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風の谷〜泰阜村  
  札幌からの訪問者

 北の国 札幌から はるばる5日もかけて「悠々」に到着されたS氏
 2年前に倒れられたご不自由な体で,大きなトランクを引っ張り 大きなリュックを背に
 篠付く雨の中を 夜の8時過ぎに到着されたそのお姿には,鬼気迫るものがあった.
かつて社会的に優れた功績を残され,なお飽き足らず75歳になった今,北海道の夕張市に「悠々」を作りたいという一念で 来所したという.お住まいは札幌の市街地にあり,地下鉄が走っているというが
 翌朝 「こんなに田舎とは想像もしなかった」としばし絶句しておられた.
御疲れのために,翌日も翌々日も「死んでいるか」とスタッフが心配するほど 眠り込まれていた.少しお元気を取り戻されてから,「この風景を以前どこかで見たことがあるような感じがする」という.
いろいろお話をしながら,「日本のふるさとの原風景なのですね」と納得なさった.
 「こんなにゆっくりと生きることはなかった.ここにいたら自分の病気が治るようなきがしてくる」と,働き蜂であった自分の人生を振り返っておられた.

 かつて泰阜村の風景が、日本のいたるところに広がっていた頃,あの頃,日本中はあたりまえのように田舎で緑に包まれていたのではなかったか.
 私の育った頃の遠州浜松は,清い小川が流れ,花々が至るところで咲きみだれ,蛍が飛び交い,みんな同じように貧しくて,家族が身を寄せ合って暮らしていた.
 現在の泰阜村は,中学を出た子供らが次々と働く先を求めて都会に出たまま帰ってこなくなり,
山は荒れ,田も畑も荒れ放題のところがここかしこに増えつつあるが,75歳を超えた後期高齢者が,それでも山と水を守っている。

S氏は重い荷物をゴミ箱に捨て,重いトランクを宅急便に託して 先ほど帰途に付かれた.
かつての職場の仲間たちに声を掛け,「悠々」のような共同住宅とその事業を「夕張に実現したい」との固い決意を繰り返された.

Sさん がんばれ!
夕張 がんばれ!
東日本 がんばれ!
日本 がんばれ!

風の谷〜泰阜村  
初夏 里山に花の精がやってきたよ

 泰阜の里山が1年で最も美しい季節は,本当は初夏の終わりの今ではないかと密かに思う.
 新緑が緑を深くした里山の木陰の中に,笹ゆりの淡いピンクの花がいっせいに開いた.深い緑の木陰に咲くこの花の美しさは,その香りとともに傍らを通る人を思わず振り返らせ,その花の在処を探させてしまうほど.今年は猪にも,バンビたちにも荒らされなかった花が自宅裏山に咲き乱れた.
 天からのこの贈り物で 理事長はまた元気を取り戻した.
 「悠々」の入居者は6月はじめに8人になり,経営的にもやっと安定した.本当に長い道のりであった.これまでの経緯を知る人々は皆,「よく辛抱した!」と密かにねぎらって下さった.
 8人の入居者の中で「悠々」が社会的に受け皿となることを期待される可能性が見えた3人の入居者がいる.

何らかの障害のため生涯独身で,両親の元で庇護されて育った方たちが,親亡き後,兄弟に見守られて過ごしたものの,兄弟も高齢となりその子らにケアを任せるようになった後,「悠々」を探し当てられて,新しい家族の一員となった人たちである.

「悠々」ではいつものような穏やかな一日が流れていく.
自宅にいれば当たり前の毎日を,少しの手助けでいつもの自分でいられる.食事も取れるし,自由に歩きまわれるけれど,認知症があったり,家族ができる程度の医療的ケアを必要としているため,一人では生きていけない.
 今のところこのような人が入れる介護保険施設が(満床)ないため,自己負担が介護保険施設より高額になっている.家族はもともとないのだから・・・・,家族介護を前提としている介護保険の在宅サービスでは不十分であろう.

「悠々」はこの制度の谷間に咲いた「笹ゆり」になれるか・・・・・
    がんばれ理事長!  
  がんばれ東日本!
  がんばれ日本!

風の谷〜泰阜村
東日本大震災地行で感じた事

 2011年4月30日 「悠々」の開所2周年記念祝賀会が無事終わった.

   振り返れば1月以来の4ヶ月間は理事長にとって激動の毎日であった.

 2月1日に自宅で寝ぼけて転倒し右膝蓋骨を骨折し,足首から股関節までギブス固定となった.
日ごろ,泰阜村の山中に住む住民が移動手段の車を取り上げられ,坂道を自由に上がり下りもできない恐怖の日々を体験した.
 3週間後ギブスから装具になり,やっと車を運転できるようになった日,直ちに生活必需品の数々を買出しにでかけ,老後本当にこの過疎の地に住み続けられるかを改めて問い直すことになった.
 
 その最中,《3月11日・東日本大震災》の衝撃が日本中を駆け巡った.その3日後に届いた教え子からの「助けてメール」に,翌々日には緊急救援車両の許可を貰い,膝装具装着の身にもかかわらず2トントラックに飛び乗って岩手県藤沢町の施設に走った.

  眼前に広がる衝撃的な被災地の光景からはどうしても現実感が湧かず,帰途についてもしばらくは夢を見ているような呆然とした感覚が続いた.
 泰阜に戻って見れば驚くなかれ,総量9トンほどの救援物資の山に「悠々」が占領され,入居者はダンボールを跨いで移動するという危険な状況下に陥っていた.

