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風の谷〜泰阜村
 「地域交流センター悠々」開設10周年記念式典ご案内

 泰阜村の里山に一度に春が来て、浅黄色に燃え出した木々の間から満開の桜が色を添えている。花の好きな村人の家々の庭には一斉に色とりどりの花が咲き誇っている。泰阜村が最も美しいと言われる時が来た。いつものように悠々にはツバメも姿を現して、巣作りに精を出している。我が家の里山にも一斉に紫色の可憐なカタクリの花が咲き始めた。山歩きの古老たちに相談し、腰ベルトに鉈と鎌と折り畳みのこぎりを指し、地下足袋を注文した。毎日朝いちばんにカタクリの花を見に森に入るのが一番の楽しみである。冬の厳しい環境の中から誰に見られるためでもなく、ひっそりと咲くカタクリの花が愛おしく汗を流して・・・泰阜の山の民となるのだろう。

 さて、この春の最中に悠々では、開設10周年記念式典を迎えることになった。この10年間でこの悠々を訪れたすべての人に、そして全村民にご招待状を出した。悠々を懐かしいと思ってくださる方々とお会い出来たら嬉しいと思ったからである。

 もちろん超が付くほどご多忙の方々は、御縁を結ぶことはできなかったが、悠々に行きたいが歳を取り不自由な体を抱えた身では行けないとの、切々としたお声も届いた。人手でさえあったらお迎えに上がったのにとも思う。(三重県の賢島在住という)もうお一方はご主人の心臓の手術を抱えその上自身は難病にかかって旅行どころではないとのお声も届いた。

 悠々が年を取ったように、この東京から最も遠い島と揶揄される泰阜村への大旅行は、御縁がある人しかたどり着けないらしい。でもでもみんな御縁で結ばれた家族なのだから、いつでも声をかけてくださいね。必ず飛んでお迎えに行きますからね‼

 

 冬が終わってこれからは満開の春、5月13日(日)には満開の花々に包まれて過ごす一日を用意して皆様をお待ちいたしております。春の山菜料理もね‼お楽しみに!

 

  

風の谷〜泰阜村  
  悠々の新しい形のお客様

 雪解けの進んだ我が家の庭先にもチューリップ、水仙、クロッカス等の緑色の芽が顔を出した。春が山奥の庭にもやってきた。森の中にはまだ枯れ枝色をしている木々の間を小鳥たちがチュッチュッと囀りを響かせている。

 あたり一面の春の輝きに満たされて、悠々にも春がやってきた気配。新しいお客様である。

 昨日その若いお母さんの訪問を受けた。協力隊でこの下伊那地域にいらっしゃった女性、お隣町でコーヒーがヤケにおいしいと評判の小さなカフェを開いていらっしゃる。お腹には5か月の赤ちゃんを抱えていた。この悠々のひろく暖かな交流センターに一歩入って気に入られたという。それほどでもないが豆から挽いたコーヒーをスタッフに勧められ、落ち着かれたようだった。

 彼女の呟き・・・「こんなところにちょっと立ち寄って休みに来てもいいのかな〜」

理事長「はいはいもちろんです。そのための住民のための交流センターですから、特別な用事がなくても、誰もが好きな時にきて好きなことをしているためにこの悠々は作られたんですから、どうぞゆっくりとしていってください」

 彼女「もう少ししたら出産なんですけど、それまで時々ここで休ませてもらっていいですか?」

理事長「もちろんです。そうやってお役に立てたら嬉しいです。ひょっとして出産後の御里帰りをこの悠々で1か月ほどお世話をさせていただくと言うのはどうですか?」

 彼女「え〜‼本当にいいんですか?里に帰ってもあまり助けてもらえるような事情ではないので、そんなことがお願いできたら嬉しい‼」

理事長「こちらのスタッフは常勤3人・非常勤2人(看護師3人、乳児保育の経験豊富な保育士さん1人、賄い1人)です。安心してお預かり頂けると思います」

 彼女「友達もいて、経験豊富なスタッフがいるなら、安心して出産後の療養が出来そうです。夫と相談して・・・」とお帰りになられた。

 この日をどれほど待っていたか。この事業は、地域のお年寄りばかりではなく、子供たちのためにも、働くお父さんやお母さんたちのための「ちょこっとだけお手伝い」をしたいとはじめられたものだから。

