ブログ

風の谷〜泰阜村     
    染み入る言葉を頂いて

昨日は蒸し暑い一日だった。悠々ではお年寄りが寒がるこの季節、扇風機さえおけず、ましてやクーラーもかけない。私たちスタッフは大汗を拭きながら「暑いね、暑いね」を連発し「もうこれ以上脱ぐものはないし、風はそよとも吹かんし、あはは」と愚痴っていると、M.M. おばあちゃん「今日は暑いね〜、わしはやっとガラス窓を開けて網戸にしたよ」という。「Mさん、あんたはまだ腹巻と股引はいてんのかね」と聞くと「勿論さ、股引も履いてる。これは一年中取れんのさ、腹巻とると下痢をするし、股引脱ぐと足元が冷えて冷えて寝むれんのさ」という。「そうか、でも真冬のダウンケットはもう外そうよ。夏掛けの上に毛布を掛けて調節しようか」というと。今度はI.M.おばあちゃんも声をそろえて「駄目だ!腹巻はしとらんけど、わしも股引を一年中脱いだことはないよ。冬布団も昼はくるくると足元に撒いておいて、朝晩はそれを引っ張りあげて寝るんサ」という「朝晩は冷えるからの」・・・「そうなんだね、わかった」私たちスタッフは、こうやってお年寄りと私たちの皮膚感覚のずれが根本的に違い、お年寄りが暑さ寒さを自由に調整して生きているのだと知ったのであった。

 その会話の中で、「私はこの年まで本当に苦労して生きてきた。農家に嫁に来てから、70年間お父ちゃんと一緒におれたのはたった10年間だった。お父ちゃんはトンネル堀の塵肺で倒れるまでずっと出稼ぎにでて家計をささえてきてくれた。残された私は一人で子供を育てながら家を守らにゃならんだった。田の代掻きが出来んで、隣のおじいちゃんによう笑われておった。そのおじいちゃんは見ておれんと言って、ほんに親切に代掻きを手伝ってくれたもんだった。わしは本当に親切ないい人に助けてもらってここまで来たと思う。お父ちゃんが帰ってきてからの最後の2年は入院していて、一日中ずーっと傍に付き添っていた。親戚の嫁さんが「たまには変わってやらにゃ〜」と言われたけれど、お父ちゃんが「あれが一生懸命世話をしてくれるから、M子でいい」と断ってくれた。「嬉しかった」という。

 つづいて「生きているということは本当に大変な事。こんな年まで生きておって家族に迷惑を掛けて申し訳ないと思っておった。自分から『施設に入れてくれ』と頼まにゃいかん歳が来たのだと思っておった。だが今度息子から『手術のために入院するからどこかに預けたい』と言われた時、じっと息子の目を見た。息子もそれ以上何も言わず、じっとわしの目を見ておった。とうとうその日が来たのだと知った。家を出るときわしは『ちょっと車を止めてくれ』と娘に頼み振り返って家を見た。70年も暮らしてきた家を見たかった。もうあの家を出たらこの家には帰れないのだと思った。辛かった。振り返ったら息子が一人門の前に出て、見送って居った」と涙を流しながら語ってくれた。

 施設に入るということの意味を私たちはもっともっと深く受け止めねばならないのだと知らされたのだった。

その後に続く言葉で、私たちも涙した。

「この年までいろんな施設を見て来たけれど、こんなゆったりと自分らしく過ごせる施設があるとは知らなんだ。私はここにきてもう思い残すことは何もなくなった。幸せにお迎えが来るまで待って入れると思う。ここのスタッフは、それぞれ顔が違うけれど、みんな本当に優しい一つの心だと思った。どうしたらこんな一つの心になれるのか知りたいもんだ。今度入居するAさんも(ご近所のお知り合いの方らしい)早く入ったらいいと思っている」

 10年目にこのような言葉を入居者から頂いた。この苦しい時に私たちは天からの励ましの言葉を頂けたのだ。ただ、ただ感謝‼

風の谷〜泰阜村    
   要介護4退院患者M氏をお迎えして

 2か月前に脳梗塞左麻痺重度で緊急入院し、何とか命を取り留めた92歳の男性が、リハビリ入院を終えて夫を待つ妻の下に帰ってくる...。要介護1だった彼は要介護4となったけれども、見守り付き歩行器歩行、介助付き嚥下食、見守りポータブルトイレと重度の介助付きの身になって戻ってきた。問題は精神的に自律神経失調症を抱えている90代妻との同室での生活である。

