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風の谷泰阜村
 〜人が死んでいくということ〜

長野県飯田市に住んでいた

 一人のおばあちゃんの魅力的な死に際について、

 その娘さんにあたるKさんがちぎり絵で絵本を作りました.



ご縁があって、「母からのおくりもの」というそのちぎり絵の絵本と出会い、

 そこに描かれた一人の人間の見事な人生の引き際に、本当に感動し、

 心の中に仕舞っておけなくなりました。



☆農家に育ち、農家に嫁ぎ、五人の娘たちを育て

 食べることも 着ることにも無欲で、ぐち一ついわず働きづめだった Kさんのお母さんは、

 82歳の春、腸閉塞で入院手術し、10ヶ月に及ぶ闘病生活を経験しました。



自宅退院後も、人に迷惑をかけたくない一心で、手足のリハビリを欠かすことなく励み、

 家の役に立ちたいと、不自由な身体で台所仕事を引き受けていました。



その2年後、85歳の時直腸ガンが見つかりましたが、『充分長生きしたから もう入院は嫌だ』と

 ストマ(人口肛門)の手術だけを受けて、二週間で自宅に戻りました。



その後も自力を振り絞って這いながら部屋の中を移動していたこのお母さんが

 『もう がんばれない』といって動けなくなりました。



家族は、具合が悪いのに入院させないなんて という世間の風潮の中にあって、

 『二度と入院したくない』 と強く望むお母さんの気持ちだけを考えた五人の娘たちと孫たちは、

 みんなで全面的に支えあって、家で最後をむかえさせてあげようと決めました。



寝たきりになったお母さんは、水分以外の食べ物を口にしなくなり、日に日に弱っていきました。



それを黙って見ていられなくなった家族は、近くのお医者様に往診を頼みましたが、

 『なおる見込みがないから もういいです』 と自ら治療を断わりました。



苦しさのあまり 『早く 仏様になりたい』 というお母さんを腕に抱きながら、

 長女は『おばあちゃん もう がんばらなくていいから 安心してゆっくり眠りましょうね』 と言って、

 子守唄を歌ったり、ゆずり葉のお話を聞かせました。



お母さんに抱かれた赤ちゃんのように 安らかな表情をしたお母さんは、

 『早く 早く』 という言葉を二回残して まもなく息を引き取りました。



お母さんがが亡くなったのは85歳の秋の彼岸、 

 果物の収穫がひと段落し、氏子の村祭りが終った頃、



「お祭りが終わったから もういつ おむかえが来てもいい」と

 葬式に隣組のお世話を受けるのを気遣いつつ、合掌しお題目をとなえながら、



『わしほど幸せ者はいない。家で死ぬことができるから』といいながら、

自らの生き様を みんなの心に残して旅立ちました。





人は一生涯をとおして

 自らの周りの人々との間に、人間としての心を育むことがなかったら

 このような豊かな死を 手にすることは出来ないのかもしれない。



《私はそれを怠ってはこなかっただろうか》 と ふと考えています。







  
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風の谷〜泰阜
人が生きるということ

 今年の3月に66歳で定年退職して3ヶ月半が経過した。
やっぱりなんだかわからないが、多忙な毎日が続いている。
 これまでの人生、ずっと働きながら勉強したり、働きながら子育てしてきたので、記憶にある限り休日にゆっくり休んだという実感がない。自分の前にはいつも自分を駆り立てるような課題があって、妻として母として、そして社会人として、家事や子育てをしながら(手抜きとの批難をものともせず)生きてきた気がする。
 今の私があるのは、私の周りの多くの人々の善意によって守られてきたお陰そのものだと、つくづく思う。
小さい頃からの家庭の事情で、満州からの引揚で僅かばかりの財産をすべて失い、小学校6年のときに、母が轢き逃げにあって頭部外傷で入院し、幼い弟2人と父親の家事を担った。
 中学校のときには、父が経営していた建築会社が連帯保証人倒産に会い、すべての財産を失った。
借金取りから逃れるために、父親は私たちの前から姿を消したが、借金取りは留守宅の母と3人の子供たちを脅すために、毎日通ってきた。お嬢さんで育った母が町に出て小さなお好み焼き店を開き、家族を養った。家の家事は長女の私が引き受け、弟の一人はこのころから村の悪い仲間に入り、そこで育った。長い間家族はみんなバラバラで生活はつらく苦しかった。
 しばらくたってやっと西三河にある建築会社に就職先を見つけた父が、私たちを呼び寄せてくれたが、初任給では貧しく、当然のように高校進学を断念して、私が働いて家族をやしなうことになっていた。しかし、もうお亡くなりになられた当時の中学の担任が、自宅まで訪ねてこられて、「このまま中卒で終わるのはあまりにも惜しい、授業料を出すので高校に行かせてほしい」と両親を説得した。その熱意に打たれて両親は、私を高校に行かせることにしてくれた。
 しかしこのことは、父に過酷な労働を課すことになった。毎晩、過酷な建築現場での仕事が終わってから、自宅で深夜まで内職をして私たちを学校に行かせてくれた。
 程なくしてこの無理な労働が祟った父は、肝硬変で倒れ、長期の入院を余儀なくされ,そしてまた、私たちの生活は苦しくなった。

