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風の谷〜泰阜村
 〜地域の絆に助けられて〜

 36年前、泰阜村の深い森に囲まれた1軒の空き家(標高600m?)を借り、天竜川沿いの伊那谷を一望できるその景色に「日本のふるさとの原風景」を感じ、心奪われてそこに居付き勤務先から休み毎に通って子育てをした。

 そのころは30代で元気いっぱい、野山を闊歩し草刈も自力、子供たち(2歳と6歳)もマムシの巣と噂される野山を走り回って・・・有難いことに何の事故もなく、成長し一人前になった今も、自分たちのふるさとと自覚して休みには帰ってくるようになった。36年前と景色はどこも変わっていなくて・・・。違うところは不在地主の荒れ果てた空き家と耕作放棄地が目立つかな・・・。

 私たちも年を取り60代70代となった。家も水回りが壊れ、順番に手直しが必要となった。それよりもお隣の広大な不在地主の空き家とその庭に生い茂った蔦とぎっしりと密集した竹林は、動物の巣となり、そこを前線基地として暴れまわるようになった。散歩途中で猿軍団に出会ったときは、木々を伝って追いかけながら脅してくるサルたちと目を合わさず、人間と子犬が全力で家に逃げ帰って家の戸を閉め、鍵をかけ震えているという現状に至った。

 緑深い癒しの森が少しづつ少しづつ原生林に戻って、人間が追い払われているのかもしれないと感じた。

 それはまた、冬に雪が降ると竹林が覆いかぶさって道路が封鎖され、通行不能になり閉じ込められるという恐怖のもとにもなっていたのだが、それを救わんと、昨日猛暑の中を(日当りは39度もある)村の青年団(60代と70代)の40人近くの人たちが、広大な不在地主の道路添いの竹林の伐採を3時間もかけて、汗まみれになって片付けてくれた。もちろんボランティアである。

さっぱりと明るくなった道路沿いの風景を見て、本物の「地域の絆」とはこのようなものなのだと感動した。

 力のない都会人の自分たち夫婦はよろよろとついて歩くだけであったが、この日を体験して、泰阜村のすごさ、泰阜村は滅びないと確信した。

 村人の中に困っている人々がいれば、村中の若者(40代から70代)が区長の一声でチェンソー、ビーバー、鉈、鎌持参で、雨が降ろうが、雪が降ろうが、炎天下であろうが集まって、助けてくれる。

都会でこのような安心があるのだろうか。周りに住んでいる人々が、自分たちの安全を見守り困っているときには飛んできてくれる。

 そして自分が出来ることは自分でする。各自が精一杯自立して生きていく。アクセスから取り残されたこんな村が、「東京から最も遠い島」と揶揄される泰阜村が、実はこの世の「人が生きていくとはどういうことか」を示す原点なのかもしれないと、有難さに頭を下げながら感じたことであった。泰阜村万歳!有難うございました。 

風の谷〜泰阜村   
     視察〜大学生からの質問状〜

 悠々は開設当初から多くの視察団をお受けしている。開所から8年を過ぎた現在では質問の趣旨に変化が見えてきた。世の中にサービス付き高齢者住宅(サ高住)が増えて、あちこちでその問題点を耳にするからであろう。

介護保険が始まった2000年以降、特養の他に、まず認知症者のための日本型グループホームができた。発祥の地デンマークのそれとは似ても似つかないアパート型で、各階に鍵のついたエレベーター、危険なものはみな仕舞われ殺風景な空間の中に、途方に暮れたような入居者の姿があった。ワンフロア―の定員は9名。この方々をスタッフ1名で看る。デンマークのそれは、古い空屋を借り、そこにご近所さんたちが集まってみんな(顔見知り)でケアした。