10年経って、やっと初期の思いが地域の人々のお傍に届き始めた予感がする。途中であきらめなくてよかった。待って待って待ち続けてよかったと心から思う春。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村    
    残雪が消えて我が家に春の気配!

 朝まで3センチも雪が積もっていた我が家の庭に、たまたま見つけた夫が「花が咲いてるよ!春だ、春が来たね」と指さしたその先にピンクの椿の花が4,5輪咲いていた。その日は25年間泰阜村の大自然に惚れて通い続け、「ここを終の棲家にしたいからお願い!」と頼み込んで自宅敷地を分けていただいてから15年、やっと熱い念願がかなって、カタクリと笹百合、春蘭などの山野草の宝庫・群生地であったという山林2ヘクタールを譲っていただくことになった。

 二人の村の重鎮が私と大山持ち氏との間を取り持っていただき、保証人までお引き受けくださり、私たち二人が少しばかりの山の斜面を手に入れることになった。なんだかやっと山の民の一員として受け入れていただいた気持がして嬉しかった。足が地面についたという安心感である。

 どんなに嬉しいか、嬉しさがジーンと胸の奥まで染みわたってこの年寄りの命に大自然の息吹を吹き込まれた気がして、私たち夫婦は、早速自分のものになるという森の中を、長靴を履いて歩きまわった・・・。しかし山歩きになれない都会人の二人は、落ち葉が堆積し蔦がテグスのように張り巡らした森の中を歩けずその周囲を歩き回り、外からのぞき込むばかりであった。

 元の木より太い蔦に搾り上げられて殆ど枯れかかっている広葉樹を発見し、助けてやりたくなったが、道具をまず買わなければ・・とこれからの生きがいが見つかってわくわくした。そして足元に若草色の蕗の薹が両手にいっぱい!

 今晩の夕食は春の山菜のてんぷらと決まった。

風の谷〜泰阜村   
  パートナーの覚悟〜終の棲家を決めるまで

 雪のアルプスの真ん中を突っ切るように走る中央高速道路を南に下って飯田山本ICを出ると、そこに広がる風景は天竜峡の船下りで知られた小さな商店街の並ぶ昔の街である。そこはJR飯田線の特急が止る「天竜峡駅」下伊那の観光地でもある。我が泰阜村は、そこをさっさと通り抜けて県道一号線を南にまっすぐ下り飯田市と泰阜村の境界にかかる千泰大橋(ちたいおおはし)を渡った先にある。  

 この大橋は、この世の経済を中心とした行政区と、神秘的な深い緑に包まれた日本の昔の故郷はこうであったかと思わせる懐かしい山里に入る境界でもある。

 この度悠々が10年を迎えることになって、理事長もその伴侶である夫も歳を取り、「人生の最後をどこでどのように迎えるか」について真剣に話し合う機会が多くなった。その話し合いは、家族としては「もういい加減に、苦労のわりにこれと言った成果が目に見えない趣味を止めて、今まで根拠地としていた〇〇市の都会ライフに戻ろう‼」と言うものであった。

