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風の谷〜泰阜村
  理事長の条件について

 正月も明け、今日は七草がゆをやろうかという朝6時、ベッドから抜け出そうと体を起こした途端洗濯機の回転ドラムに放り込まれたような眩暈が襲った。トイレに行きたいが立ち上がれない、無理に動こうとして床に転げ落ちた。床を這ってトイレまでたどり着き胃液を吐いた。浴室の洗面器を引きずり出しトイレットペーパーを引き抜いてベッドにたどり着き、さてどうするか。夫が単身赴任のわが身は、単身独居高齢者そのものなのだった。窓の外は牡丹雪が降っている。悠々のスタッフは一人朝ケアで9時までは身動きが取れない。しばしじっと頭を枕に押し付けたまま時を待つことにした。9時すぎ、かかりつけ医の循環器内科クリニックに電話する。「目が回って起き上がれれない、吐き気が止まらず吐き続けている。どうしたらいいか」Dr.「頭痛はするか、手足の痺れや麻痺はないか」「いいえ頭痛はなく手足の痺れもありません」Dr.「じゃ睡眠不足や疲れからくる回転性眩暈だと思うから。ゆっくり寝ていなさい。それが一番の薬だよ」「はいわかりました。そう致します。どうも有難うございました」となり、昼の12時まで寝ていたが、雪はどんどん本格的に降ってくるし、吐き気は止まらず、とうとうペットの餌やりを悠々にお願いすることにし、スタッフに電話をすることにした。脱水症状になる可能性も考え夜まで待って病院に駆け込む非は避けたいと考え、「誠に申し訳ないが」と言ってお隣のNさん(山の反対側に住む)にすがるしかないかと電話をかけた。直ちに駆け付けご夫婦二人がかりで病院に運んでくれた。山道を下る車の中ではビニールの袋を被って吐きに吐いたが、嫌な顔一つせず病院に運び込んでくれた。遠くの親戚より近くの他人(親戚以上義兄弟!)とはこのことを言うのだろう。

 県立病院、休日なのにドアを開けていてくれる病院が存在することのありがたさをこの身で知って、改めて涙が出るほど有難かった。一日点滴し、一昼夜死んだように眠って翌朝、眩暈が止まりトイレに行けるようになり朝食のおかゆを少し食べ、吐き気が上がってこなかったので、退院となった。

 10年間で車ごと崖から落下したことが1回、寝起きに転倒して右膝蓋骨骨折が1回、インフルエンザ罹患が1回、(いずれも自宅療養)そして今回の疲れのための入院である。こうしてみると不注意が2回もある。

 入居者が重介護になり、スタッフも年を取ったり病で倒れたり、そして今年は大切な役員のお一人を昨年末26日に亡くした。

理事長も来月は77歳となる。

 どこも人出不足が経営者を追い詰めている。零細企業の悠々、人事管理もやり、事務もやり、人出がなければケアもやり、賄いもやる。つり橋を渡っているような日々である。

 そこで理事長の条件、若くて健康。そして人に対する愛であろう!!

 

風の谷〜泰阜村  
 入居お問い合わせから(家族の窮状/行政の窮状)

 列島を襲った大寒波は、ここ長野県南部にも雪を降らせた。その雪は昼も溶けることなく根雪となった。

最近、悠々に隣村(深い山を抱えている)からの入居のお問い合わせが続いている。80代後半の老夫婦世帯や単身独居世帯で、入院後の退院先がないという状況下にある人たちである。もう一つは入居者の親族から「もう一人在宅で看ていた年寄りの介護が限界になったので、そちらで看て欲しい」との要望である。日増しにその問い合わせが増え、介護保険の縛りが、ここにきて過疎山村の地域に住む年寄りを直撃しているという感を深くする。介護保険の家族が看る+地域で看るという論理は、現実として不可能と言うことである。ここ泰阜村でもこの冬立て続けに多くの年寄りが亡くなられ、一日に2、3件の葬儀に走り回るという異常事態に陥っているのが現状である。現実的にはもう一つの足枷があって過疎山村の村民税非課税世帯の年寄りが多く住む行政では、その年寄り等のための横出しサービスが財政的に不可能と言うことである。したがって民間の高専賃やサ高住への入居を打診するしかないが、どこも一日5千円(部屋代)で追加料金として食事代、公共料金/水道光熱費、受診時の付き添い料、介護保険のレンタル料(家事/部屋の掃除・洗濯・買い物等)が発生し、結局自己負担分は25万円から30万円近くになるという。その上認知症は受け取らないと言われるらしい。「悠々」だけが認知症でも精神障碍者でも受けてくれるというので知られているそうである。