 グループホームの可否は明白で、次には高齢者専用賃貸住宅(高専賃)が現れた。本人らしい生活を重視し、必要なケアを外部から取り入れる方式である。しかしこれにも問題があり、多くのケアを必要とする入居者たちの孤立(見知らぬ土地に作られた分譲マンション型が多い)の問題である。見知らぬ土地で顔見知りもなく、寂しさのあまり契約した訪問ヘルパーがやってくると、契約以外にあれこれと支援のお願いが発生していた。そしてこれを受け、サービス付き高齢者住宅(サ高住)が作られるようになった。しかし、次々と現れる問題の原点は、たとえ年をとって不自由になっても、普通の暮らしにあるような人間らしい交流無しには、人は生きていけないという、根本的なことが欠落していることに目をつぶっているからではないか、と思う。

 その中で悠々には様々な疑問をもった視察者が訪れる。有難くももったいないことと思っている。しかしこの問題は1時間や2時間の理事長のつたない説明では、理解が出来ないのではないかとつねずね感じていたのであるが、この度(9月14日)N大学の学生が、視察に当たってあらかじめ質問状を送ってきた。

 それは将来福祉分野の仕事に就くことを希望している若者らしく、現代の福祉が抱えている問題点をふまえた上で、悠々はそれにどう応えているのかと、鋭く切り込んだ質問であった。その質問状を読んで、大学でどのような講義をうけ何を学んでいるのかがみえてきて、興奮した。こんな学生が将来の日本の福祉を背負ってくれるのだとの感動である。あまりにも素晴らしいのでご紹介したい。

 以下は、質問状の概要である。

【全体にかかわって】

 ・悠々の趣旨「もう国に頼らず」とは具体的には何か

 ・企業組合で経営は成り立つのか、その運営について

 ・悠々の建物の建設にあたって配慮したこと

 ・村の福祉政策と競合したときの対応

 ・悠々運営にあたって大切にしていること(こだわり)

【事業運営について】

 ・事業目的の「ふるさと治癒力の機能の活性化を図る」の「ふるさと治癒力」とは?

 ・「地縁の掘り起こし」とは何か。具体例を・・・

 ・「おばあちゃんの子育て事業」おばあちゃんの平均年齢は?支援で困ることは?

 ・携帯メール教室とは?

 ・「生活リハビリ事業」とは、システムとなぜこれが無料なのか?

 ・発達障害児のリハビリの内容を具体的に・・・

【悠々の利用について】

 ・現在の利用者の人数、年齢層

 ・永住入居者の介護保険利用状況

 ・永住入居者の利用料と民宿(一般利用者)との料金の相違・仕組みについて

 ・だれでも介護保険に関係なく利用できるとあるが、利用料5千円は負担ではないか

 ・ショートステイの利用頻度・その状況について

                          以上

 

 

 

風の谷〜泰阜村   
    初秋

 真昼の酷暑の中で、泰阜の男たちが働いている。今は夏野菜の収穫と出荷、その合間を縫ってお盆の前の草刈に汗を流す。去年は多くのお年寄りが往かれた。そのご先祖の霊をお迎えするために、泰阜村はきれいに手入れされた里山の美しい姿を垣間見せる。

 朝晩の涼しさは初秋を思わせる。山から涼風が吹き降りてきて「戸を閉めて夏掛けを被って寝ないと風をひくよ」と年寄りがいう。里山のあちこちに秋の七草が顔を見せ彩を添える。カナカナゼミが鳴き、撫子の薄紅色、女郎花の黄色、萩の紅色・・・そして里山の至る所に山百合が咲き誇る。あと半月もしたら初盆参りに村の残された人々が走り回るのだろうか。

 

 

 今年は悠々も例年の「盆踊り」を再開して、悠々で看取ったあの方、この方を偲ぼうか・・・と思う。

さて、その中で田本部落の「生活リハビリ教室」が第4回を迎える。20名ほどの参加者で広い悠々もいっぱいになるが、今度のDr.本田先生の「養生のお話し」コーナーでは「こむら返り」のお話が伺える。聞いてみたら参加者の殆どが、夜就寝中に、このこむら返りで目が覚めしばらく苦しんでいるという。こんなこと病院の医者が相手にしてくれないということで、Dr.本田先生が「こむら返りが起こったら」というお話をしてくれるというので参加者が喜んだ。基本的には筋力に耐えきれないほど働いているということだが、加えて水分不足ということである。

