐えるだけである。

 最後の日々を家族のように暮らした施設職員も、このように喪に苦しんでいることを、世間にはあまり知られていないような気がする。

 今日は庭に出て、ニョキニョキと一面に生え出た草取りをしよう。何も考えずに・・・

風の谷〜泰阜村    
   春の野に雪が降って

 春の彼岸がすんで、泰阜にも春らしい気配がそこかしこでするようになり、心がほんわりとほぐれてきたというのに、早朝の薄明りの中で雪が降っている。それもしっかりと積もり始めている。ゲゲゲ、あの我が家の庭の片隅に出たばかりのカタクリの葉っぱはどうなるのだ、春蘭のつぼみは、沈丁花の蕾は、道端を飛んで舞っていた雉の夫婦の子づくりは大丈夫か、当たり前の降雪なのだが、春を待っている山奥の住民たちの期待が、やっぱりね季節はそんなに甘くはないのだという理を思い起こす。

 一昨日悠々でお一人のお年寄りが入院した。心不全で胸水がたまっていた。もう長くはないよと医者に言われ、本人も覚悟をし、誤嚥で苦しみながらも、目の前に並ぶ山菜チラシに思わず手を伸ばし、お好み焼きにも手を伸ばし(う〜ん、好きなものには誤嚥しないのだ!)刻み食と一緒に並んだみなと同じおかずに手を伸ばして、美味しいと笑顔が綻んでいた。

 入所した時より2キロも体重が増えて、深く抉れていた頬も気のせいかふっくらとして、それまで自宅で一人で悪戦苦闘していた重度認知症の妻の介護をスタッフに任せ、ゆっくりとそれを見ているのは幸せだと言っていた。

 92歳、ここまでよく頑張ったよね。戦場に行ったよと言葉少なに語ってくれたっけ。この時代のお年寄りは、あの戦時中の苦しみを潜ってきたのだ。最後ぐらい、人生の最後ぐらい、ゆっくりと人の手を借りて生きていてもいいのではないか?と私は思う。

 これまでの数えきれないほどの人生の様々な苦しみが癒されますようにと、わが悠々スタッフの優しいケアに感謝!!

サ高住が倒産していくこの時代に、長野県の最低賃金に少し毛が生えたぐらいの給料では、働き手が病に倒れると、人手が足りなくて、お年寄りが死ぬか、スタッフが倒れるかと気が気ではないが、介護保険に縛られるのを嫌って、悠々では採算度外視の横出しサービスを無償提供している。そしてこれが楽しいのだ。スタッフはお年寄りの笑顔を報酬にしている気配がする。確かに悠々で働くことの楽しさに誰も辞めない。しかし病に倒れるのが悔しい。

 先日村長とお話をする機会があったが、「施設管理者契約が満了する次の役割は、医療・スタッフ教育を任せたい。悠々の横に、村で研修所を造るので、全国から若者を集めて研修させてくれんか」とおっしゃった。う〜ん、80に手が届くというのに、この村の村長さんは、私をまだ働かせる気だね!(実は塩尻に住む娘と、東京の渋谷に住む息子の嫁さん両方に、このおばあちゃん「緊急育児」を頼むといわれているのだ。病気の子は、保育園でも幼稚園でも預からないのはご存じでしょうか、安倍総理。おじいちゃん、おばあちゃんが居ない都会の若者は、仕事を休むしかないのです。幼児はよく病気それも感染症にかかります。そうして免疫力をつけて大きくなっていくのだから・・・フウ〜)

 ふと目を上げると、書斎のガラス窓の向こうに黒文字の黄色の小さな花が雪の中で咲いているのが見える。山の中にいるのだと気づかされる。 

 

風の谷〜泰阜村    
 春の息吹に雪が舞って

春3月に入り、温かな日差しに誘われるように、悠々の住民たちがテニスコートほどもある庭へ散歩に出るようになった。「庭のあちこちに餅草があったよ、水仙の芽が出ていたよ」と告げながら「草餅が食べたいよ」とつぶやく。早速悠々では餅草は入らなかったがお餅をついた。あんころ餅、きな粉餅口に頬張り笑顔がはじける!3月3日にはちらし寿司のご馳走が出て、みんな健啖ぶりを見せてスタッフを安心させている。入居者総勢7名、皆それぞれに重度要介護が必要だ。

 その中でもうお一人のスタッフが病魔に倒れ入院手術となった。当分病との闘いが見込まれる中で、その働く仲間の回復を待つ間、スタッフ欠員のまま頑張ることになった。あと1年、健康になってこの職場に戻ってくるまで頑張りたいと思う。悠々スタッフは強い絆で結ばれている。まあ働く若い人が余っているわけでもないこの村では、仕方のないことではあるが、それよりもなによりも、その仲間の居場所を残したまま待っていたいというのが悠々スタッフの気持ちである。

 そこでフリーターの理事長が賄に入ることになった。山ほどの料理本を買い込んで、珍しいものを、入居者のお年寄りがびっくりする顔見たさに手を変え品を変え頑張ってみるのだが、年寄りたちが喜ぶのは昔なじみのちらし寿司、おはぎ、あんころ餅、カボチャの煮転がし、季節の天ぷら、きつねうどん・・・なのだ。そして泰阜村育ちのお仲間にお教えを乞うという次第になりつつある。

 76歳、一人で大人数の料理と格闘中である。そして今年は限界集落の班長になった。村役の指揮をとれるか・・・無理である。限界集落には強者の男衆が居て、ウロウロしながら走り回る76歳女子に、あれこれ文句をつけるのを笑いながら楽しんでいる気配がする。

フゥ〜、私の手帳はだんだん予定で真っ黒になり始めた。そういえば老人クラブも村役の一つであった。「私はまだまだ現役です」との言葉はもう通用しなくなった。先輩たちが高齢で運転できなくなったり、障害を負ったり、病魔に倒れたり、亡くなったりで、取りあえず運転する人ならだれでもいいと、言い逃れはできなくなった。老人クラブの役員を担う人が居なくなったのだ。老人クラブと銘打ったボランティアの主な作業は、真夏の県道沿い(何キロも続く)の花植え、草取り、水やりである。自分の家の庭の草取りも寝込むほど疲れるのに、この体力でできるのだろうかと思う。厳しい1年が始まる予感。それも6年に1回づつ回ってくのだった。フゥ〜・・・


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