 可能な限りケアは私たちスタッフがやるので、緊急時の通報をお願いすることになる。

最後まで、ご家族を支えながら懸命の支援をお約束した。どんなに介護が重くなっても、長年連れ添ったご夫婦でともに残りの人生を過ごせるように私たちで、全力を尽くそうと思う。

 もうお一人時期を同じくして85歳の女性が永住入居を希望してこられた。81歳で転倒骨折し骨粗しょう症があると言うことで手術は受けられず絶対安静にして自然治癒を待つという医師のご判断で、4年の間寝たきりの3ヶ月事の施設移動が続いた。要介護度が1と言うことで特老には受け入れてもらえず、老健をたらいまわしにされていた。諸事情があって61歳の長男一人がこの母親の世話をしていた。他の家族はみな病や障害に倒れ、彼だけが家族の介護・療養を引き受けていたのだが、限界に来たとの訴えがあった。

そのお年寄り85歳要介護1をお受けすることになった。車椅子見守り介助の彼女の問題は、精神的問題を抱えているとの情報があるが、普通のお年寄りが4年間も施設を放浪して生きていなければならないなど、精神的におかしくならないほうがおかしいと思う。

 このお年寄り手がかかりそうだが大切にできるだろうか・・・大切にしようと思う。

 それにしてもスタッフの人員が足りない。朝ケアに一人のヘルパーが獅子奮闘しても30分もかかる。その方々を3人も抱えていてはスタッフがつぶれる。労働基準監督署の目も光っているし・・・理事長が賄い週2日と朝ケアをそれ以上抱えるなんてこといつまで続くことやら・・・と思う。せめて朝ケアだけでも介護保険サービスの巡回サービスをお願いしたいものである。

 社協も人材不測で振り回されている現状では、これもなかなか難しいとのことである。

さて、困っているご家族の支援を続けるためには、強力な人材を確保するという理事長の力量が求められる正念場にかかっているということであろう。

風の谷〜泰阜村      
   94歳自立女性の入居顛末

 この度、隣村から新しいお年寄りをお迎えすることになった。94歳女性自立三世代同居(泰阜村出身)。しかし同居のご長男が手術のために入院となり、その間転倒の恐れがあるお年寄りの見守りが出来なくなるのでと、1か月の短期入居でお預かりしていた。そのI.M.さんが1週間ほど悠々の暮らしを体験してこんなことを呟かれた。「わしは、自分では掃除も洗濯も何でもできるし、裏山の畑にも出て行って畑仕事もできるので、家族には迷惑を掛けないできたと思い込んでいたが、本当はやっぱり留守の間に転んだら困ると心配かけておったんだね〜」。しばらく様子を見ているとかすれ声が異常に小さい。悠々で朝昼晩と10時と3時のお茶タイムに食堂に出てきて、臨席の89歳のM.M.さんが知り合いだったということもあって、おしゃべりが弾んだ。そのうちに「こんな連れがあってよかった。施設に行けと言われたがこんなに楽しいとは思わなんだ」とお互いに楽しさ倍増の日々となった。女はいくつになってもおしゃべりが元気の秘訣なんだということになった。そして約束の1か月が近づいてきたある日こんなことを呟いた。「わしはこれまで長い間声を立てて笑うということがなかった。家族は優しかったけれどみんなそれぞれが忙しくしていてわしのいる場所はなかった。わしは飯がすむとすぐに自分の部屋に行って他の家族たちが楽しそうにおしゃべりしているのを聞いていたもんだった。それでこのごろ年寄りは長生きをしてはいかんのだな〜と思うようになった。家族たちはみな優しいので、施設に入れとはいえないのだから、わしから施設に入れてくれと言わにゃぁいかんのだなぁ・・・と。でも何十年も住み慣れた家から離れるのはつらくて言えなんだ。大好きな家族達と離れるのは決心がつかなんだ。けど、ここならゆっくりと自分らしくおらせてもらえる。ここにおいてもらえるのかね〜。このような年寄りが幸せなっていいのかね〜」「それとここで最後まで置いてもらえるのかね〜。それが心配で・・・」

理事長「大丈夫ですよ。あなたがそれをお望みで、ご家族がそのことを『いいよ』といって下さったら、最後の息を引き取るまでここで私たちと一緒に暮らすことができますよ。私たちはご縁で結ばれた新しい家族のように暮らしましょう」