 ついで今回の悠々ランチメニューは、「さっぱり夏野菜のスパイシーカレー+たことキュウリの酢の物+トウモロコシの唐揚げ+キュウリのからし漬け」である。今回は、いつも土日勤務で参加できなかったお父さんが、その「悠々ランチ」の試食と「たまにはおれもゆっくりするか」と飛び入りでの参加を申し出た。

 毎回何が出るかわからない「悠々ランチ」を皆楽しみにしていて、レシピも欲しいという声が聞かれるのが嬉しい。

今回は、うわさを聞いて飛び入りで4名の方の見学参加がある予定だ。

病気になってから手当てするのではなく、「病気にならないように日々養生を心掛けて、死ぬまで元気で家で死にたい」を応援することが、Dr.本田先生の熱い願いである。

 

風の谷〜泰阜村   
  猛暑の夏に悠々のお年寄りが・・・

 この村の村長さんは、村民に向けて毎月村長レポート(天下の名文)を書いている(毎月各戸に配布)。それを村民の多くが楽しみに読んでいるという。私もその一人だ。その中で「高齢者の方が『藤の花のきれいな年は、災害がある』といっていたと聞きました。・・・飯田下伊那ではしばらく大災害がないだけに、心の中では、そろそろかなあ、という不安を持っています。」と村民にもそれとなく災害への備えをうながす。

 最近のこの猛暑と午後にやってくるスコールのようなにわか雨を眺めながら、気候が亜熱帯に変わっていく恐怖を感じる。そしてこの湿度の高い高温の中で働くお年寄りが、つぎつぎと熱中症で倒れていくのを聞くにつけ、クーラーを付けずに部屋で過ごしているお年寄りの身をも思う。

 我が悠々では室温28℃を超えた時点で全館冷房が入る。それでも広々とした部屋の中にいるお年寄りでさえ、体力のない人から弱っていく。悠々でも90代に入られた脳梗塞の既往のあるMさんが、体調を崩し診療所の医師が呼ばれた。家族と施設管理者の私、担当看護師が集まり、今後悠々で最後までお世話をすることに皆が同意した。

 特に診療所医師のS先生が、「悠々は今までに看取りの経験があるし、本人が5年も過ごしたこの場で、家族にも見守られながら最後を送るのが一番幸せだと思う」と言葉を添えられた。

 声掛けには反応するが、一日の殆どを眠って過ごすMさん。最後が近づいたことをスタッフ一同心に感じ、気を引き締めた。全力を尽くしてお世話をすることに一同頷き合った。

 皆がそれとなくお顔を覗きに行く、水分補給に気を付け、できるだけこまめに口に運ぶ。元気だったころ大好きだったと聞くと、スタッフが気がつくままに調達しては口に運ぶ。常駐3人がかりの家族で抱えるようなものである。

 スタッフの心には、Mさんへの愛がむくむくと膨らんでくるのを感じる。

今後何か月続くかわからぬが、Mさんの最後の日々がいつも幸せであるように願っている。

 