 今、教育の問題が叫ばれている。世界に冠たる経済大国の日本で、お金が無いために、高校・大学に行けない子供たちが大勢いる。
家族の中に病気の人や障害者を抱えていると、その看病のため、介護のために家族が全力を尽くして働けず、子供たちの教育費にまでお金が廻らないのである。
 この3月に退職した元の大学でも、大半の学生はアルバイトで殆どのエネルギーを費やし、テキストや参考文献を読むゆとりがないのが現状だった。大学構内で倒れそうな学生A君にに「どうしたの?」と声をかけたところ、「この3日間、アルバイト先のレストランが休みで、水以外に何も食べていない」という。取りあえず研究室にあった食べられそうなものを食べさせて、何がしかのお金を渡し「困ったらいつでも研究室においで」と帰らせたが、そのA君は,授業料も、アパートの家賃も、衣類も、食費も全部自分で働いて、「それでもいいから勉強がしたい」と親に頼んだと言ったそうだ。
 このA君が4年生の6月、祖母の介護をしながら働いて家族を養っていた母親が突然亡くなり、パート警備員をしている病弱な父親が、残された病弱な祖母の介護をすることになった。このままでは家賃が払えないと、A君は4年生の夏休みを前にして大学を退学した。豊かな日本、優秀な学生が貧しさの故に、社会の荒波の中に消えていった。

大学教育とは何かが今問われていると思う。
今の大学は資格を取るための専門学校化が進んでしまった。
大学こそは、人間とは何か、人が生きるとは何か、死ぬとは何かについてその時代時代の課題の中で、教員と学生が真剣に突き詰めて考えていく場ではなかったか。
私の人生には、高校進学を必死になって勧めてくれた担任教師がいた。
 50年以上たってみて、その行為が現在の私の行動のすべての根幹を支えていることを実感している。教育とは、『一人の子供の人生そのものを救い上げる役割を担っている』ことを、現場で働く教員一人ひとりが、自覚できるような再教育が必要なのかもしれないと思う。

国政選挙「参議院選挙」がスタートする。
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風の谷泰阜村
対談「弱き者の生き方」から

昨日、築地のがんセンターと数ヶ月前から化膿して腫れていた歯の治療のために2軒の病院の梯子をしました。東京駅の大丸百貨店でふと目に留まった1冊の本を手に取り、そのまま惹きつけられて購入し帰宅するまでの8時間半、帰宅してからも読みふけりベッドに入ったのは午前1時過ぎになりました。
 作家の五木寛之さんと考古学者の大塚初重さんの人生体験を、まさに赤裸々に語ったものです。
御二人の貧しいけれども小さな幸せにあふれる日常が、戦争と共に一瞬で吹っ飛んで、崩壊していく有様を淡々と語りながら、自分が人間として鬼と化す瞬間を体験なさったのです。
 
戦争が終わって平和な日本の中で、死の淵から這い上がるようにして生きた人生の最後になった今このときに、人間としての責任感から、語らずに入られなかった思いが、ひしひしと伝わってきました。
 「ロープにぶら下がった自分の脚に、二人三人としがみついてくる戦友を、私は両足で燃え盛る船底にけり落としたんです。・・・そうやって私は助かった・・・」(大塚)
 「ソ連兵に『女を出せ』と言われると、トラックからだれか女性を押し出すようにして出すしかない。その女性を人身御供にして、我々は38度線を越えたのです」(五木)
 凄惨な状況下では人間は『鬼』になる。
「自分が弱者であるというのではなくて、人間というのはなぜこのように弱く、また同時に強いものなのだろうと感じるのです。」(五木)
 お二人は戦後60年以上もの長い時間、誰にもいえなかったこの罪を抱えて生きてきたとおっしゃって、「戦争は決して起こしてはいけない!」と繰り返しています。
 「人はすべて、この世という地獄に生まれてくるのではないか、その地獄の中で、時として・・・思いがけない歓びや、友情、見知らない人の善意や、奇跡のような愛に出会うことがある。そんなとき、人間に生まれてよかったと、たとえ一瞬でも心から感謝する。その一瞬を、極楽というのではないかと思う。」(五木)
 お二人の生きた言葉の一つ一つが私の心に届いて、化学変化を起こし、「生きていてよかった。
 明日も誰かのために生きていける」という元気を頂きました。