   そのため急遽2回目の救援物資輸送を計画し,14日後には岩手県の沿岸部津波の被災地に出かける事になった.
 しかしこの頃は,どこの避難所も全国から送り届けられる救援物資の山を保管する場所がなく,私たちは石巻水産高校⇒女川町⇒気仙沼⇒陸前高田市等の避難所を巡り巡って,2トン車2台分の避難物資を配って歩くはめになった.当時,経験豊かな各地の自治体は義捐金しか受け付けていなかったと記憶している.TVを見た多くの日本人が何かをしたいと心を動かされた時期でもあった.

 

 今回の震災を経験した地震国日本は,今度こそ国民に対し,被災地が本当に必要としている援助を,タイムラグとともに具体的に示すべきであると痛感した.

 今もなお余震が続く被災地の教え子からは,「不安メール」が届いている.いま私に何ができるかを問い続ける日々が続いている.

風の谷〜泰阜村
 若草摘みに行こうよ

「悠々」の一日は,泰阜村のすべてが凍り付いている早朝6時半,
   バイクで駆けつける賄いスタッフのM.S.さんが発する「お早うございます!」の元気な声がセンター中に響き渡って始まる.
  この元気な掛け声は,長い長い夜をベッドの中で過ごしているお年寄り達に安堵感を与えている・・・らしい.
「ああこれで,今日もご飯を食べさせてもらえると思って安心する」ともらされた言葉を耳にして,「ああそうなんだ,一人暮らしのお年寄りにとって,暖かなご飯を手作りで食べさせてもらえることがこんなにも安心を与えるんだ」と長い間一人暮らしでがんばってきたお年寄りたちが,実は長い間満足なご飯を食べられなかった現実が痛みとして伝わってきた.
  大切な事は,何か特別な事をするのではなく,「普通の当たり前の暮らし」が,たとえ年を取っても続けられるということなんだとあらためてわかった.
  今日は1月14日どんど焼きの日.
 ボランティアの男性群の助けを頂き,消防署に許可をとって「悠々」の庭でお正月飾りや古いお守りを燃やす.
そのあと大好きなお餅を入れてぜんざいを食べるのを楽しみにしている.古い昔からの伝統行事のなかで,ゆっくりと生き事・・・・
  近隣のお年寄りたちが集まってきて,あれやこれや手伝いながら,みんな笑顔でこころも暖かくなる.
  お年寄りたちに囲まれて,本当に幸せを頂いているのは,私達スタッフなのかもしれない.
いつもいつも何かとても大切な事を教えてもらっている気がする.
今朝も気温は氷点下,でも「悠々」の中は、薪ストーブが一日中トロトロ燃えて暖かい.
1月16日 理事たちは冬山に薪を切り出しに行く・・・

感謝!本当に有難うございます。
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風の谷〜泰阜村
 実りの秋 異変

泰阜村の棚田に黄金色の稲穂が揺れている.
 今年は台風が近くを通り抜け,大雨にも打たれたけれど,大きな被害もなく収穫を迎えられたように見えた.
ところが例年の5割減収という.猛暑がこの貧しい村を直撃している!
 我が家の庭の山栗の木が青い実を庭一面に落している.そんな木を見上げていると「暑いよ〜」って悲鳴が聞こえてくる.

「悠々」のお年寄りたちも,空に灰色の雨雲の影が現れると,必死の思いでその影を追っている.
 「あの雲は 泰阜までやってくるのかね〜」
 「来る来る 今度こそきっと来るよ」
願いもむなしく ギラギラした日差しが戻ると,「しかし暑いね〜」と 誰に言うともなく独りごちる.
 そんな 夏だった.
夏祭りが過ぎ,お盆が過ぎて,もう秋の彼岸を迎えた泰阜村.
 悠々の91歳のお年寄りたちは 熱中症に見舞われたときもあったが,秋風が吹くようになって 体調が落ち着かれた.
4人しかいないスタッフの二人を, 週2日ヘルパー講習会に出したこの3ヶ月.それを支えた残りのスタッフと, 
遠く埼玉と東京から駆けつけたボランティアさんへの感謝は,とうてい言葉では言い尽くせない.

スタッフが帰ってきて,やっと余裕が出てきた「悠々」に,笑い声が響くようになった.
  決算は9月末,11月総会準備のために最近の理事長の目の色が変わってきた.
 「泰阜村は,村そのものが村民のボランティアで成り立っている一つのNPO法人ではないか.」との指摘を受け,こんなにも村民が疲れきっていることの理由がわかった気がした.
  隣村の親と同居している独身の長男が自死された.
 その理由が友人へのメールに書かれてあったと言う.
「過疎の村に住む若者は,村の殆ど強制的な使役から逃れることが出来ない.

  仕事でどんなに疲れていても,殆どの休みは村のために駆り出される.もう疲れた・・・」
 残された母は,その日から泣き崩れたまま 床から起き上がれなくなっていると言う.

理事長として私は「悠々」運営の方針転換を決意している.
 悠々の活動を支えるボランティアさんたちは,今後 都会から来ていただくよう積極的に発信して行く事にした.
このブログを目にした皆様にお願い!
 あなたの時間とエネルギーを 少しだけでいい、過疎山村 風の谷〜泰阜村にいただけませんか?
  ご連絡をお待ちしています.-----


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