 1か月半後ご家族との話し合いをして、永住入居の契約が結ばれた。

この1か月半のI.M.さんの永住入居に至る顛末を経験して、お年寄りが90歳を過ぎると身の置き所がなく、あの信州のどこかの姨捨山伝説を思い出すのだと知った。

 後日古老から、「昔『姨捨山』というところが泰阜村にもあったんだよ。この村では年寄りが70歳になるとそこに捨てられたもんだ。」深沢新一の姨捨山の伝説は、信州の山深い部落の90代の年寄りには自分の事のようによみがえるのであろうか。

 その姥捨山伝説を、悠々では「最後までゆっくりと穏やかにいつものように暮らして生きていてもいいんだよ」に塗り替えたいものだと思う。

 森に包まれた我が家の庭の木陰に、楚々としたピンクの笹ユリが満開だ。

 森の精たちに包まれ泰阜の幸せを頂いて 私は今日も元気になる。

 

風の谷〜泰阜村
心はやれども・・・

 5月,今年の春はやっぱりおかしかった。真夏が来て2,3日後には炬燵やストーブが欲しかった。入居者のお年寄り達も体調が思わしくないようだ。そしてこの老体も10周年記念式典の喧騒が収まっても、いつまでも疲れが取れず今回倒れた。薬の数がまたまた増え、年を取るということはこうゆうことなのだと感じ入った。

 我が庭のヤマボウシが真っ白な花をやっと咲かせ、笹小百合の蕾が大きくなってきた。ゆっくりと密やかに初夏の気配が始まっている。あの浅黄色に包まれた里山は深い緑に変わり、悠々の軒先のツバメの巣の雛たちも大きくなった。悠々の庭には雉の親子が姿を見せるようになった。

 新しいお客様たちの訪問が続き、お問い合わせの電話が増えている。私たちは少ないスタッフで頑張る・・・と言うつもりであったが、一番先にやはりこの年寄りの体が音を上げた。心はやれども,である。

 さて,この人出不足の危機をどう乗り切るか・・・。その時に天は悠々を見捨てなかったようだ。30代の山形出身の若者が悠々とご縁が出来,あれこれと助けていただけることとなった。独り親方と言うのであろうか。大切な彼の家庭を守るために、村の重鎮のあちこちに声がけし,彼の仕事を途切れないように村のみんなでサポートしていこうということになった。

 過疎の村にとって大切な労働力が,私たちを助けてくれると言うのだ。大切に守らなければ罰が当たる,と思う。 

風の谷〜泰阜村    
   記念式典を終えて〜春本番〜

 10周年記念式典を終え、あたりが浅黄色から深い緑の森に代わっているのに気付いた。式典は予想よりずっと多くの御来賓や知人友人の御来席を頂き、大阪坂本病院S院長様からのプレゼントで、和太鼓「MaDaRa]メンバーのジャズのリズムを感じさせる軽快な太鼓演奏は、会場のおしゃべりを止めさせるほど魅了ある音楽であった。

 沖縄のW理事長様からの琉球王朝古酒泡盛での乾杯は、記念品の特注の素敵な桜模様の一合升に入った美酒で参加者の度肝を抜き、その後の歓談の糸口となったほどであった。和やかに入り乱れて話が弾み予定よりも長いお時間をお楽しみいただいた感じがあった。

 お帰りには議員さん達から「先生、10年よう頑張った。これからは応援させてもらうでな・・・」とのお言葉を次々と掛けられ、理事長の目がウルウルとなるほどであった。

 10年は私にとって長かったであろうか。開所式の時の疑惑に満ちた視線(当然だが)を思うと、格段の暖かさを感じる今回であった。くじけないでやってきてよかったと思う。私が掛けた願いは「この地に住むすべての人々に安心を与える事」であった。今にして思えば力不足は明白である。しかし10年を振り返ってみればこの地の人々に、自身の暮らしを(大雪で車が埋り、大雨時倒木が玄関を直撃し、凍結した急坂で脱出不可能になった時駆け付けてくれた事等々)丸ごと抱えてもらっていた安心感がある。

 悠々も多くの組合員さん、ご近所さん隣町の地域包括の方々、そして私の大切な友人たちに支えられ励まされて今日まで幸せであった。そのお力を頂いて私は当初の「誰もが安心して住み慣れた地で住み続けること」ができますように、これからも全力を尽くして頑張っていきたいとお約束した式典が終わった。