風の谷泰阜村
〜TV「世界百人村」からのメッセージ

今日、TVドキュメント番組「世界がもし百人の村だったらパート5.」を見ました。これまでのパート1.から今回のパート5.までの全てが、世界の中で今現実に子供たちの身の上で起こっている事実を伝えています。
・ロシアの10歳の少年兵の涙の意味、
・地下15メートルの砂金堀の井戸の底で、飢えと薄い空気の中で重労働に耐えるエチオピアの9歳の少年の汗の意味、
・ごみ山でごみを漁ってお金に換えても、アパート代とお母さんの薬代に消えてしまう、飢えた14歳の少女と二人の弟の労働の意味について深く、深く考えました。

世界中にいるこれらの子供たちのために、私がなすべきことは何だったのでしょうか?
 私がこれらの子供たちのことを知らなかった。知るための努力をしなかったことがあります。
 瀬戸内寂照さんは「無知は罪です」とおっしゃいました。
 この子供たちを守らなければ、確実にこの地球村に未来はありません。
 これらの子供たちの不幸は、愛する家族が病気や、事故で死んだり、
 麻薬やアルコールにおぼれて虐待を繰り返すことで、家族としての機能が壊れたことから始まりました。
今、私たちができることは何かについて、考えたい。そして一つでもいいから何かを始めたいと思います。
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風の谷泰阜村
〜ももちゃんとみっちゃんのママのこと

毎週金曜日、往復2時間かけて教えに行っている短大で、一人の素敵な学生に出会いました。
 今日はその素敵な学生Kさん、障害をもって生まれたももちゃんと今年小学校1年になったみっちゃんのママについてお話します。
Kさんは毎回の講義でお会いするたびに、キラキラした目で真剣に授業を聞いています。その姿は、教師である私に1回1回の授業をどれほど真剣に、全力を尽くして教えることをが必要かについて気づかせてくれる不思議な魅力を持った学生でした。
 長野県の地方都市にあるその短大の学生たちの殆どは、車椅子で元気に走り回る障害者を一度も目にしたことがありません。また、視覚障害者が盲導犬を連れて自由に当たり前のように活動している姿を見た事もありません。
 この学生たちにノーマライゼーションについて質問すると、「普通の人と同じように地域で暮らすこと」という教科書的な答えが返ってくるだけです。
 「障害者が普通に暮らすって、具体的にどんなこと?」と聞いても、頭をかしげて「さあ〜?」というだけで応えられません。
 そこで私の授業では、できるだけ毎回ビデオを使って、実際にさまざまな障害者がどのように暮らしているのかをその目で確かめながら、毎回授業の終りに、授業の概要とそこで感じたこと、学んだことを書いてもらうことにしています。そしてこの感想文には1回につき各々1点の配点がつきます。
 そのせいかどうか学生は、VIDEOで現実の福祉対象者の姿を目の前にした感動を、自分の言葉で表現して一人ひとりが私に届けてくれるのです。
 その学生達のドキドキは、毎回こちらに伝わって、私を感動させてくれます。これが教師冥利に尽きるというものなのでしょう。往復2時間の疲れは、いつも「会いに行ってよかった!」という満足感と喜びに変わっています。
 その中で、このももチャンとみっチャンのママは、「先生のこの授業を受けられただけでもこの大学に来てよかった」といってくれたのです。しかし、その言葉をこの素敵なママに言わせたのは、じつはVIDEO の中の、お年寄りや障害者や子供たちなのです。
 障害に負けないで、どんな悲惨な運命にも負けないで命がけで生きている、映像の中の一人ひとりの姿が、私達にも生きていくことの勇気と、その方法を教えてくれているのだと思っています。

私はそのことを、みんなのもとに届ける郵便配達なのだと思います。
 学生一人ひとりの感動を目の前にして、私にあたえられた今日の使命を感じます。
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