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風の谷〜泰阜村    
 春の息吹に雪が舞って

春3月に入り、温かな日差しに誘われるように、悠々の住民たちがテニスコートほどもある庭へ散歩に出るようになった。「庭のあちこちに餅草があったよ、水仙の芽が出ていたよ」と告げながら「草餅が食べたいよ」とつぶやく。早速悠々では餅草は入らなかったがお餅をついた。あんころ餅、きな粉餅口に頬張り笑顔がはじける!3月3日にはちらし寿司のご馳走が出て、みんな健啖ぶりを見せてスタッフを安心させている。入居者総勢7名、皆それぞれに重度要介護が必要だ。

 その中でもうお一人のスタッフが病魔に倒れ入院手術となった。当分病との闘いが見込まれる中で、その働く仲間の回復を待つ間、スタッフ欠員のまま頑張ることになった。あと1年、健康になってこの職場に戻ってくるまで頑張りたいと思う。悠々スタッフは強い絆で結ばれている。まあ働く若い人が余っているわけでもないこの村では、仕方のないことではあるが、それよりもなによりも、その仲間の居場所を残したまま待っていたいというのが悠々スタッフの気持ちである。

 そこでフリーターの理事長が賄に入ることになった。山ほどの料理本を買い込んで、珍しいものを、入居者のお年寄りがびっくりする顔見たさに手を変え品を変え頑張ってみるのだが、年寄りたちが喜ぶのは昔なじみのちらし寿司、おはぎ、あんころ餅、カボチャの煮転がし、季節の天ぷら、きつねうどん・・・なのだ。そして泰阜村育ちのお仲間にお教えを乞うという次第になりつつある。

 76歳、一人で大人数の料理と格闘中である。そして今年は限界集落の班長になった。村役の指揮をとれるか・・・無理である。限界集落には強者の男衆が居て、ウロウロしながら走り回る76歳女子に、あれこれ文句をつけるのを笑いながら楽しんでいる気配がする。

フゥ〜、私の手帳はだんだん予定で真っ黒になり始めた。そういえば老人クラブも村役の一つであった。「私はまだまだ現役です」との言葉はもう通用しなくなった。先輩たちが高齢で運転できなくなったり、障害を負ったり、病魔に倒れたり、亡くなったりで、取りあえず運転する人ならだれでもいいと、言い逃れはできなくなった。老人クラブの役員を担う人が居なくなったのだ。老人クラブと銘打ったボランティアの主な作業は、真夏の県道沿い(何キロも続く)の花植え、草取り、水やりである。自分の家の庭の草取りも寝込むほど疲れるのに、この体力でできるのだろうかと思う。厳しい1年が始まる予感。それも6年に1回づつ回ってくのだった。フゥ〜・・・

風の谷〜泰阜村     
    悠々に奇跡が起こったよ!

昨日は春一番が泰阜村にも吹いて、残り雪が一斉に消え枯草の間にもう緑色の草が顔を出した。スタッフがご近所の蕗の薹を摘ませてもらって山菜の天ぷら第1号をしたよと嬉しそう。そう山郷の民は誰よりもこの春の訪れを敏感にキャッチし、春の野に出かけるのだ。そして誰もが村のどの辺にもう山菜の芽が出ているころだと知っている。今年のタケノコは一番乗りのイノシシにまだ芽も出ていない地の中から掘り出して食い散らされてしまったと残念無念の顔をされている。子育てに忙しい動物たちとの知恵比べが始まるのだ。

 その春の訪れの初めに、癌の末期と宣告されていた理事のお一人が、発見されてからたった半年で「緩解しましたよ。がんの細胞は体の中にはありませんから抗がん剤の治療の必要はありません」と言われ、信ずることができずに本人と家族たちは「先生はあんなこというけど、もう治療の手段もなくて治療から見放されたのだ」と誤解し、葬式の心配までしていたというのに・・・なんということだ。末期のそれも最も治療困難な悪性リンパ腫が抗がん剤治療2クールで緩解するなんてことがあるのか、とは素人であればだれもがまず思うことである。

それが治ったというのだ(再発の危険性はもちろん残るのだろうが・・・)とりあえず今は抗がん剤治療の必要はないと言われたのである。

 これ以上の喜びがあるのだろうか。本人も友人たちも、家族も悠々の仲間たちも、祈り、体調を気にかけ、体力をつけるために全面的に協力を惜しまなかった。しかし1年はかかると覚悟していた療養生活がたったの半年で収束に至ったのである。