 皆様本当に有難うございました。そしてどうぞこれからも応援をよろしくお願いいたします。

 

 この度私共の「高齢者協同企業組合泰阜」の「地域交流センター悠々」の諸事業活動に対し、長野県中小企業団体中央会様より 会長表彰を頂きました。本当に身に余る光栄で、この事業がNPO法人でもなく、社会福祉協議会でもなく企業組合を選んだ理由が、「自分達の幸せは、まず自分たちで工夫して自分たちで勝ち取る努力をする。それでも個人の力が及ばないときこそ公的援助で助けてもらう!を信念に頑張りたいからである。」と申し上げたことが、中央会の役員の皆様の納得を得られたのだとお聞きした。

 嬉しかった、感謝でいっぱいで言葉にはならなかった。「これからは県中央会も後押したい」とS副会長からの直々のお言葉も賜った。悠々の新しい希望である。

風の谷〜泰阜村
  悠々・サポーター達からの変わらぬ愛!

 泰阜村の里山が浅黄色に包まれて、地の底から立ち上るような生命の力を感じる。その泰阜村に、一昨日愛犬を連れて久しぶりに訪れて下さった10年来の組合員にお会いした。愛車ポルシェに乗られて颯爽と自宅の玄関に顔をのぞかせた時、懐かしさで心がいっぱいになった。超が付くほどのご多忙の関西方面の病院経営者である。「元気か?」とまず聞かれる。「え?あ〜、ええ・・・」と答える。「10年経って経営状態は順調に推移しておられるのか?」。痛いところを突かれる。答えに詰まりしどろもどろの口をあうあうさせているともう察してくださって、私の言い訳をじっと目を見ながら耳を傾けて聞いてくださる。

 苦しくないはずがない!それをどうやって切り抜けてきたかを探られて、最後にいつもの私の言い訳「もうだめだと言う時に天が私を見捨てないで、悠々で看取られた子供のないあるお方が、遺言状に理事たちがひっくり返るほどの遺産を寄付してくださって、実はまだ・・・当分の間倒産しません。大丈夫です。それと『この悠々があるから私は安心して歳を取っても最後まで自宅で頑張れる』と言う方がおられるので、頑張れます」。遺言状と聞いてびっくりなさったS氏は、悠々の10年間の主事業が、お年寄りにはデイサロン(デイサービスが苦手な男性群の利用)と食堂(子供たちが帰省すると一家そろって利用&授産所の帰り道に友人との夕食等)、ケア付き民泊(術後退院後の短期入居&家族の都合によるお預かり)等安定的に増えていることなどをお話しして安心していただいた。

 大都会のこのような経営者にとって、10年間無給で働く経営者が、人出のないすべての職種をカヴァーしながら這いつくばって続ける意味について深く考えるとおっしゃった。

 そう、私はこの大自然生命があふれ、四季折々にその見事な顔を見せる神秘の山里が好きなのだ。そしていろいろあるけど、その山里の民たちに愛されて見守られていることで十分幸せなのだと感じていただけたようである。

 「5月13日にはどうしても仕事があって出席できないので顔を見に来たのだけれど、泰阜村は本当に素晴らしい!!」と感動して帰られた。それだけがただ嬉しい。さあ明日からは10周年記念式典の準備に追われる。

 大学教員時代の教え子から次々と式典に飾ってと豪華な胡蝶蘭が届けられ、沖縄の友人医師からは泡盛の樽酒が届き、岩手からは銘酒の6本入りケースが届いている。

 参加できないからとあふれるほどの愛を頂いている。「もう辞めたいなどと言わせない!」・・・「わかったよ!がんばるよ!」

風の谷〜泰阜村    
結婚披露宴三次会?騒動

 春夜「結婚披露宴の後の花嫁さんが疲れるので悠々に泊まりたい」とのお申し出があり、東京からのご友人と二人、夜8時のチェックイン予約が入った。ケア付き民宿?(この場合ゆっくりと疲れを取っていただけるよう算段をしていたーex.美味しい夜食の用意、広い浴室を温めて置く等)まあゆっくりしていただくか・・・と高を括った理事長が手料理を作りお待ちしていた。ところがである。夜の9時を過ぎても姿が現れない。盛り上がった披露宴を抜け出せないのであろうと9時半まで待って、ご紹介いただいた知人に連絡を入れた。「あの、本当にOさんはいらっしゃるのでしょうか?今は披露宴はどうなっているのでしょうか」「私は一次会で帰ったのでそのあとの様子はわかりませんが、ちょっとお電話をしてみましょう」ということになり、現れたのが若ご夫婦と知人、夫の同僚の総勢5名。ぎょぎょぎょ!その上「僕たち何にも食べてませ〜ん。何か食べさせてください!」と叫んでいる。