認知症の方へのケアは、24時間の見守りケアが絶対的に必要である。そして問題は何時発生するのかわからない。先日も徘徊の方が鍵を開けて思いついたときに脱出してしまうので、追いかけて、納得されるまで山道を1時間近くもついて歩かなければならなかった。総じて80代のお年寄りの脚力には、最近の車世代の若者は到底かなわない。脱帽である。何度も繰り返される問いかけに飽きることなく対応する。うんざりしない‼(これはすぐ伝わり、不安症状を悪化させる諸悪の根源となる)このケアを守って10年、「悠々」の実績はひたひたと近隣の地域包括の方々に口コミで広がっているらしい。有難いことである。しかしスタッフの忍耐は半端なものではない。どうするか理事長‼スタッフを元気づけるためにお金以外の(どこを絞ってもないので・・・)何かいい知恵がないかと、この正月は頭が痛いことであった。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村   
  新しいお客様(認知症の方の苦悶)

 師走に入り本格的な冬の到来に悠々では床暖房のスウィッチが入り、薪ストーブが一日中赤い炎を上げている。別天地のようなリビングに入ると、訪れた人は引き寄せられたようにストーブの前に座り、そっと出された1杯のお茶をすすりながら「ここは暖かですね〜、なんか心もほっとしますね」と嬉しそう。

 隣町の地域包括さんからお問い合わせが入り、「80代ご夫婦の夫が自動車事故で入院した、認知症のある妻(まだ介護保険未申請)をこの寒さの中独り残しておくわけにはいかないので、悠々で急きょ預かってもらえないか」というご相談であった。浜松から駆け付けたお子さんたちに連れられたKさんは、夫の自動車事故に気が動転し、急に子供たちがやってきてあれやこれやと自分を引きずり回すのに混乱し、「悠々に泊まるんだよ」と言う言葉に猛然と抵抗した。

 下を向いて口を一文字に結び「私は一人でちゃんとやってきた。大丈夫だ。何も心配されることはない」と言い切る。子供たち二人がかりの説得が2時間続き、双方ともに疲労困憊していた。

「とりあえず、お夕飯を私たちと一緒に頂きませんか」と進めてみる。置ていくわけにもいかず、かといって連れて帰るわけにもいかない子供と孫三人は、悠々の手作りあったかご飯をお相伴することになった。家族のように寄り添って悠々のお年寄りがスタッフと一緒に食べている光景に、ご本人もご家族も「ここはいいですね」と呟く。施設の食堂らしくないらしい。Kさんの顔にも笑顔が見られるようになった。

 その様子を傍から見ていた理事長からの一言「今日は一気に日常にはないことが続きましたね。御婆ちゃんには一番苦手なことが起こっているのだと思います。そのような状況の中で、たった一人見も知らぬところに置いて行かれるのは本当に不安でしょう。どうでしょうか、ご家族もご一緒に今晩は泊まられるというのは?」顔を見合わせた二人は、「それもいい考えかもしれない」とのことで急きょ三人で同じ部屋にお布団を並べて泊まることになった。

 それ以来Kさんは、「しょうがないね〜」と当分お泊りすることに承諾した。子供たちは毎晩のように浜松から往復しながら入院中の父親のお世話、帰りは悠々に立ち寄って母親の様子を確かめるという日々が続いている。