風の谷〜泰阜村   
   過疎山村の「生活リハビリ教室」

 毎月、小さな部落集団ごとに「生活リハビリ教室」を始めている。それが今月で第3回になる。
先日そのプログラムを一軒一軒配って歩きながら、体調やその家族の安否確認をして歩いた。80代のご夫婦は、知り合いの病気見舞いで忙しいといわれる。あ〜次々と倒れられるのだ。熱中症が多いらしい。どこの農家もそうだが、残された老夫婦のみで広大な(それも棚田だ)田畑の維持管理をやっていて倒れるのだ。熱中症対策についていろいろお話するのだが、若いころからやってきた習慣を変えることは難しいらしい。その一つ、「田畑に行くときには必ず水筒を持って行く、最低2時間ごとには日陰で休憩して、種抜きのチョッと甘い梅干しを舐め乍ら冷たい麦茶or水orお茶を飲む」その二つ、「できたら、曲がった背中や腰を思い切り伸ばしてストレッチ運動を5回ぐらいする」この二つだ。皆私の手前「うんうん」という。だが長続きしない。今までそんなことやりもしないで、炎天下もう少し、もう少しとやり続けて、なんだか気分が悪くなってふらふらと家にたどり着いて(辿り着けたらまだ助かる)家族に病院に連れて行ってもらう(家族がいれば・・・)。熱中症で入院となる。1日、2日の入院で元気になると、その足で田んぼか畑に出かけている。(もちろん水筒なんか持たない)これが年寄りに多い。まだ60代の若い人たちはちゃんと水分補給をしているので(それに若いので)倒れた人をあまり聞かない。
 さて、そのようなお年寄りたちを集めて実施している月1回の「生活リハビリ教室」開催だ。
ご案内を配って歩いたら、たまたまご主人が畑仕事をしているのに出会った。自分は土日は働いているので、参加できないが、家内のやつが「昼飯がやけにうまいうまいというので、わしも食いたいが、参加できないので自分にも分けてもらえないか」と言うので、お弁当を持たせる約束をした。9年目にして「悠々食堂」に注文が飛び込んだというビックニュースである。
 村の人たちは、悠々食堂があることさえも知らないし、ましてやお弁当を配達することも知らないらしい。早速「クーラーボックス」を用意することにした。老夫婦で働いているので、疲れ果ててろくなものを調理しないらしい。年寄りが低栄養になっていく要因である。
 普通の弁当をワンコインで配達する。実はこれが夢だったのだ。
 みんなが口コミで「悠々食堂」の弁当配達を利用するようになったら、私の夢が実現する。過疎山村のお年寄りに一日一回はバランスの取れた栄養価の高い食べ物をできるだけ食べさせたい。病気にならずに最後まで家で働きながら・・・倒れるまで暮らせる。
悠々の最大の事業目標である。村人が「最後まで安心して自分らしい人生を送れる」この夢の実現のためにこそ、悠々は作られ、頑張っているのだから。

風の谷〜泰阜村   
   緑の風に吹かれて

 悠々での暮らしが長くなった永住入居のお年寄りたちが、95歳に近くなると人格の崩壊が少しずつ進んでくるのが感じられる。もうTVと現実の世界の境界は薄れ、季節や時間の感覚も薄れ、ゆっくりとケアスタッフの腕の中で眠っては起きて食べ、少しずつ少しづつ活動時間が減ってきて、眠りについている時間が増えていっている。
 悠々の理事たちも後期高齢期に突入したお二人が、脱水症や病を得て入退院を繰り返すようになった。
この事態を管理者としてどうするか?泰阜の深い緑に包まれながら、模索する。
 この地では、森の中に咲く笹百合の高貴な薄紅色に慰められ、小鳥たちのさえずりのシャワーに勇気づけられ、悠々を訪れる視察の方々に励まされてあと一歩前に進もうと思う。
 先日、日本リハビリテーション医学会で泰阜村の調査結果を発表する機会を得た。その作業の中で、この過疎山村に住む人々の特にお年寄りの生き様をまざまざと感じ感動のあまり言葉を失うことがしばしばあった。そしてそれを学会で発表した。
 私の発表セクションは「地域リハビリ」分野であったのだが、リハビリテーション医療の最前線で戦っている現場の医師たちが、僻地医療(特にリハビリ医療)の最中にあるこの村のお年寄りの実に89%が在宅で介護され亡くなっている事実に感動した。
この村のすさまじい医療環境にあるお年寄りのQOL(幸せ度)が全国平均と比べて同じくらいであること、そして独居であろうと亡くなる直前まで家で過ごし、急変して病院に担ぎ込まれても2,3,日でコトンと逝かれることを「お年寄りたちが、自然の理として受け止めているのは何なんだ」と尋ねられ、「データーからはそれを証明できないのが残念ですが、覚悟です。大自然の一部でもある生き物として自分の死を理として受け止めている覚悟があります。」と答えた。