悠々ではみなで大喜びして本人を迎え、早速快気祝いをケーキとお茶で祝った!皆の顔が喜びではじけていた。

 大切な大切な仲間のお一人が生き返ったのである。これを奇跡と言わずして何と言おうか・・・

風の谷〜泰阜村   
   過疎山村における福祉民営化の意味

 山陰・鳥取の豪雪の映像を見ながら、その地に住む友の身を想い、わが村と同じような過疎山村の奥深くに住むお年寄りの身を想う。かつて泰阜村にも80僂箸いβ臉磴降ったことがあった。その時多くのお年寄りを失った。重機の十分でない村の除雪は、まず県道を開けることから始まる。役場の職員は集合を掛けられ、山奥に一人取り残されたお年寄りの家の私道(玄関から村道まで)の雪かきで役場は当直を残して空になる。動ける者たちは(それがたとえ年寄りであろうと子供たちであろうと)みな、腰まで埋まる雪をかいた。私は悠々の年寄りのことが心配で1組の着替えとタオルをリュックに詰め、その上にペットのパピヨンを入れて、腰まで埋まる深い雪をラッセルしながら、殆ど一山を転んでは雪に埋まり、もがきながら2時間かけて悠々までたどり着いた。着いてみるとさすが悠々スタッフ!大雪の中をスコップで雪かきしながら車を県道まで出し、道をふさぐ竹を鉈で切り分けながら、各々駆けつけていた。この責任感!感謝!

 悠々の年寄りたちは「こんな日にわしらは飯が食えるのか・・・」と心配だったという。着雪による停電や流通経路が断たれた2,3日、市場もスーパーも開店休業状態であった。

 私たち悠々は、薪ストーブの上に大鍋を乗せ、戦時中さながらに雑炊を炊いたりすいとんを食べたりして凌いでいた。雪が融けるまで、じっと村道が開くまでの辛抱であった。スタッフ達が悠々のお年寄りのために働いていることを知った理事たちは、悠々の広い駐車場と玄関までの雪かきに駆け付けた。次いで理事の二人は我が家の庭で雪にすっぽり埋まった我が愛車を掻き出し、雪の重みで村道をふさいでいた竹林を鉈や鋸チェーンソーで、見事切り開いていてくれていた。

 黙って礼の一つを言う暇もないほど素早く、さり気なく殆ど絶望的であった単身独居老人の(夫は都会に単身赴任中)我が家の危機を救い、その2,3日後に(山中ただ1軒建つ)我が家の前の村道を除雪車が走った。嬉しくて頭が下がり涙がこぼれた。

 助け合いとはこのようなことを言うのかと、都会育ちの移住者である私は身をもって教えられた。しかしその彼らも今は70代後半、次々と病に倒れ、地域の絆もボロボロと千切れていく中で、この村の年寄りはどのように生きていくのかを改めて思う。

 やはり、山中で一人取り残される人たちは、災害の時だけでなく、日常的に避難小屋のようなところに出入りして身を寄せ合って生きる術を手にするべきではないか。

 自分たちの手で助け合って生きる術を、日常的に集落ごと(小学校区ー年寄りが徒歩で移動可能な距離)に常設すべきではないか、とTV画面を見ながら思ったことであった。

 昨日は「家の中に一人でじっとしていると寂しくて生きている気がしない。土曜日と日曜日は悠々でご飯を食べられないかな」と言って70代の若年寄り(少しご不自由を抱えている)が顔を覗かせた。少しづつ少しづつ「悠々の日常性」の温かさの意味が、近隣の住民にひたひたと染みわたっているようである。

風の谷〜泰阜村     
   「生きた憲法25条」

 久しぶりに「悠々」に戻った。平熱に下がり時々咳がコホンと出るが、厳重なマスクをして入居者の顔を見て歩いた。私より2~3日インフルエンザ罹患の遅かった90代ご夫婦は、まだ自室に隔離されたままであったが、それ以外は病を抱えておられるものの、いつも通りの顔で、「ほんに久しぶりだな、心配しておったで、私らより先に往かれたらどうしようかと思っていた」と次々とお見舞いの言葉を頂いて胸が熱くなった。この私の身を本当に心配してくれていたのは、この年寄り達であったのだと、あらためて管理者としての健康管理が、お年寄りたちの安心にこれほど重いものであったのかと、肝に銘じたことであった。

 肝心な給料支払いなどの事務作業は、病を抱えた年寄りたちの通院介助等に振り回されながらのケアの合間に、スタッフが片付けていてくれたし、来所者たちの「ご馳走賄担当」スタッフがともに倒れて欠落した戦場のような悠々を、身を粉にして無事に動かしてくれた我がスタッフに感動した。そこには入居者に対する愛と責任感という「プロとしての矜持」を見た感がある。

 

 10日間ただ、ただ寝ているだけの時間を頂いて、熱で朦朧となった頭で、この先の「悠々」はどうあるべきかについて考えていた。「もし自分がこのまま死んでいったとしたら、何を残したいのか」をただひたすら考えていた。

 そこで一つの結論が突然ふっと浮かび上がってきた。

「生きた憲法25条」!