 そこでKおばあちゃんの様子:「ご飯がおいしい」と3食は完食、10時と3時のお茶の時間は1時間ほどかけてスタッフや隣の席に座った90になったばかりのMおばあちゃんと「あんたはどこから来たね」とあれこれの質問に答え、「わしらの若いころは・・・」と話しに花が咲いて、見知らぬところではなくなってきているようだ。スタッフの昼休憩には、一緒にこたつに足を突っ込んでおしゃべりしながらTVを見て過ごしている。「おじいさんはどこに行ったかね」、「トイレはどこかね」「あ〜トイレの流し方がわからん」・・・おそらくご自宅では和式便器かな?

 入居者やスタッフがいつも見えるところにいることが、不安を減らすのに役立っているのかもしれない。

それにしても緊急事態の時に見知らぬ施設に預けられてしまうお年寄り、どれほどの不安であろう。小学校区に一つ地域の行事のたびに皆が集まる。そこに併設のケア付き民宿があればいいのにと、今回の経験でまたその感を深くしたところであった。

 

 

 

風の谷〜泰阜村     
     施設でのケアの限界とは・・・

 北信では今日も雪が舞うと聞き、2,3日前に融雪剤18袋を集落の急坂な村道脇に置いて回った。1袋25Kg のそれはあまりにも重く、女の年寄りでは引いても押してもびくともしないということで、やはりご近所の70代後半の男性が軽トラックでやってきて「手伝うから横に乗って」と言って、手伝っていただいたが、それが要因かどうか2日後に入院してしまった。うちの部落は総勢10軒、そのうち80代の寡婦が二人、単身赴任で一人残された老妻が二人、80歳を超え障碍を持っていて重い仕事ができない人が三人、重い病気の療養中の男性一人、ということで6軒は班長の仕事が困難である。自分の地域を愛していて、離れられない者たちが助け合って暮らしている。その年老いた仲間たちに厳しい冬が到来した。

 悠々はその年寄りたちに灯火となるか?心を温める焚火となれるかが今から試されるのであろう。

先の総会の来賓あいさつで、村長が「この事業が真に村民に受け入れられるようになるのには10年、20年かかるのであろうと思う。がんばってやってください」と今後を託されたが、前にずらりと並んだ役員の顔触れは、紛れもなくくたびれた年寄り達に他ならない。それを受け懇親会では、「月に1回はボランティアをしに通ってくるよ。息子たちと相談して村に移住するか相談してみる」という厚木在住の組合員の力強い言葉を頂き、神奈川在住の新入会組合員のお一人は「冬の自家用車は厳しいから、電車でくる方法を調べるよ。月1回は来るようにするよ」とやってみればあまりにも遠い距離に閉口するのだろうが、そんな嬉しい希望の灯を置いて行かれた。

 さて悠々では悪性腫瘍の短期療養入居者をつぎつぎお預かりし、(入居者は少ないのだけれど)最少のスタッフで対応している。週1回の市立病院への通院介助、ご本人とともに入居されているご家族のケアも担いながら、徐々に重くなる症状に悪戦苦闘の日々に突入した。大変なのは、医師に指示された重要なケアを、本人が頑固に拒否されることである。この時、本人の意思を尊重(自尊の心)すると、病状が新たな段階に突入することが確かであるとき、(専門職による特別なケアを必要とする時)それを放置することはできない。

 これが施設のケアの限界であろうか。

本人は、病院からの帰途車中で「あと1年、2年は生きたいな・・・」と呟かれる。

「車は運転したい。議員の仕事も悠々の会計事務も自分がする。正月は家に帰って家族とおせち料理を食べる。トイレは自分で行く。ケアは必要な時にしか要らない」とがんこに貫かれる。

 人は本当はこうやって最後まで自分らしく生きていたいのだ。 

風の谷〜泰阜村   
    晩秋に思う・・・

 雪の便りが聞かれた。泰阜村ではあちこちの軒下にすだれ柿が吊るさせれている。冷たい北風の到来に錦秋の森に落ち葉が舞って、日増しに森が明るくなってきた。落葉樹の森に落ち葉の絨毯をサクサク踏んで、独り散歩するのがいい。