 ぎょぎょぎょ!「この方は根っからの都会人であったか」とまたまた改めてその根本的な生き方の違いを思った。ネオンが好き、赤提灯が好き、スポーツクラブで汗をかくのが好き、そして自由時間の殆どを書斎にこもって新たな研究に没頭するのが生きがい・・・。一方私はと言えば、緑の森が好き、花が好き、お年寄りたちとお茶をするのが好き、四季折々の大自然に囲まれてその自然の中で汗をかくのが好き!う〜ん・・・この折り合いをどうするかで行き詰まっている。我が伴侶はこの私の我儘に付き合って、もう2年も単身赴任を耐えてきた。週末ごとに6時間かけて勤務先の病院から山奥の我が家に帰ってくる。彼には〇〇市の閑静な住宅地に広くて日当たり良好なマンションがある。定年後をどちらで住むか、終の棲家をどこにするかの問題で、激論を戦わしたこともある。

 私が出した検討課題はこうである

定年後「心を打ち明けて相談できる人は居るか?」

 彼:関東地方に済む大学時代の同級生が4,5人(病気の時助けてもらう /泰阜村のご近所さん2,3人(日々の困りごと心配事の際駆け付けてくれる)

 私:「悠々」のスタッフ3人(いつも心配してくれて非常時には飛んできてくれる+愚痴の相手・家族同然)+集落のご近所さん達4,5人(集落の問題を汗をかきながら守っている絆がある)/大学時代の教え子10数名(「理事長の健康と「悠々」の将来の事を心配してくれる)

⊆家用車を利用できなくなったらどうやって生きていくか

 :ノルデック・ウォークで「悠々」まで歩いてデイサロンを利用し三食を確保、役に立たなくなるまで医師として誰かの役に立つ仕事をしていたい。要介護認定されるまでは家事は自分で頑張る。/最後は「悠々」で悠々自適に暮らしたい。

 私:「悠々」の後継ぎが現れるまで頑張る+ショップライダー(電動四輪駆動車)で通勤/重度の要介護状態になったら「悠々」で悠々自適に暮らしたい。

 

パートナーの結論:都会生活を捨てて、皆に助けられながら暖かい人たちの中で悠々自適に暮らそう‼

 

 

風の谷〜泰阜村    
 時代の先駆けY市長にお会いして

 早朝、いまだ雪と氷と化している我が家の駐車場を何とか脱出し、愛知県N市のY市長を表敬訪問するという願いが叶った。当時この方は、福祉分野では全国に名を知られていた「ゴ〇カ〇村」の経営者で、その発想の基点が福祉の原点である「すべて人は人間らしく(健康で文化的な暮らしを)生きることができる」を実践しようと人生をかけておられるとお見受けした方であった。当時悠々は建設中(10年以上前)で、たまたま視察で泰阜村村長を訪れていらっしゃったとき、村長からこの名も知れぬ変わり者のことを耳にし、興味を持たれて「会いたい」と望まれ、私が役場に呼ばれたという経緯がある。その時は怖いもの知らずであった私が、鋭いご質問に答えお帰りの際に「あんたは本当に人が好きなんだね。今日はいい人に会った」と、意味深長なお言葉を賜ったものだった。

 それから、何年かしてN町の町長選に初当選され(現在はN市長)、今回「悠々」も10年経過し、当初困難にぶつかるたびによろよろと「ゴ〇カ〇村」を訪ね、暖かくもてなしていただきそのお人柄に触れて、もう一度立ち上がる力を頂いたお礼とご報告を兼ねて、面会を申し入れたものであった。

 10年前のN町はN市として幾数倍も拡大し、近年若者から「最も住みたい街」と熱い想いを寄せられる評判の街に格上げされていた。さすがYさんならではの発想力で行政を生まれ変わらせているのかと、期待で胸を膨らませて面会室?でお待ちしていたが、作業服姿でさっそうと現れたのは、行政マンのトップリーダーとしての責任をその背にズシリと背負われたその人であった。