 そうだ,そうなんだ。私は現在75歳(昭和16年2月生)、戦前生まれの生き残りの最前線にいる人間なのだ。昭和19年に満州から着替え一つで引き揚げてきて、3歳になったばかりの私は、親戚の家をたらいまわしされながら、高射砲のある軍事基地を抱えた静岡県浜松で戦火の中を逃げ惑った。3歳だというのに、畑の中で死んだふりをしていろと言い聞かされて、畝のなかに身を伏せながらそっと目を上げたとき、機銃掃射を撃ってくる戦闘機の兵隊さんと目が合った。笑いながら ダダダと撃って飛んで行ったその目を、72年経った今も鮮明に思い出す。戦後は草を食べていた。サツマイモのツルはご馳走だった。捕虜に取られたまま帰らない父を待って、借りた農地を農作業に慣れない母を手伝ってただ食べる為だけに死に物狂いで働いていた。(糞尿の入った肥桶を母と担ぐと、肥桶は小さな私の方に偏って、その飛沫がかかっていたことを忘れない・・・)

 普通の国民は、戦争に負けてすべてを失った。しかしそこには、土地を持つものと持たないものの格差がまずスタートとしてあった。戦後の復興とはまず経済復興であった。これに文句を唱えるものはだれもいなかったはずだ。しかし戦争で財を成しているものがいたことを、国民は知らなかった。その隠れていた財閥が戦後の復興を牽引して富国(強兵)にまっしぐらに突き進んで戦後70年が経った。

 あの世界大戦は、日本国民に何をもたらしたのか。

バブルの時代に生活が便利になった一時は確かにあった。しかしそのバブルはすぐにはじけて、国民の間にどんどん格差を広げた。今、過疎山村が産み育てて都会の工場に送り出した子供たちが定年になって、労働年齢からはじき出されようとしている。その年寄り達を養えないという。消えた年金のことはもう言うまい。

 先の戦争で国民が手にしたたった一つの宝物のことを、改めてここに示したい!私は、この憲法を実現するために国民の一人として命を懸けている。「生きた憲法25条」でありたい!と願っている。

 

 みんな思い出して!

   聞いたこともないよという若者たちは耳を澄ませて胸に刻んで!

 憲法25条とはこのようなものなのだよ。国はこの憲法を守る義務があるのだよ。これが戦争で国民が勝ち得た宝なのだよ!

 

日本国憲法第25条(昭和二十一年十一月三日憲法発布)

 

        すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

        国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

 

 

風の谷〜泰阜村     
    猛威なるかなインフルエンザ!

 所によれば何十年来、我が泰阜村でも5年ぶりぐらいの大寒波による積雪である。雪かきしても雪かきしても振り返れば真っ白に積り、咳と鼻水を垂らしながらの雪かきが祟って、大風邪を引き込んだらしい・・・。夜中にかけて熱は上がり翌朝39.3度まで上がったところで病院の休日救急に連れていかれた。インフルエンザA型だという。予防接種したんだけどな〜・・・.「流行ってますからね〜、吸入をしてから自宅でうがいと内服薬(PL顆粒+ミヤBM+プリンペラン+カロナール錠)を飲んで安静にしてください。お大事に」、「あッ、水が飲めないんでしたね。点滴していきましょうか」、「お願いします!」と助けられた。ところが翌日は39.9度に熱は上がるばかり.体温が40度に手が届くところまで行ったのは生まれて初めて・・・と言うことは、年かぁ〜.

 寄りによって先日前の席で久しぶりにおしゃべりを楽しんだ91歳M翁が、38.7度ということで急遽受診していたのである。「あ〜申し訳ない。悠々の黴菌の主は我かな・・・そうに違いない.申し訳ない」との思いで点滴を受けていたのだが、翌日にはインフルエンザの治療薬がよく効いて、36度代に落ち着き、食事も食べているとのことで、ほっとする。

 今年の年始が明けてすぐに、理事の一人である我が夫もインフルエンザB型に罹患、急遽単身赴任中の大宮に出かけて看病に精を出したばかりだったが、AとBでは型が違うので夫からうつったのではなさそうだし、今年は泰阜中学校も学級閉鎖がでたということで、泰阜じゅうおちおち出かけることもできないでいる。

 その中を明日、神奈川県逗子から80歳の翁(翁はちょっと若すぎたかな?)が、永住入居目的で見学に来られる。

大丈夫かな、お風邪をうつさない様に細心の注意を払い、祈るしかない。こちらの状況をお伝えしたが、是非にと言うことである。有難いことである。


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