 この村の多くのお年寄りたちは、働いて働いて死ぬ間際まで働いて、それを苦にもせず、85歳を過ぎると「次はわしの番かな」という。暑い夏が来て熱中症でバタバタと担ぎ込まれるけれど、2,3日して危機を脱すると、その足でもう田んぼや畑に出かけている。
山の奥深くで人知れず古木が朽ちて倒れるように、この村のお年寄りが今年の夏もどれだけ往かれるのかを思う。
 そして後に残されるものは・・・・寂しくてたまらない。

風の谷〜泰阜村    
   新しい民宿利用の訪問客たち

 泰阜村は花々の競演の時を通り過ぎて、むせ返るような新緑に包まれている。訪問客たちは季節ごとに立ち現れる大自然の姿に圧倒されて、まず言葉を失い暫しの間命の息吹に包まれる。
 最近、新たな「悠々」を創設したいという訪問客たちが、民宿利用で来所されるようになった。土地はあるという。そこを提供するので悠々を作って欲しいという愛知県安城市在住の同級生ご夫妻。
 東京の上場企業の部長級クラスの仲間たち、IT企業家たちが集まって、自分たちの第二の人生を軽井沢で作りたい。その中心に「悠々」を作りたい。その具体的な構想も立ち上がっている。
 驚愕的なのは東京都小笠原の自治体職員のリピーターである。その本気度がすごい。つられて12時間のお相手をしてしまった。次いで夜のお酒の勢いで義兄弟の杯まで交わしてしまった。「住民たちが小笠原と言う村で最後までしあわせに暮らすためには何が必要なのか知りたい。その方法を教えてほしい」という。その40代前半のお役人の心意気に惚れてしまった。地の果てのように遠いところに、このような若者がいるのだと知って、住民(高齢者)生活実態調査手法のお手伝いまで約束してしまった。

 75歳後期高齢者だというのに、小笠原まで行くことになってしまったらしい。泰阜村から東京竹島桟橋まで6時間、定期船で25時間、週1便・・・。その前に仲間で計画を練って、みんなを連れて泰阜村までやってくるという。本気らしいと受け取った。観光産業の小笠原村、島民が置き去りにされないような施策の提案がどこまで通るか楽しみでワクワクする。悠々がひっそりと、ひたひたと人々の口に上り「そんなの見たことも聞いたこともないよ」と言われているらしい。ケア付き民宿5千円?介護施設だとばっかり思い込んでいた。住民に開かれていて食堂(500円・ワンコイン)も喫茶(無料)も出入り自由なんて・・・という。その上、民宿として必要なとき好きなだけ泊まることもできる。もちろんケア付きである。全館バリアフリーなので入浴もスウェーデン製のリフターで介助付きでゆったり湯船につかることが出来る。重度の障害を持った40代の男性が「生まれてから一度も風呂に入れてもらったことはなかった。こんな幸せない!」と叫んで大喜びした浴室である。
 小さいけれど図書室もある。オレンジページを毎月購読する方もいる。若いヘルパーさんがケアのついでに借りていかれたり、子供たちが漫画コーナーで寝転がって読みふけって行く。新しいケアマネさんが、休みの日に3人の子供たちを連れて遊びに来ていいかと聞いたので、もちろん喜んで、とお伝えした。年寄りたちが子供たちが遊びまわっているのを喜ぶのでと伝えた。
 こんな悠々が実は大自然の懐深く眠っていることがもう一つの魅力なのだと付け加えたい。
小笠原も遠いが、泰阜村も「東京から最も遠い島」と揶揄されていると聞くが、本物の大自然は都会からは遠く不便なのかもしれない。
 