 あの「ゴ〇カ〇村」の事業集団を率いていた福祉のトップリーダーであった時のお顔とは、別人のような厳しさを湛えたそのお姿と、日本の(世界の)未来を見据えて取り組まれている様々な企画が、そのどれもこれもが、やはりあの「ゴ〇カ〇村」の理事長であった時と同じ人間愛に満ちたものだと知った瞬間、このY氏の人間の大きさに撃たれ、このような方にお会いできたことを光栄に思った。ここにも自分の能力を超えていようがいまいが、目の前の人間を愛せずにはいられない、本当の意味で、ただひたすら幸せを願わずにはいられない、一人の人間が生きて自分と同じ地に存在していることに感動し、感謝せずにはいられなかった。

 ともに同じ方向を向いて、歩いている(その方は走っている)同志にお会いできたと感じて、もう一度私なりの覚悟を新たにしたのだった。正月明けに倒れて入院してから1か月、スタッフの方々にご無理をお願いしてきた。有難かった。でもいつまでも甘えて惰眠を貪っていてはならぬと言い聞かせ、週2日の賄い婦に復帰した。

 人々の幸せを願う仕事を背負って生きるリーダーには、自分を一歩後に置いて行動する覚悟を教えられた一日であった。

 Y.I.さん、貴重なお時間を私のために割いていただいて感謝でいっぱいです。有難うございました

風の谷〜泰阜村   
   鬼の攪乱後処理 

 今朝は雪ではなく、久しぶりに雨音で目が覚めた。そっと庭に出ると庭に植えこまれたパンジーの氷が解けて生き返ったような顔をしていた。自分の心もほっと溶けたような気がした。

 さて、正月明けに倒れて(鬼の攪乱と言われて)、スタッフや入居のお年寄りに本当にご心配をおかけし、少しボケの入った頭でよろよろ考え、今まで頑固に守ってきた理事長の筋(勝手な思い込みか・・・)をしばしの間断念することを理事会でお許し頂いた。

 一つは理事長のこだわってきた賄い(手作りの暖かい食事を食べさせたい)を、しばしの間、週2日(理事長の賄い日)近くのNお惣菜やさん(美味しいと評判)にお力を借りることにした。惣菜1食400円(ご飯は悠々で炊く)を昼夜運んでいただくことにし、朝はモーニング(名古屋圏で有名⇒カフェオレかミルク紅茶トーストonバターoかジャムヨーグルトスープサラダ)を朝ケアのスタッフがセットすることにした。これは我が悠々のお年寄りに大好評だったことと、ご近所のお年寄り達も「珍しい!、こんなうまいもん食べたことない!」と評判になっているので取り入れることにしたのである。

 賄いスタッフの不足を理事長がカヴァしていれば一見安上がりに見えるが、理事長の体力・気力に先がないことを理事たちも勘案しこの件を了承してくれたものである。今いる賄いスタッフに無理をお願いすることは、労働基準監督署の査察が入り、厳しい是正勧告を受けたため、断じてできないのである。と言って77歳になる理事長、週二日の朝4時半起きで夜7時までの肉体労働は、今回の入院で懲りたのであった。こうして「悠々を止めな!」という家族たちの厳しい叱責を逃れることにしたという顛末である。

 二つ目は、この少ない入居者問題(現在4人)の解決のため、この数日やっぱり走り回っていた。

 今まで泰阜村のためにと入居者、利用者を待ってこの10年間頑張ってきたが、泰阜村は社協が頑張っているので十分らしいということで、今回、この空室を埋めることは無理と判断した。理事たちも「他からもどんどん入れたらいい」とアドバイスを受け、隣村の阿南地域包括との協力体制を推し進めることにした。早速お一人(88歳男性・単身独居・心疾患?)永住入居のお問い合わせを受け入れることにし、ご夫婦(退院後の療養入居)の受け入れもお受け入れすることにし、正式に隣村の地域包括に協力体制を汲むご挨拶に向かうことにしたのである。その直後、他村からも協力体制のお問い合わせがあった。

 な〜んだ。私の泰阜村への10年間のこだわりはもういらないのだと一人悟ったのであった。

 

 