 11月26日の日曜日に、村長や村会議長等村の来賓をお迎えして、第11回通常総会を開催することになった。

この村に通うようになってもう40年になる。そしてこの村に「悠々」を作りたいと思い立ち、本格的に移住してからでも12年経つ。長いかな〜短かったような気もする。今回の総会は、来年には10年間の指定管理の区切りを迎えるということで、村にとっても我が役員やスタッフたちにとっても意味深いターニングポイントとなる。

 この9年間で視察者は北は北海道から南は沖縄まで、実に多くの方たちと交流できたように思う。その方たちが決まったように口にする言葉がある。「何故かわからないのだけれど、ここに居るとほっこりして体中がゆるむ気がする。帰りたくない気がする。」そう言って思い出したように民泊のリピーターになられる。

 当初それを目指したわけではない。しかしこの村で、この大自然に包まれた里山の奥深くに(近くのJRの田本駅は秘境である)、ひっそりと仲間たちと身を寄せ合って和やかな家族のような暮らしがしたいと望んだ結果、今の「悠々」が出来上がった。私の心がけたことはそれだけだった。

 この事業は、厚生労働省ではなく(これまでたくさんの補助金を事業を起こしては厚生労働省から頂いたけれど・・・)当初の大型の補助金は、日本の過疎山村に住む、経済発展から取り残された貧しい村の、それもまた時代の荒波に取り残されたお年寄り達と、身を寄せ合って、貧しいけれど幸せになれる暮らし方を実現したいと訴えて、その活動拠点としてのバリアフリーの建物を建ててくださいとお願いしたのだった。

 この12年間住民として部落の班長をやり(同時に5つの役を抱えることになるのだが・・・)、村の運動会でよろよろと走り、綱引きで優勝するまで力を入れて村の古参のお年寄りに笑われ、年に数回の道路愛護に汗をかいた。もう部落のお年寄り達とは、家族未満友達以上の関係である。そのように生きてきて、お金では買えない幸せを頂いた。

 TVの中で偉いお役人たちが「これからは地域の時代だ!」と叫んでいるようだが、地域の絆はお金では買えない。天から降ってくるものでもない。自分の村を守るために共に汗をかき、困ったときには飛んで行って「大丈夫か」と顔をのぞかせ、自分でできるほんの小さなことをする。それらの日々の暮らしの中で積み重ねた「思いやり」が、知らぬ間に地域の絆を育てていってくれたのかもしれない・・・と思う。

 そのお年寄りたちがご近所さんを誘って、月に1回の「地域リハビリ教室」に集まってくる。お母さん役の理事長の手料理が「おいしい!」と言ってみんなでほめ殺しにする。入居者たちも1ケ月に1回会えるご近所さんから最近の情報をゲットしているらしい。

 一番いいのは、この「リハビリ教室」の後である。お年寄りたちは畳コーナーのこたつの中に足を突っ込んで、ゆっくりおしゃべりしたり昼寝をしたりして、まるで誰かの家の離れのようだ。そう感じているらしい。

 そして先生方は、混迷する地方の活性化のためにどうすればいいのかと、熱い議論をする。「〇〇〇研究所を創ろう」という話まで出てくる。「どう思う?」と聞かれ、「あのね私はいったいいくつになるのかを考えてみて下さい」と答える。もうじき80歳に手が届きそうだというのに・・・何を言い出すのやら。

 「悠々」では特別なことは何一つやってこなかった。できなかったのもあるが(星空観望会、託児所、地域名産物販売等)、「ケア付き民宿」が今のところ一番のヒットメニューであろうか。それと「悠々食堂」。村に一番必要で、それにもかかわらずこれには介護保険も他の補助金もつかない、とあって評判を呼んでいる。

 なにも特別な事ではない。ただこの村のお年寄りにとって、とっさの困ったとき、これがあれば生きていけるというものである。


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