風の谷〜泰阜村    
   新緑の風に吹かれて

 溢れるような新緑の風の中を小鳥のさえずりのシャワーを浴びながら、泰阜村の女たちは山菜取りに夢中となる。今年はやけに筍があちこちに生えすぎると贅沢な悩みをこぼす。「イノシシが少なくなったせいだろうか」と聞くと「いやいやそれもあるかもしれんが、奥山でも豊かに食べ物があって、人里まで遠征する必要がないのかもしれぬ」と言われ、みんな納得する。
 先週の道路愛護の休憩での話である。
 我が部落の今年は、80代の大事なお年寄りの一人が頸椎症の手術をし、大切な道路愛護の人手がひとり少なくなった痛手は、急坂な山道の土砂崩れの片付けに、女たちがよろよろとしか動けないので、倍ほどの時間がかかって終着点にたどり着くこととなった。
 厳しい山の森の落ち葉管理や人手を使っての山崩れの補修やら、たまりにたまった水路の落ち葉や泥の整備に共に汗を流すことを誰一人文句ひとつ言わず作業する。
「悠々」ではこの人たちの野良仕事や村役で疲れ果てた心身を少しでも癒したいと、4月23日(土)に第1回「生活リハビリ教室」を以下のプログラムで実施した。
 
 平成28年泰阜村田本「生活リハビリ教室プログラム」
 1.日時:平成28年4月23日(土)午前9時半〜14時
 2.場所:泰阜村地域交流センター「悠々」
 3.プログラム:〜ゆっくり癒しを中心に〜
   ,△い気帖淵螢魯咼蠕賁膂Dr.本田哲三先生)
    理学療法士 O先生ご紹介
   △澆鵑並靴辰謄薀献体操
   Dr.本田先生の診察
   ね学療法士 O先生のリハビリ評価
   Dr.本田先生 養生のお話し
   γ訖
    メニュー:山菜ちらし寿司 山ウドと八朔の胡麻マヨネーズ和え 
                         トロロ芋とアボガド・マグロのわさび醤油和え
         ワラビの辛し和え 茶わん蒸し ワラビのみそ和えのお漬物
   
   Г修梁勝А擲銅 順番待ち時間に自由にかかってください】
        ☆脳トレ(懸賞付き・クロスワードパズル)
        ☆足湯
        ☆マッサージチェアー
        ☆超音波温熱器
        ☆エアロバイク



風の谷〜泰阜村   
    避難所の災害準備

 思いもよらぬ熊本の大震災が続く中で、春の嵐が日本列島を吹き抜け、浮かれていた桜の花見を戒めるかのように一夜できれいに桜色から新緑の季節に突入した。TV画面でしか近寄れもせぬが、一つのおにぎりやパンのために2時間の行列に並ぶと聞き、赤ちゃんを抱えた母や、何が起こったのか訳も分からずに恐怖に震えたであろう小さな子供たちや、あれこれのご障害を抱えた方たちや、お年寄りたちのことを思って心が痛む。
 東日本大震災の傷跡も未だ癒えぬ日本をあざ笑うかのように、繰り返し起こる大自然の脅威を、この国の民は、基本的にはその時を耐え受け入れ自ら立ち上がるしかないのだと改めて思う。東日本の大震災時には、電気が通じた3日目に届いた教え子からのお助けコールで、急遽集めた救援物資を2トントラックに詰め込み、村長の許可と運転手の応援を得て走った。現地では走っている目の前で突然道路が消え、道が海の中にえぐられて無くなっていたことに震え上がり、救援物資は避難所には受け入れてもらえず、急遽道路の端に段ボールを並べて、避難所の方々に声掛けをしていただく許しを受け、多くの方が外に出てこられて、自分たちの必要なものを受け取っていただいた。その時の避難所の方々の声。「寒くてたまらない。津波に濡れたままの肌着を変えたい。靴が欲しい・・・風呂に入れぬので下の汚れを拭くぼろ布が嬉しい・・・」よく考えると、一番必要なものは公の倉庫には備蓄されていないものばかりだということが判った。そして何よりも新聞が喜ばれた。自分たちの身の上に何が起こったのかを客観的に理解する情報に飢えていたのだった。多くの自治体は募金の声掛けしか受け付けぬが、今本当に必要なものはお金では届かぬものばかりではないのかと思う。幾度も繰り返される教訓を生かさぬまま、時の中で苦しむ人々をTV画面で見ながら歯噛みする。
 確かに5年前にメールでお願いしたとたんに悠々に届けられた救援物資10トンの内、必要なものは6トンでしかなかった。私たち泰阜村民有志はそれらを選別し、汚れてはいるが使えるものは洗濯し、穴の開いた綿のシャツはA4サイズに切りそろえて汚れ物を拭くぼろ布として段ボールごとに中身を銘記し仕訳した。それを被災地で道路に並べたのであった。残った燃えぬごみ4トンは、まだ使用していない(野菜の集積場)倉庫に引き取っていただける方が現れ、無事下伊那の有志の心をお届けしたのだった。
 潰れた家の中にうずもれた貯金通帳は引き出せないだろうし、これから続く日々が冷たいおにぎりやパンや水だけではどれほどの苦しみを味わわれることであろう。巨大地震が一刻も早く落ち着いて、復興に取り掛かれる日が来ることを祈っている。
 悠々も避難場所に指定された。その時に備えて教訓を生かす準備を怠らぬよう心したい。