風の谷〜泰阜村
  理事長の条件について

 正月も明け、今日は七草がゆをやろうかという朝6時、ベッドから抜け出そうと体を起こした途端洗濯機の回転ドラムに放り込まれたような眩暈が襲った。トイレに行きたいが立ち上がれない、無理に動こうとして床に転げ落ちた。床を這ってトイレまでたどり着き胃液を吐いた。浴室の洗面器を引きずり出しトイレットペーパーを引き抜いてベッドにたどり着き、さてどうするか。夫が単身赴任のわが身は、単身独居高齢者そのものなのだった。窓の外は牡丹雪が降っている。悠々のスタッフは一人朝ケアで9時までは身動きが取れない。しばしじっと頭を枕に押し付けたまま時を待つことにした。9時すぎ、かかりつけ医の循環器内科クリニックに電話する。「目が回って起き上がれれない、吐き気が止まらず吐き続けている。どうしたらいいか」Dr.「頭痛はするか、手足の痺れや麻痺はないか」「いいえ頭痛はなく手足の痺れもありません」Dr.「じゃ睡眠不足や疲れからくる回転性眩暈だと思うから。ゆっくり寝ていなさい。それが一番の薬だよ」「はいわかりました。そう致します。どうも有難うございました」となり、昼の12時まで寝ていたが、雪はどんどん本格的に降ってくるし、吐き気は止まらず、とうとうペットの餌やりを悠々にお願いすることにし、スタッフに電話をすることにした。脱水症状になる可能性も考え夜まで待って病院に駆け込む非は避けたいと考え、「誠に申し訳ないが」と言ってお隣のNさん(山の反対側に住む)にすがるしかないかと電話をかけた。直ちに駆け付けご夫婦二人がかりで病院に運んでくれた。山道を下る車の中ではビニールの袋を被って吐きに吐いたが、嫌な顔一つせず病院に運び込んでくれた。遠くの親戚より近くの他人(親戚以上義兄弟!)とはこのことを言うのだろう。

 県立病院、休日なのにドアを開けていてくれる病院が存在することのありがたさをこの身で知って、改めて涙が出るほど有難かった。一日点滴し、一昼夜死んだように眠って翌朝、眩暈が止まりトイレに行けるようになり朝食のおかゆを少し食べ、吐き気が上がってこなかったので、退院となった。

 10年間で車ごと崖から落下したことが1回、寝起きに転倒して右膝蓋骨骨折が1回、インフルエンザ罹患が1回、(いずれも自宅療養)そして今回の疲れのための入院である。こうしてみると不注意が2回もある。

 入居者が重介護になり、スタッフも年を取ったり病で倒れたり、そして今年は大切な役員のお一人を昨年末26日に亡くした。

理事長も来月は77歳となる。

 どこも人出不足が経営者を追い詰めている。零細企業の悠々、人事管理もやり、事務もやり、人出がなければケアもやり、賄いもやる。つり橋を渡っているような日々である。

 そこで理事長の条件、若くて健康。そして人に対する愛であろう!!

 

風の谷〜泰阜村  
 入居お問い合わせから(家族の窮状/行政の窮状)

 列島を襲った大寒波は、ここ長野県南部にも雪を降らせた。その雪は昼も溶けることなく根雪となった。

最近、悠々に隣村(深い山を抱えている)からの入居のお問い合わせが続いている。80代後半の老夫婦世帯や単身独居世帯で、入院後の退院先がないという状況下にある人たちである。もう一つは入居者の親族から「もう一人在宅で看ていた年寄りの介護が限界になったので、そちらで看て欲しい」との要望である。日増しにその問い合わせが増え、介護保険の縛りが、ここにきて過疎山村の地域に住む年寄りを直撃しているという感を深くする。介護保険の家族が看る+地域で看るという論理は、現実として不可能と言うことである。ここ泰阜村でもこの冬立て続けに多くの年寄りが亡くなられ、一日に2、3件の葬儀に走り回るという異常事態に陥っているのが現状である。現実的にはもう一つの足枷があって過疎山村の村民税非課税世帯の年寄りが多く住む行政では、その年寄り等のための横出しサービスが財政的に不可能と言うことである。したがって民間の高専賃やサ高住への入居を打診するしかないが、どこも一日5千円(部屋代)で追加料金として食事代、公共料金/水道光熱費、受診時の付き添い料、介護保険のレンタル料(家事/部屋の掃除・洗濯・買い物等)が発生し、結局自己負担分は25万円から30万円近くになるという。その上認知症は受け取らないと言われるらしい。「悠々」だけが認知症でも精神障碍者でも受けてくれるというので知られているそうである。