 用意しているのは二人分、先にお風呂を勧めておいて、急きょ冷蔵庫の中のありあわせのものを工夫して・・・よくあることだが、酔っぱらった夫が、見知らぬ仲間を引き連れて「お〜い、腹減ったぞ、何か食わせろ!」と聞いたことがあったっけ。

 里の母親の気分で腹をくくり、何品かを追加してテーブルに並べた。手作り焼き餃子/煮豚/たっぷり野菜サラダ/酢の物/ご飯に味噌汁・・・好評だったのがお味噌汁で4人そろってお替りし鍋が空になった。テーブルの上が空になったころ「そろそろお風呂に入りませんか?」とやんわりとお勧めし、若者たちには「悠々は、このように若者たちでも食堂や民宿として利用することが可能です!」と宣伝し帰っていただいた。此の夜の理事長の帰宅は深夜12時半。鄙びた民宿のおかみさんになったような気分であった。

 でも心のどこかでこの悠々の近隣に住む人々の誰かが、そっと立ち寄って憩ってみたいそんな場所になれることを願っているのかもしれない・・・.

 

風の谷〜泰阜村
 「地域交流センター悠々」開設10周年記念式典ご案内

 泰阜村の里山に一度に春が来て、浅黄色に燃え出した木々の間から満開の桜が色を添えている。花の好きな村人の家々の庭には一斉に色とりどりの花が咲き誇っている。泰阜村が最も美しいと言われる時が来た。いつものように悠々にはツバメも姿を現して、巣作りに精を出している。我が家の里山にも一斉に紫色の可憐なカタクリの花が咲き始めた。山歩きの古老たちに相談し、腰ベルトに鉈と鎌と折り畳みのこぎりを指し、地下足袋を注文した。毎日朝いちばんにカタクリの花を見に森に入るのが一番の楽しみである。冬の厳しい環境の中から誰に見られるためでもなく、ひっそりと咲くカタクリの花が愛おしく汗を流して・・・泰阜の山の民となるのだろう。

 さて、この春の最中に悠々では、開設10周年記念式典を迎えることになった。この10年間でこの悠々を訪れたすべての人に、そして全村民にご招待状を出した。悠々を懐かしいと思ってくださる方々とお会い出来たら嬉しいと思ったからである。

 もちろん超が付くほどご多忙の方々は、御縁を結ぶことはできなかったが、悠々に行きたいが歳を取り不自由な体を抱えた身では行けないとの、切々としたお声も届いた。人手でさえあったらお迎えに上がったのにとも思う。(三重県の賢島在住という)もうお一方はご主人の心臓の手術を抱えその上自身は難病にかかって旅行どころではないとのお声も届いた。

 悠々が年を取ったように、この東京から最も遠い島と揶揄される泰阜村への大旅行は、御縁がある人しかたどり着けないらしい。でもでもみんな御縁で結ばれた家族なのだから、いつでも声をかけてくださいね。必ず飛んでお迎えに行きますからね‼

 

 冬が終わってこれからは満開の春、5月13日(日)には満開の花々に包まれて過ごす一日を用意して皆様をお待ちいたしております。春の山菜料理もね‼お楽しみに!

 

  

風の谷〜泰阜村  
  悠々の新しい形のお客様

 雪解けの進んだ我が家の庭先にもチューリップ、水仙、クロッカス等の緑色の芽が顔を出した。春が山奥の庭にもやってきた。森の中にはまだ枯れ枝色をしている木々の間を小鳥たちがチュッチュッと囀りを響かせている。

 あたり一面の春の輝きに満たされて、悠々にも春がやってきた気配。新しいお客様である。

 昨日その若いお母さんの訪問を受けた。協力隊でこの下伊那地域にいらっしゃった女性、お隣町でコーヒーがヤケにおいしいと評判の小さなカフェを開いていらっしゃる。お腹には5か月の赤ちゃんを抱えていた。この悠々のひろく暖かな交流センターに一歩入って気に入られたという。それほどでもないが豆から挽いたコーヒーをスタッフに勧められ、落ち着かれたようだった。