風の谷〜泰阜村  介護保険改正後 同性介助考

 泰阜村が桜色に染まって、一年で最も美しい季節に突入した。
 友人の中国人は、日本人ほど花が好きな国民は他にないのではないかという。泰阜村でも、飯田市との境の深い谷に架かった大橋を渡ると桜のトンネルに迎えられ、それが殆ど村の外れまで続き、よそから来たお客様は心を奪われるという。



 各地に桜の名所は数々あるが、泰阜村のそれとどこが違うかと言うと、観光地ではないので人がいない。誰もが桜の花に囲まれ、包まれ幽玄の美しさの中で言葉を失う。足下には春の山野草、春蘭が顔を見せ、カタクリの花や菫の花がひっそりと咲いている。
 泰阜村の桜のトンネルの由来は、その昔車に乗れない村の年寄りに花見をさせたいと、村の若者たちが1本一本桜の苗木を植え、毎年草を刈り、冬には雪の中を病気の枝を払い寒肥えをやり、手入れを続けて来たと伝えられる。その桜守達も年老い、一人欠け二人かけして自分たちが植えた桜の花見を楽しむ側に立っている。

 悠々の90歳を過ぎたお年寄り達も桜の花見に出かけた。「今年もこんな立派な花見ができて嬉しかった。もう一年花見がしたいのう・・・。できるかね〜」と満開の桜の中でお寺では甘茶を頂き仏様に手を合わせた。



 さてその花見の最中社協の管理職の方が追っかけてきて、巡回サービスの「深夜巡回と入浴介助に男性職員をどうしても入れたい」という。悠々にはお一人90代だが生涯結婚もせず独り身を通して来たおばあちゃまが、「どうしても男に裸を見せたくない、触らせたくない。わしはいやじゃ」と頑強に拒んだので、何とか同性介助をお願いできないかとお願いしたが、「これからは男性ヘルパーもどんどん入れるので、そんなこと言っていられない」という。
 このおばあちゃまの主張をわがままと摂るか。圧力でねじ伏せて若い男性ヘルパーに触らせるのか。悠々のスタッフに聞くと「私は嫌だ!」と口々に言う。若いころから精神を病んではいるが、認知症ではない。(要介護2)
 サービスの質を追求していくと悠々みたいに赤字になるのだがどうしたものか・・・。
介護保険改正!目に見えて厳しくなる利潤追求のそれは、そこにいる利用者たちを、もう人間ではないらしいと感じるが如何か。
 
 

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