認知症の方へのケアは、24時間の見守りケアが絶対的に必要である。そして問題は何時発生するのかわからない。先日も徘徊の方が鍵を開けて思いついたときに脱出してしまうので、追いかけて、納得されるまで山道を1時間近くもついて歩かなければならなかった。総じて80代のお年寄りの脚力には、最近の車世代の若者は到底かなわない。脱帽である。何度も繰り返される問いかけに飽きることなく対応する。うんざりしない‼(これはすぐ伝わり、不安症状を悪化させる諸悪の根源となる)このケアを守って10年、「悠々」の実績はひたひたと近隣の地域包括の方々に口コミで広がっているらしい。有難いことである。しかしスタッフの忍耐は半端なものではない。どうするか理事長‼スタッフを元気づけるためにお金以外の(どこを絞ってもないので・・・)何かいい知恵がないかと、この正月は頭が痛いことであった。

 

 

 

 

風の谷〜泰阜村   
  新しいお客様(認知症の方の苦悶)

 師走に入り本格的な冬の到来に悠々では床暖房のスウィッチが入り、薪ストーブが一日中赤い炎を上げている。別天地のようなリビングに入ると、訪れた人は引き寄せられたようにストーブの前に座り、そっと出された1杯のお茶をすすりながら「ここは暖かですね〜、なんか心もほっとしますね」と嬉しそう。

 隣町の地域包括さんからお問い合わせが入り、「80代ご夫婦の夫が自動車事故で入院した、認知症のある妻(まだ介護保険未申請)をこの寒さの中独り残しておくわけにはいかないので、悠々で急きょ預かってもらえないか」というご相談であった。浜松から駆け付けたお子さんたちに連れられたKさんは、夫の自動車事故に気が動転し、急に子供たちがやってきてあれやこれやと自分を引きずり回すのに混乱し、「悠々に泊まるんだよ」と言う言葉に猛然と抵抗した。

 下を向いて口を一文字に結び「私は一人でちゃんとやってきた。大丈夫だ。何も心配されることはない」と言い切る。子供たち二人がかりの説得が2時間続き、双方ともに疲労困憊していた。

「とりあえず、お夕飯を私たちと一緒に頂きませんか」と進めてみる。置ていくわけにもいかず、かといって連れて帰るわけにもいかない子供と孫三人は、悠々の手作りあったかご飯をお相伴することになった。家族のように寄り添って悠々のお年寄りがスタッフと一緒に食べている光景に、ご本人もご家族も「ここはいいですね」と呟く。施設の食堂らしくないらしい。Kさんの顔にも笑顔が見られるようになった。

 その様子を傍から見ていた理事長からの一言「今日は一気に日常にはないことが続きましたね。御婆ちゃんには一番苦手なことが起こっているのだと思います。そのような状況の中で、たった一人見も知らぬところに置いて行かれるのは本当に不安でしょう。どうでしょうか、ご家族もご一緒に今晩は泊まられるというのは?」顔を見合わせた二人は、「それもいい考えかもしれない」とのことで急きょ三人で同じ部屋にお布団を並べて泊まることになった。

 それ以来Kさんは、「しょうがないね〜」と当分お泊りすることに承諾した。子供たちは毎晩のように浜松から往復しながら入院中の父親のお世話、帰りは悠々に立ち寄って母親の様子を確かめるという日々が続いている。