 彼女の呟き・・・「こんなところにちょっと立ち寄って休みに来てもいいのかな〜」

理事長「はいはいもちろんです。そのための住民のための交流センターですから、特別な用事がなくても、誰もが好きな時にきて好きなことをしているためにこの悠々は作られたんですから、どうぞゆっくりとしていってください」

 彼女「もう少ししたら出産なんですけど、それまで時々ここで休ませてもらっていいですか?」

理事長「もちろんです。そうやってお役に立てたら嬉しいです。ひょっとして出産後の御里帰りをこの悠々で1か月ほどお世話をさせていただくと言うのはどうですか?」

 彼女「え〜‼本当にいいんですか?里に帰ってもあまり助けてもらえるような事情ではないので、そんなことがお願いできたら嬉しい‼」

理事長「こちらのスタッフは常勤3人・非常勤2人(看護師3人、乳児保育の経験豊富な保育士さん1人、賄い1人)です。安心してお預かり頂けると思います」

 彼女「友達もいて、経験豊富なスタッフがいるなら、安心して出産後の療養が出来そうです。夫と相談して・・・」とお帰りになられた。

 この日をどれほど待っていたか。この事業は、地域のお年寄りばかりではなく、子供たちのためにも、働くお父さんやお母さんたちのための「ちょこっとだけお手伝い」をしたいとはじめられたものだから。

10年経って、やっと初期の思いが地域の人々のお傍に届き始めた予感がする。途中であきらめなくてよかった。待って待って待ち続けてよかったと心から思う春。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村    
    残雪が消えて我が家に春の気配!

 朝まで3センチも雪が積もっていた我が家の庭に、たまたま見つけた夫が「花が咲いてるよ!春だ、春が来たね」と指さしたその先にピンクの椿の花が4,5輪咲いていた。その日は25年間泰阜村の大自然に惚れて通い続け、「ここを終の棲家にしたいからお願い!」と頼み込んで自宅敷地を分けていただいてから15年、やっと熱い念願がかなって、カタクリと笹百合、春蘭などの山野草の宝庫・群生地であったという山林2ヘクタールを譲っていただくことになった。

 二人の村の重鎮が私と大山持ち氏との間を取り持っていただき、保証人までお引き受けくださり、私たち二人が少しばかりの山の斜面を手に入れることになった。なんだかやっと山の民の一員として受け入れていただいた気持がして嬉しかった。足が地面についたという安心感である。

 どんなに嬉しいか、嬉しさがジーンと胸の奥まで染みわたってこの年寄りの命に大自然の息吹を吹き込まれた気がして、私たち夫婦は、早速自分のものになるという森の中を、長靴を履いて歩きまわった・・・。しかし山歩きになれない都会人の二人は、落ち葉が堆積し蔦がテグスのように張り巡らした森の中を歩けずその周囲を歩き回り、外からのぞき込むばかりであった。

 元の木より太い蔦に搾り上げられて殆ど枯れかかっている広葉樹を発見し、助けてやりたくなったが、道具をまず買わなければ・・とこれからの生きがいが見つかってわくわくした。そして足元に若草色の蕗の薹が両手にいっぱい!

 今晩の夕食は春の山菜のてんぷらと決まった。


新着エントリー

カテゴリ

月別アーカイブ

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

コメント

  • 風の谷〜泰阜村      悠々の翁の看取り
    本田玖美子
  • 風の谷〜泰阜村      悠々の翁の看取り
    加藤充子
  • 風の谷〜泰阜村       第11回総会を終えて〜理事長交代
    本田玖美子
  • 風の谷〜泰阜村       第11回総会を終えて〜理事長交代
    加藤充子
  • 風の谷〜泰阜村      秋深し・・・悠々も秋日和
    本田玖美子
  • 風の谷〜泰阜村      秋深し・・・悠々も秋日和
    本田玖美子
  • 風の谷〜泰阜村      秋深し・・・悠々も秋日和
    加藤充子
  • 風の谷〜泰阜村      秋深し・・・悠々も秋日和
    本田玖美子
  • 風の谷〜泰阜村      秋深し・・・悠々も秋日和
    加藤充子
  • 風の谷〜泰阜村        悠々指定管理者更新!
    本田玖美子

RSS配信中

携帯アクセス

qrcode