 そこでKおばあちゃんの様子:「ご飯がおいしい」と3食は完食、10時と3時のお茶の時間は1時間ほどかけてスタッフや隣の席に座った90になったばかりのMおばあちゃんと「あんたはどこから来たね」とあれこれの質問に答え、「わしらの若いころは・・・」と話しに花が咲いて、見知らぬところではなくなってきているようだ。スタッフの昼休憩には、一緒にこたつに足を突っ込んでおしゃべりしながらTVを見て過ごしている。「おじいさんはどこに行ったかね」、「トイレはどこかね」「あ〜トイレの流し方がわからん」・・・おそらくご自宅では和式便器かな?

 入居者やスタッフがいつも見えるところにいることが、不安を減らすのに役立っているのかもしれない。

それにしても緊急事態の時に見知らぬ施設に預けられてしまうお年寄り、どれほどの不安であろう。小学校区に一つ地域の行事のたびに皆が集まる。そこに併設のケア付き民宿があればいいのにと、今回の経験でまたその感を深くしたところであった。

 

 

 

風の谷〜泰阜村     
     施設でのケアの限界とは・・・

 北信では今日も雪が舞うと聞き、2,3日前に融雪剤18袋を集落の急坂な村道脇に置いて回った。1袋25Kg のそれはあまりにも重く、女の年寄りでは引いても押してもびくともしないということで、やはりご近所の70代後半の男性が軽トラックでやってきて「手伝うから横に乗って」と言って、手伝っていただいたが、それが要因かどうか2日後に入院してしまった。うちの部落は総勢10軒、そのうち80代の寡婦が二人、単身赴任で一人残された老妻が二人、80歳を超え障碍を持っていて重い仕事ができない人が三人、重い病気の療養中の男性一人、ということで6軒は班長の仕事が困難である。自分の地域を愛していて、離れられない者たちが助け合って暮らしている。その年老いた仲間たちに厳しい冬が到来した。

 悠々はその年寄りたちに灯火となるか?心を温める焚火となれるかが今から試されるのであろう。

先の総会の来賓あいさつで、村長が「この事業が真に村民に受け入れられるようになるのには10年、20年かかるのであろうと思う。がんばってやってください」と今後を託されたが、前にずらりと並んだ役員の顔触れは、紛れもなくくたびれた年寄り達に他ならない。それを受け懇親会では、「月に1回はボランティアをしに通ってくるよ。息子たちと相談して村に移住するか相談してみる」という厚木在住の組合員の力強い言葉を頂き、神奈川在住の新入会組合員のお一人は「冬の自家用車は厳しいから、電車でくる方法を調べるよ。月1回は来るようにするよ」とやってみればあまりにも遠い距離に閉口するのだろうが、そんな嬉しい希望の灯を置いて行かれた。

 さて悠々では悪性腫瘍の短期療養入居者をつぎつぎお預かりし、(入居者は少ないのだけれど)最少のスタッフで対応している。週1回の市立病院への通院介助、ご本人とともに入居されているご家族のケアも担いながら、徐々に重くなる症状に悪戦苦闘の日々に突入した。大変なのは、医師に指示された重要なケアを、本人が頑固に拒否されることである。この時、本人の意思を尊重(自尊の心)すると、病状が新たな段階に突入することが確かであるとき、(専門職による特別なケアを必要とする時)それを放置することはできない。

 これが施設のケアの限界であろうか。

本人は、病院からの帰途車中で「あと1年、2年は生きたいな・・・」と呟かれる。

「車は運転したい。議員の仕事も悠々の会計事務も自分がする。正月は家に帰って家族とおせち料理を食べる。トイレは自分で行く。ケアは必要な時にしか要らない」とがんこに貫かれる。

 人は本当はこうやって最後まで自分らしく生きていたいのだ。 


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